第1話 車内回遊
ゴールデンウィーク明けの、初日の朝のことである。清々しい五月晴れだった。
ここは、中央線の高尾駅。東京都でも自然が多く、どちらかと言うと、週末は観光客で賑わうエリアである。近くに高尾山があるからだろう。
その駅のホームに、吉祥寺高校で化学教師をしている桜木春馬が立っていた。身長は高めで、ヒョロッとした細身に、メガネをかけた生真面目なタイプと言った印象がある。学校では、普通に桜木先生と呼ばれていた。
晴馬は、上り方面、つまり都心へ行く電車を待っていた。そして、いつも同じ電車、同じ車両に乗って通勤している。何故か、十二両編成の最後尾、十二両目に乗る。これは、晴馬の習慣なのかもしれない。ただ、僕にとっては有り難い事だった。
おおっと。こんな話していたら、電車がやって来た。
到着すると、晴馬はそれに乗り、いつもの座席に座って寝に入った。
ここから吉祥寺駅まで行くのだが、そこまで時間にすると約四十分かかる。実際は、遅れて到着する方が多いけどね。
晴馬は到着時刻に、スマホのアラームをセットしている。但し、電車内で音を鳴らすと周りの人達に迷惑になるから、マナーモードにしてバイブレーションで知らせるようにしている。故に、寝過ごすようなことはない。几帳面だよな。
教師の仕事は、意外とハードらしい。だから、朝から疲れた体で行く訳にはいかないのだろう。そのために、少しでも眠っておきたいと言うことなのかもしれない。
おっ。どうやら、晴馬が眠りについたようだ。なので、眠った晴馬から幽体離脱した。
そう。これが僕。
幽体離脱した晴馬だから、自分のことを幽馬と名付けている。見分け方として、メガネをかけていない晴馬が僕、幽馬だ。と言っても、誰にも見えないんだけどね。
ちなみに、僕は晴馬が眠っている時にだけ現れることができる。普段は晴馬の中にいて、出られないんだ。だから晴馬は、僕のことは知らない。
実は、二人で一つの体を共有している。
いわゆる二重人格なんだけど、どう言う訳か僕の方は幽体離脱して表に出るので、特殊ケースになるのかもしれない。そんな不思議な関係を築いている。
どうしてこうなったのかって?うーん、よく解らない。
でも、今は僕の自由時間だ。この貴重な時間は、限られている。だから、雑談はここまでにするよ。それじゃあ、電車内を回遊しに行くとしようか。
僕は、フワフワと浮きながら移動した。歩く必要がないからね。
高尾駅は始発になることが多く、ここで乗る人は少ない。それ故、今は動きやすい。
だけど、進むに連れて段々と混んで来る。そうなると、隙間なくギュウギュウ詰めになる。皆、きつそうだ。僕の場合は、こうなる前に上空へ避難するから関係ないけど。
実のところ、壁も人も擦り抜けられるから全く問題ないんだけどね。こうする理由は、人混みの中を進むと視界が悪いからなんだ。
以前、気づいたら電車の外へ出ていたなんてこともあった。晴馬が目覚めれば自動的に戻るからいいんだけど、この年で迷子は恥ずかしいよねえ。
とにかく、朝の電車内は色んな人が乗っている。
晴馬みたいに寝ている人や、隣の人に寄りかかって座っている人、スマホを見ている人、読書する人、吐く息が煙草臭い人、イヤホン付けて音楽を聞く人、ホントに様々だけど何故か誰もが無言なんだよね。きっと、周囲に気を使う人種なのだろう。
これだけ色んな人がいる中でも、どう言う訳か吉祥寺高校の生徒に目が行ってしまう。これ、制服で直ぐ分かる。晴馬の学校だからかもしれないけど。
そんなことを考えて電車内をウロついていたら、二駅先の八王子駅に到着した。
僕は、最初十二両目の車両にいたよね。けれど、回遊して今は九両目まで来ている。
ここで、電車が止まり、ドアが開いた。すると、吉祥寺高校の制服を着た青葉時雨と言う女の子が、息を切らせながら乗ってきた。
「ハアー、ハアー。」
いやー、だいぶ苦しそうだ。きっと、ここまで走って来たのだろう。
この時雨と言う子は、先月から見掛けるようになった。だから、一年生だろう。童顔だけど、それなりに発育している可愛い子だ。将来が楽しみだな。
時雨も僕と同じ電車で、いつもこの車両に乗って来る。
なお、八王子駅はかなり大きな駅で、大勢の客が乗る。それ故、空いている席はなくなり、吊革に捕まって立っている人が多くなった。
時雨もその一人だった。スマホを見ながら立っていた。
どれどれ、何を見ているのかな?覗いてみると、文字が見えた。どうやら、メールを確認しているようだ。うーん。文字ばっかりでよく分からん。
僕は時雨の対面、つまり窓の方から覗いていた。だから、文字は逆さまに見えていた。しかも小さい。読み難いなあと思って時雨を見たら、なんと目が合った。
「おわっ。」
なんだ?
時雨は、キョトンとしていた。
いやいや、僕が見えるはずないよな。そんなはずないって。多分、窓の外の景色でも見ているのだろう。一瞬、ドキッとしちゃったよ。まあいい。次へ行こう。
僕は、時雨を無視して、更に前の車両を目指して移動した。
電車は、高尾駅から四駅目となる日野駅に着いた。そして、僕は七両目、つまり七号車まで移動していた。なお、ここはホームが一つしかない小さな駅である。
そうそう。どうして七号車にいるのか、これを説明しないとね。
まあ、この流れで分かると思うけど、ここからも吉祥寺高校の生徒が乗ってくるんだ。星川帆夏って言う女の子なんだけど、彼女は美人さんでね。腰まであるストレートのサラサラの髪をなびかせた、色白の華奢な美少女って感じでね。もう、一目で気に入っちゃったよ。悪い男に騙されなければいいんだけどさ。そう思わせる、清楚な感じのモテそうな子かな。どうも、時雨の親友らしい。
おっ、来た、来た。
その帆夏も乗ってきた。吊革に捕まり、スマホを見始めた。
それにしても、電車内はスマホを見る人が多いな。周囲を見渡す限り、スマホを見る人ばかりだ。そんなに面白いのかな。僕はこの光景を、新時代だなと思って眺めている。
さて。ここまで来ると車内もかなり混んできた。とは言っても、まだ序の口なのだが。
実は、次の立川駅に着くまでの間に、多摩川を渡るための大きな鉄道橋がある。この橋の上を通過する際、晴れて空気が澄んでいれば富士山が見える。東京でも西寄りと言うこともあり、結構大きく見える。故に、ここは知る人ぞ知る絶景スポットなのである。
ちなみに、上り方面に向かって左の窓側に見える。
今日はラッキーだった。少し霞んでいたけど、ちゃんと見えた。山頂には、まだたくさん雪が残っていた。いつ見ても、美しい。惚れ惚れする。
富士山が見えた日は、何か良い事ありそうな気がしてくる。まあ、気がするだけだけど。
ただ、僕にとっては、これを帆夏と一緒に見るのが日課になっている。些細な楽しみだ。
帆夏はスマホから目を離し、窓の外に目線を向けた。チラチラと富士山を見ていた。僕も富士山と帆夏を交互に見ながら、このひと時を満喫した。
さて、間もなく立川駅に着く。ここは、とても大きな駅になる。東京の西側では、一番栄えた都市かもしれない。複数の路線の接点でもある。
駅に着くと、人の乗り降りが激しく、更に混んできた。故に、ここからの電車内は、ほぼ隙間がなくなる。押し競饅頭(おしくらまんじゅう)って分かるかな。そんな状態になっている。帆夏も大変そうだ。僕には、関係ないけどね。
それでも、電車は定刻通り発車した。
では、僕も次の車両へ移ろうかな。帆夏、またね。
少し離れるけど、三両目となる三号車まで一気に移動した。
そして、隣の駅は国立駅になる。この駅でも同じ高校の生徒が乗ってくる。二年生の鶴見世里奈と言う女の子だ。彼女は同じ制服でも、いつもセクシーな着こなしをしている。今日も、やたらと人目を引く格好だった。
ウェーブのかかったライトブラウンに染めた髪が胸近くまであり、口紅とマスカラを付けて、薄っすらと化粧までしていた。胸元は、第二ボタンまで開けていて、そのせいで胸の谷間が露わに。しかも、巨乳ときている。これ、どう見てもワザとだ。
まだある。加えて、校則違反しそうなミニスカート。と言うか、どう見ても違反しているでしょ。いいのかこれでと言うくらいの短さだ。
大人になったらどうなっちゃうんだろう。そう心配に思うほど、露出度が高かった。だけど、不思議と浮いてないんだよな。
これが世里奈の自然体、馴染んでいると言うのかなあ。様になっているところが、この子の魅力なのかもしれない。どちらにしても、ご自分の長所をよくご存じでいらっしゃる。
僕は、そんな世里奈に近づいてみた。微かに、香水の匂いがした。うーん。甘酸っぱい、いい匂いだ。これでよく痴漢に遭わないな。餌食にならなければいいのだが。
まあ、こう言う子、嫌いじゃないけどね。毎日楽しみに見に来ているんで、むしろ感謝だな。吉祥寺高校の校則は、厳しくないらしい。それにしても、時代は変わったようだ。
ちなみに、ちゃんと男子生徒も乗ってくるよ。だけど、あまり興味ないから、見ていないだけなんだ。気にしないでくれ。
話は変わるけど、念のために言っておくことがある。僕のことは人には見えないけど、僕には人が見える。逆に、僕は物に触れることができない。五感の内、触覚がないらしい。だから、痴漢とかはできない。しようとも思わないけど、一応断っておくよ。そんな訳で、変態扱いはしないで欲しい。
では、次へ行こう。僕は、また移動した。
いつも一番前の一号車まで行ってUターンし、晴馬のいる十二号車へ戻るルートを辿っている。大抵は、戻る途中で吉祥寺駅に到着するんだけどね。
晴馬に戻る方法は、さっき言った通りだ。晴馬が目覚めたら自然に戻ってしまう。僕の意思とは関係なくね。そこは、残念なところではある。
この日は、一号車でUターンして三号車まで戻って来たところで目覚めたようだ。最後にもう一回世里奈に会えたのは、良かったかも。
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