第10話 最初の撮影会

(……あさ)

(……まぶしい)


綴木つづるぎしおりは意識の浮上と同時に、自分の1Kの部屋にはありえないはずの「光」が満ちていることに気づいた。

いつもは遮光しゃこうカーテンを閉め切って、アラームが鳴るまでどっぷりと暗闇くらやみに沈んでいるはずなのに。

今朝はカーテンの隙間すきまから白く強い朝の光が一直線に差し込んでいる。


(……なんで、開いてる……?)

しおりはバキバキに痛む肩と首を(ベッドで変な体勢で寝たせいだ)さすりながら、ゆっくりと身を起こした。

丸メガネは枕元まくらもとに転がっていた。


(……あ)

そして思い出した。

(……ほのかさん)


あわてて部屋を見回す。デスクとかべ隙間すきま。あのビーズクッションの上。

(……いない)(……!)


(……帰った? いつの間に?)

胸がチクリと痛んだ。

いや、違う。

(……よかったんだ)

あんな寝心地の悪い場所で寝かせ続けて風邪かぜでも引かれたら。


しおりがそこまで考えた時、

(……ん、におい)

に気づいた。

香ば《こうば》しい匂い。

しおりの六畳一間の、この「聖域せいいき」(ほのか命名)にはおよそ似つかわしくない生活感のある匂い。


(……コーヒー?)


しおりはベッドからそろりと降りた。

部屋のすみ、あの冷蔵庫とシンクしかない小さなキッチンスペース。

そこに人が立っていた。


「!」

「あ、先生! おはようございます!」

ほのかがしおりの(たぶん勝手にたなから出した)マグカップを二つ持って振り返った。

ラフなパーカー姿。金茶のボブは少しねている。

(……あ、あのまま寝たんだ)

(……かわいい)

と、思ってしまい、しおりはあわててかぶりを振った。


「あ、お、おはようございます…… あの、ごめん……ありがと」

「いえ! 私が勝手にれちゃいました! 先生、インスタント飲まないかなって思ったけど、これしかなかったんで!」

ほのかはカラカラと笑う。

(……コミュりょくおばけ……)

初めて来た他人の家で、一晩(寝落ちだけど)あかして、朝、勝手にコーヒーをれる。

しおりには到底とうてい真似まねできない芸当げいとうだった。


「……あ、ありがとうございます……」

しおりはマグカップを受け取った。温かい。ほのかのが触れた熱。

「……あの、よく眠れた?」

「はい! あのクッション、ヤバいです! 秒で意識飛びました!」

「そ、それはよかった……」


「……それより」

ほのかは自分のマグカップを持ちながら、しおりのデスクをのぞき込んだ。

電源が落ちて真っ暗な液タブ。

「先生。……原稿、大丈夫だいじょうぶでしたか?」

「あ……」

しおりはほのかに言われて自分の「本業ほんぎょう」を思い出した。


「……うん。進んだ。すごく進んだ」

意識が覚醒し切れてないせいで、しおりは正直に答えてしまった。

「……ほのかさんが、いてくれたから」

「……!」

ほのかが息をんだ。そして顔を真っ赤にしてさけんだ。

「〜〜〜〜っ! 先生! そういう無自覚むじかく天然てんねん、ダメです!」

「えええ!?」

「あー! もう! 私、バイト遅刻ちこくしちゃう! 帰ります!」

「え、あ、コーヒー……」

「もらいました! ごちそうさまです! じゃあ、またLINEします!」


バタバタバタ!

あらしのように、ほのかはトートバッグをつかみ、玄関でスニーカーをき、

「お邪魔じゃましましたー!」と消えていった。


「……」

残されたしおり。

部屋はまた静寂せいじゃくつつまれた。

けれど、そこにはほのかがれたコーヒーの温かい湯気ゆげにおいが確かに残っていた。

(……静か、じゃない)

しおりはそのマグカップをそっと両手でつつみ込んだ。


***


それから二週間。

しおりは再び、新刊の原稿に打ち込むことができていた。

ほのかが何度か差し入れという名の「作業監視さぎょうかんし」に来てくれたおかげでだった。


そして季節は少しあせばむ陽気へと変わっていた。

その土曜日の昼下がり、一本のLINEが届いた。


『先生』

『お疲れ様です』


めずらしく、ほのかからのLINEが短く、絵文字もなかった。

しおりは胸騒むなさわぎを覚えた。


『どうしたの?』

『先生』

『あの』

『できました』


『……!』

『ルーチェ、完成、しました』


『……!』

しおりは息をんだ。

あのアムンゼンの布。しおりがったビーズ。ほのかが組み上げた設計図。

その全てが。


『さっき、最後の、パーツ、付け終わって』

『私、ちょっと、なみだ、止まんなくて』

『先生に、一番、最初に、見てほしいです』


『……うん』

しおりはそれしか打てなかった。

『今日、このあと、時間、ありますか? うち、来れますか? 』


『行きます』

しおりは即答していた。

あの日「また来てもいいですか?」とおずおず聞いていた自分とは違う。

(……相棒あいぼう、だから)

ミキさんのあの言葉が、お守りになっていた。

(……私が、行かなきゃ)


---


ほのかのシェアハウス。

「お邪魔じゃまします……」

「……いらっしゃい、先生」

出迎えたほのかの顔は、いつもの太陽みたいな笑顔ではなかった。

緊張でこわばり、目元が少し赤い。

(……本当に、泣いてたんだ)


「……こっち、です」

ほのかに案内されたのは、いつものリビング(戦場)ではなかった。

リビングの奥。『Honoka』と小さなプレートがかかったドア。

ほのかの自室じしつ。初めて入るテリトリー。


「……せまいですけど」

ガチャリとドアが開く。

(……)

(……すごい)

しおりはまた言葉を失った。

せまくはない。むしろ広い。しおりの1Kと同じくらいの広さがある。

けれど物が多すぎた。


かべには無数のウィッグがマネキンにかぶさって並んでいる。

たなには資料の本と、過去に作ったコスプレの写真。

そして部屋のすみには一体のトルソー(人台)が立っていた。


そこに、


「……あ」

息が止まる。

(……ルーチェ)


まだ人が着ていない。

それなのにオーラが違った。

仮縫かりぬいの白い布とは違う、本番のアムンゼン。

窓から差し込む光を吸い込んで、それ自体が柔らかく発光している。

(……私の、ビーズが、光ってる)

しおりがった金色のパーツが、ほこらしげにかがやいている。


「……」

ほのかは何も言わなかった。

ただ緊張した面持おもちで、その衣装をトルソーから外し、かかえた。

「……着て、きます」

「……うん」

「……あの、見ないで、ください、まだ」

「……うん」

ほのかは部屋のすみにあるカーテンの仕切り(試着室しちゃくしつ代わりだろう)の中に消えた。


カサ、カサ、と布がこすれる音だけがする。

しおりは待った。自分の心臓の音がうるさい。

期待と緊張でどうにかなりそうだ。


「……」

音がまった。


「……先生」

カーテンの中から、くぐもった声がした。

「……見ても、いい、です」


しおりはゆっくりと振り返った。


「…………」

言葉がなかった。

(……)(……ルーチェ……)


そこに立っていた。

しおりが描いた少女が。

しおりが悩み、苦しみ、「光」を求めて液タブに向かった、あの日々の結晶が。

今、現実なまみの人間として息をしていた。


窓からの光が、

ほのかが完璧かんぺきにセットした金茶のウィッグをかし、

アムンゼンのスカートをかがやかせ、金色の刺繍ししゅうを走る。

(……あ)

胸が熱い。視界がにじんできた。


「……どう、ですか?」

ほのかが不安そうな声で言った。

いつもの自信に満ちたHononではない。

ただ一人の「創作者」として、原作者の「審判しんぱん」を待つ顔。


「……先生?」

「……」

「……あの、先生の、ルーチェに、……なれて、ますか……?」


しおりは答えたかった。

でも声が出なかった。

だから代わりにゆっくりと一歩、踏み出した。

そしてそのまま、ほのか(ルーチェ)の前に立ち、

その衣装の胸元むなもと――しおりがったビーズの飾りに、そっと指先で触れた。


「……」

ほのかの肩が小さく震えた。


「……なれてる」

しおりはようやくそれだけをしぼり出した。

なみだがこぼれないように奥歯おくばめる。

「……なれてる、とか、じゃない」


しおりは顔を上げた。

なみだでぐしゃぐしゃの顔。丸メガネが邪魔じゃまだ。


「……私の、絵なんか、より、……ずっと、ずっと、ルーチェ、だ……」


「……!」

ほのかの青い(カラコンだ)ひとみからボロリと大粒おおつぶなみだがこぼれた。

「……よかった……!」

ほのかはその場にへなへなと座り込みそうになるのを、なんとかこらえた。

「……先生に、そう、言ってもらえたら、……もう、私、……満足まんぞく、だ……」


「……」

二人してボロボロと泣いていた。

衣装がれてしまうとあわててお互い顔をぬぐう。


「……あー、もう、ダメだ、泣きすぎた」

ほのかが先に笑った。

「じゃあ、先生。『儀式ぎしき』しますよ」

「……儀式ぎしき?」


ほのかはなみだぬぐくと、たなの上から一つの古びたカメラケースを取り出した。

重厚じゅうこうかわ張り。中から現れたのは古いフィルムカメラ。


(……デジタル、じゃない?)


「これ、私の『相棒あいぼう』です」

ほのかはそう言うとレンズを一つ、カチリと装着そうちゃくした。

黒光りするつつ。「単焦点たんしょうてんレンズ」だとほのかは言った。


「……これ、父の形見かたみなんです」

「……え」

しおりは目を見開いた。初めて聞く話だった。


「うちの父、カメラマンだったんで。……大した人じゃなかったけど」

ほのかは少しさびしそうに笑った。

「でも、これだけ教えてくれました。

『いいレンズは、写ってるモノじゃなくて、そこにある空気まで写す』って」


「……空気、を」

「はい」

ほのかはしおりを真っ直ぐに見た。

「私、先生の絵を見た時、思ったんです。『あ、お父さんが言ってた、空気が描いてある』って」


「……」

「だから、この衣装の最初の一枚は、絶対に、このレンズでる、って決めてました」


ほのかはその重いカメラを、しおりに、ずい、と差し出した。

「……え?」

「先生」

「え、え、え? 私、無理! カメラ、なんて!」

しおりはあわてて両手を振った。


「ダメです。先生がるんです」

ほのかの目は真剣だった。

「この『空気』を生み出した先生が。最初に、このレンズを通して見てあげなきゃ、ダメです」


「……で、でも、使い方、なんて……」

大丈夫だいじょうぶ。私が全部セットしました。先生は、あそこの窓辺まどべに立って」

ほのかはしおりを窓辺まどべに立たせた。

「私がそこに立ちます。先生は、これをのぞいて、真ん中のボタンを押すだけ。いいですか?」

「は、は、はい……」


しおりは震える手で、その冷たくて重い「相棒あいぼう」を受け取った。

ファインダーをのぞく。

(……あ)

ほのかがルーチェの姿でフレームの中に入ってくる。

窓からの光が彼女の横顔を照らす。

(……既刊きかんの、あのシーン、だ)

しおりが描いた、あの横顔。


「……先生」

ほのかがファインダー越しに微笑ほほえんだ。

それはもう不安そうな顔ではなかった。

完璧かんぺきな「ルーチェ」の、光をく笑顔だった。


(……きれい)

しおりは夢中で息を止めた。

そして人差し指に力を込めた。


カシャッ。


古いけれど確かなシャッター音が、しずかな部屋に響いた。


「……」

「……」

「……ふふっ」

ほのかが先に笑った。

れました?」

「……た、たぶん……」

しおりはカメラから顔をはなした。心臓がバクバク言っている。

「……フィルム、だから、すぐには見れない、ですね」

「……うん」


「……じゃあ」

ほのかは満足まんぞくげにうなずくと、こぶしをぐっ、と握った。

「先生!」

「は、はい!」

「次のイベント、決まりました! 私、これ、着ます!」


「!」

「だから先生も、あれ、間に合わせてくださいね!」

「あ、あれ……?」


ほのかは悪戯いたずらっぽく笑った。

「先生が今描いてる、あの原稿! あの『新しいルーチェ』の本!

あの本が出る横で、私、この衣装、着るんです!」

「えええええ!?」


二人の「作品」が、確かに一つになった瞬間だった。


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