第5話 総大司教ザーディス

 総大司教の執務室は思っていたほどには広くない。調度品も上質ではあるが、飾り気のない実用的な物ばかりだ。

 分厚い本が詰め込まれた大きな本棚の前には幅広の机が置かれ、壮年の男が書類にペンを走らせていた。

 中肉中背で戦士のような逞しさはないが、それなりに引き締まった体躯を持っている。総大司教という地位には、年齢を含めて似つかわしくない風体の人物だ。

 身寄りのない彼は神殿の養護施設で育ち、そのまま僧侶になると、神の力を借りて行使される神聖魔法を習得し、瞬く間に出世街道を駆け上っていった。

 それでも魔軍との戦いで高位の司教たちが立て続けに失われなければ、これほど早く今の地位にまで上り詰めることはなかっただろう。

 だが、かえってそのお陰で人類は救われているのかもしれない。

 古の文献を紐解き、聖女召還の秘術を現代に復活させたのは他ならぬこの男――ザーディス・アーガイルなのだから。


「すまない、椅子にかけて少し待っていてくれ」


 忙しなくペンを走らせるザーディスの勧めに従って、セリオスとリンは机の前に並べられた来客用の椅子に座った。


「どうにも南方でのトラブルが絶えなくてね。そちらに優秀な人材など割けるわけもないんだが、かといって何もしないわけにもいかない。まったく頭が痛いよ」


 ぼやきながら書類を片づけると、ザーディスはようやく手を止めて深々と溜息を吐いた。見るからに疲れが溜まっているようだ。

 無理もない。魔軍が現れてからというもの、その襲撃や戦いによって傷を負う者は後を絶たず、その度に癒やしの力を持つ司祭や神官が派遣される。彼ら自身が戦いに巻き込まれて命を落とすこともあった。

 教団のトップとはいえ神に祈りを捧げていれば良いというわけではなく、それらの事案すべてを管理しなければならないのだ。

 しかもザーディスは先日まで前線近くの村に慰問に出かけており、なおさら雑務が溜まってしまったのだろう。

 セリオスが考え込んでいると、隣に座っていたリンがザーディスのぼやきに応えるように問いかけた。


「やはり、南方に逃げ込む人々は後を絶たないのですか?」

「まあね」


 苦笑するザーディス。

 セリオスも噂には聞いていた。魔軍に怯える人々が次々に町や村を放棄して、魔王城から遠ざかるように南方の町に逃げ込んでいるのだと。

 現在の王国は人々が勝手に町や村から離れることを固く禁じている。人々が自らの仕事を放棄してしまえば生産力が低下し、様々なところで問題が発生することになるからだ。

 とくに食糧の問題は深刻だ。今はまだ王都の食堂は営業しているが、メニューが減って、味も落ちている。調味料を含む食材全体が不足し始めているためだ。


「ただ、一番の問題は貴族たちだ」


 ザーディスは苦々しく言った。


「彼らは自らの領地を勝手に離れて、逃げ込んだ先で日々の鬱憤を晴らしているのだ。立場の弱い者にあたることでね」

「そんな……」


 ただでさえ沈んだ顔をしたリンの瞳にさらなる翳りが差す。

 ザーディスは微笑を浮かべつつも嘆息して肩をすくめた。


「フーバー王か、せめて王子のどちらかがご健在ならば、このようなことはお許しにならなかっただろうが……」


 フーバー・カスケードは、この大陸で長きにわたって続いた戦乱の時代を終わらせた英雄だ。魔王グレーヴァさえ現れなければ彼の統治によって大陸全土が太平の世となっていたことだろう。

 しかし、魔軍の脅威を阻まんと自ら剣を手にして戦場に立ったフーバーは、魔将との戦いに敗れて深手を負う結果となった。司祭たちの癒やしの力によって一命は取り留めたものの、傷の治りは悪く、今もベッドから起き上がれずにいる。

 彼のふたりの王子は、それぞれに聖女を召還して勇者となり、果敢に魔族と戦って華々しい戦果を挙げたが、魔王討伐という大望は果たせぬまま戦場に若い命を散らせてしまった。

 フーバーにはもうひとり、娘もいるのだが、こちらも魔軍にさらわれて生死すら定かではない。彼女に関してはセリオスも知らない仲ではなく、その安否がずっと気になっていた。


「申し訳ありません。僕が不甲斐ないばかりに……」


 うつむくセリオスにザーディスは温かい言葉をかける。


「何を言う。君はよくやってくれている。魔王の城まで迫った勇者はふたりだけだ。思わぬ災難に見舞われたとのことだが、それは君らのせいではあるまい」


 ザーディスはリンの表情に気づいて、わざわざ君と表現してくれた。その心遣いが素直に嬉しい。


「むしろこちらこそすまなかった。ちょうど王都を留守にしていたので、出迎えすらできずに、くだらぬ予言の跳梁を許してしまうとは」


 ザーディスの言葉にセリオスはようやく自分が呼ばれた理由に気がついた。

 この国のほとんどの人間は国教であるアガルマ教を崇めている。その教団の最高位に位置する総大司教の言葉ともなればそれは神の言葉に等しい。そんな彼がわざわざセリオスと面会して労いの言葉をかけたとなると、予言を信じていた者たちも考えを改めざるを得ないだろう。

 いかに名のある預言者の言葉でも、それが神の御心にそぐわぬのであれば信じるわけにはいかない。それほどまでに教団と総大司教の影響力は絶大なのだ。


「いえ、ありがとうございます。多忙の中、わざわざこのような機会を設けていただいて」

「いやいや、できればこちらから足を運びたかったのだが、まだ未処理の書類が山積みでね」

「じゅうぶんです。これで状況も変わってくるでしょう」

「そうか。だが、無理はしないことだ。もし何か困ったことがあったならば、いつでも私を訪ねてくれたまえ」

「ありがとうございます」


 セリオスが深々と頭を下げ、リンもそれに倣う。ザーディスはやや困った顔をした。


「そんなにかしこまらんでくれ。命懸けで魔軍と戦っている君たちに比べれば、総大司教など楽な役職だよ。感謝しているのは私の方だし、感謝しなければならないのはすべての人類だ」

「それこそ大げさですよ。僕はただ、本当は友達を助け出したいだけなんです」

「十二番目の勇者か……」


 ザーディスはやや表情を硬くした。

 十二番目の勇者ロイド・ラーゼンタイン。彼は人類を裏切り、魔軍の一員になったと噂される男だ。当然ながら人類の憎悪を一身に集めている。あるいは魔王以上に憎まれている存在だろう。

 だが、セリオスには信じられなかった。ロイドとは幼い頃からのつき合いで、貴族という身分にもかかわらず、二等市民に過ぎなかったセリオスを親友と呼んで憚らなかった男だ。

 剣の腕はセリオスを凌ぎ、誰よりも勇敢で誠実な男だった。常に立場の弱い者の気持ちを慮ることのできる人物で、勇者となって旅立つ時も頼もしい笑顔をセリオスに向けて言ったものだ。


「心配するな。アーシェルナ姫は必ず俺が連れ戻す。この俺が必ず、お前のところ・・・・・・にな」


 魔族にさらわれたまま行方知れずとなったアーシェルナ王女は、セリオスにとってもうひとりの親友だった。

 可憐な容姿に反してオテンバな彼女は、よく城を抜け出して、身分を隠したまま城下で遊び回っていた。

 ふとした切っ掛けで出会った彼女とセリオスたちは、すぐに打ち解けて仲良くなり、セリオスは相手の正体も知らぬままに『ルナ』と名乗っていた彼女に想いを寄せるようになった。

 ロイドはルナの正体に薄々気づいていたらしいが、それがはっきりしたのは彼女が魔軍にさらわれたあとだ。

 その日からふたりの若者は共通の親友でもあるアーシェルナを取り戻すために、それまで以上の修練を積み、勇者となることを志した。

 結局一足先にロイドが聖女の召喚に成功して勇者となり、セリオスが二年遅れでようやく次の勇者となった時には、ロイドはすでに裏切り者と呼ばれるようになっていた。

 ザーディスはすべての事情を把握しているわけではないが、ロイドがセリオスの親友だったことは知っている。

 だからというわけではないだろうが、彼もまたロイドの裏切りには疑問を抱いているようだった。


「私が知る限り、彼は歴代の勇者の中でも、一、二を争うほどに高潔な人物だった。あるいは魔軍が我らを惑わすために仕組んだ奸計かも知れぬが、魔族が人を堕落させるすべに長けているのもまた事実だ。あまり考えたくはないが希望的観測は危険かもしれん」

「はい」


 今のところ真実が明らかになっているわけではない。瀕死の状態で魔王城から逃げ戻ったロイドの仲間が事の顛末を報告したのだが、その彼もすぐに事切れてしまった。

 後日、ロイドの聖女はクリスタルの彫像に変えられて、飛行型魔族に運ばれてきたが、ロイド本人を見た者はいない。

 生死すら定かではないが、セリオスは彼の生存を信じている。

 その上でザーディスの言葉を重く受け止め、立ち上がって一礼した。


「ご助言痛み入ります」

「いや、暗いことを言ってすまない。私も彼が潔白であることを祈っているよ」


 ザーディスも立ち上がると右手を差し出してくる。


「これからも君の活躍に期待している」


 微笑む総大司教の手を握り返すセリオス。


「はい、微力を尽くします」


 今は当たり障りのない言葉を返すことしかできないが、胸の裡では固く誓っていた。


(ロイドとルナを取り戻して、必ず魔王を倒す。リンのためにも)


 それは勇者となった人間が背負う、避けられぬ使命だと信じていた。

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