第37話 イデア

 僕が冒険した物語を、書いたのは誰か。


 それに気がついた時、白い暗闇は白い無重力空間になった。

 僕の体は、質量をもたないかのように宙に浮かんでいく。


 目の前にあった長机も、糸目の男も、彼が連れてきた作家とやらもどこかに残して、僕は落ちているのか、登っているのかもわからずとにかく、いずれかの方向に体が流されていた。


 白い闇を漂っていると……


 傾いた姿勢の少女が椅子に座り、机の上の端末で何かを入力していた。

 傾いているのは彼女なのか、僕なのかは、わからなかった。


 僕にはわかった。この物語を作っていた人物。彼女は……『リード』だ。


 僕は、泳いで彼女の背中まで近づく。


 

 …… ……


 彼女の眺めている端末。その画面には……


 僕が映っていた。宇宙服を着ている。そしてあたりは真っ黒。僕にはわかった。これは……


 ……これは僕が船外に放り出された直後だ。


 なすすべなく宇宙に漂う僕を、少女が画面越しにみている。


 そして、少女は宇宙服の僕に話しかけるように……画面に文字を入力したのだ。



「『星』の間を読んで」


 宇宙服の僕が、そのメッセージに気づくと、画面のはじから白い光が溢れてきて、僕はそれに飲み込まれた。



 ……


 ……


 体が、勝手に少女から離れていく。


 そうか。彼女は……僕がこの世界で迷わないように……物語のあちこちにヒントを隠しておいてくれていたんだ。

 そして、僕の隣でずっと、僕の導いてくれていたんだ。

 僕たちの、冒険のために……。


 僕は思わず手を伸ばすが、すでに彼女から遠く離れていて、僕の手は空しか掴めない。

 

 


 * * * * *



 dearライトさん。


 物語を書いている私の姿なんて、見せるつもりじゃありませんでした。

 

 本当にごめんなさい。


 でも、私は本当に楽しかったんです。

 

 私は、小説なんて趣味でしか書いたことがないし……

 作家の素養なんてないから……ライトさんと一緒にいられる世界なんて、作れないと思ってました。


 それでもライトさんと二人で旅をして、ライトさんが……

 私が書いたものに反応を返してくれる度に、私は嬉しかった。

 ライトさんの反応の一つ一つが嬉しくて、それで頑張ろうって思ったんです。


 

 太陽の沈まないエッセイのエッセイの世界を、二人で歩きました。

 

 おっきい機械に囲まれたSFの世界で、特異点扱いされましたね。


 異世界の世界で、ライトさん私を守って、大きい怪物をやっつけたんですよ!


 ラブコメの世界。私もあんな青春が送りたかったー。


 ミステリーの世界。ライトさんの見せ場がありましたね! 『犯人は幽霊だー!』のシーン!

 

 史劇の世界。古代ローマの暗い牢屋で、二人閉じ込められている時も、私本当はちょっとワクワクしてたんです。


 ホラーの世界。実は私もホラーが苦手なので、いまいちホラーに作れなかったんです。なのにライトさんは怖がってくれて。

 私本当に嬉しかったんです。


 それから、メアリーさんに会いました。

 モンターニュさんにも会いました。

 教会の神父が村にやってきて、ライトさんの大一番がありました!

 洋館に戻って、まさかのどんでん返し!

 そして……あのラブコメの世界での、ライトさんの歌。ずっと忘れません。

 ローマに戻って、ユリウス・カエサルと会話しましたよね。


 短い間でしたけれど、お別れの時間がやってきたみたいです。 

 

 全ての世界を経験したライトさんは、もう自分で物語を書かないといけない。もう一緒にはいられないのです。


 これからは、別々の世界を書かないといけません。


 次は……ライトさんが自分で世界を作り上げる番。

 できれば……私の事も書いて欲しいです。


 私は……きっとまたライトさんに似た人を書いちゃうんだろうな。


 すぐにへそを曲げて、弱気になるライトさん。

 拗ねてぼやくライトさん。

 でも、本当は優しくて、私のことになると勇敢で、世界一かっこいいライトさん。

 

 物語の世界に居る時、私はライトさんに何もあげることができませんでした。

 

 私のことを、忘れて欲しいなんて絶対言いたくない。でも、覚えていてほしいとも、言えません。

 こんなに大きい幸せをもらったから。

 同じ大きさと強さを、私はライトさんに返したい。


 ライトさん。大好きでした。だから……


 地球に落ちてくるこの隕石を、ライトさんにあげます!! 受け止めて! ライトさん」




 * * * * *



「誰なんだ、あんた……」


 再び長机で、僕は糸目の男性と向き合っている。


「君に説明したところで理解はできないだろうね」


「隕石は、あんたが落としたのか?」


 僕が聞くと、男は口角を釣り上げた。


「私は、最初から空白に文字を浮かべることによって、情報を形成できる世界にいたんだ。

 君たちの言葉で言うところの、何世紀も前からね。

 この空間に質量はない。しかし、君らの星とは比較にならないほどの情報、そして空白が、ここに詰まっている。

 地球の外から、君たちの文明の成り立ち……文化と戦争の歴史……そして、物語の誕生をここでみていたのさ」


 男が横を見る。するとその視線の先に丸い穴が開き、そこに地球が映った。


「最初は私は、地球で起きた全てのことを記録していた。

 君たちの領土争い。発明。絶滅した生物。誕生と、死の記録をね。しかし気がついてしまったんだ。僕の世界と、あの星は一方通行で、誰も私の記録を読む人間などいない。

 ……そこである時……見つけてしまったんだよ。地球では……小説家では無かった人間が突然、空白に世界を描き始めた。

 それを……遠くの人間に向けて発信している様をね。

 空白に世界を描く。これは、僕と同じことをしていると思ったんだ。

 僕は思った。彼や、彼女なら……この狭く寂しい世界を、開拓して広げてくれるのではないだろうか……。」


 男が顔をあげると、宙に映ったのは、ベッドに横になる少女だ。目を閉じていて、口には呼吸器が付けられている……。

 見覚えのない少女だ。僕にはそれが、誰かわかった……。


「そこで見つけたんだ。彼女を。

 想像力が豊かで、物語を創作することを趣味としている。何より……彼女の体は地上に縛られているが、意識は彼女の体から離れている。……この世界の開拓者として、これ以上ない人材と言えた。私は……彼女の精神を、この空間に連れてきたんだよ」


「あんたの勝手な都合にリードを巻き込んだのか!!」


 僕が怒鳴ると、男はますます穏やかな顔になった。


「『リード』と言う名前も、私が与えたものだよ。

 私が彼女に望んだ仕事はただ一つ。この世界を広げてもらうことだ。もちろん彼女は最初、反抗したさ。

 人間は、この真っ白い空間に取り残されるのは苦痛なのだそうだな。

 彼女は、温もりを求めた。同じ人間の体温を感じたかったんだな。そこに……都合のいい人間が現れたんだよ」


 男は、ゆっくりと僕を指差した。


「迷子の宇宙飛行士さん。私のいる世界の近くで船外活動中、事故で放り出された。

 彼女はすがるような思いで君をみていたことだろう。

 人は、どんな人間であっても孤独に耐えられない生き物だ。

 だから私は、彼女に君を与える代わりに……条件を出したんだよ。つまり、この世界を開拓することをね。

 彼女は君を求めたそして……意識を失った君に言葉を発したのだ。すなわち……『星のあいだを読んで』とね」


 気がつけば、僕の目からは涙が流れていた。


「そして君が、ここに来た。彼女にとって、彼女の世界は、君とずっといられるための世界だったんだよ。

 そのために、物語を描き続けたんだ。君と暮らすためのな」


「わあああ!!!」


 誰に届くでもない叫びが、空間に響く。

 男は全くお構いなしに、淡々と続ける。


「そして新しいチャンスを得たんだ。みてくれ。IDEA……

 あの隕石のおかげで、もうじき、僕が数世紀見てきたあの青い星から、大勢の人間が肉体を捨てて意識だけの存在になる。

 彼らが全員、ここにくれば……私しかいなかったただの空間に国が築かれるだろう。

 今まで私に見せつけてきた、文明。その『終わり』

 それが実体を持って現れたものこそIDEA ……ずっと待っていたんだ。この時をずっと。

 僕は、IDEAを一度、この空間に招いた。

 もちろんこの空間は質量を持たないが、この空間の持つ性質を持って……IDEAの情報を、『書き換える』ことならできた。

 質量も、もちろん、速度もね」


「お前がやったのか……!!」


 男は、満足そうに全ての『窓』を閉じた。


「わかっただろう? もう君にできることはない。

 でも安心してくれ。地球は滅んでも、もれなくこの世界にやってくるわけだから。

 肉体を捨てる。それこそ、全ての生き物がやってきていることで、それは陽が昇って落ちるまでに何度も繰り返すありふれたことだ。大した問題じゃない。

 むしろ人間はIDEAによってようやく『死』の概念から解き放たれる事になるのだよ。

 全員がこの地で、世界を開拓する。素敵な事じゃないか」


 僕は、何も言い返さなかった。


「もちろん、君が作った世界も利用させてもらうとも。ご苦労様。君とリードの仕事は終わりだ。

 ……君は、何も成せなかったがね。

 しかし、報酬は報酬だ」


 男は、再び長机の前に腰をかけて、僕に囁いた。


「君の望むものをなんでも、用意してあげよう」


「……なんでも?」


「ああ。なんでも。

 私が憎いなら撃ち殺すことだって許可しよう。地球に帰りたいのだったら、叶えてあげよう。

 ……まあ、今や、宇宙服の中にいる君の実体も、生命体とは呼べないものだけれどもね。

 そうだ。リードに会いたいなら会わせてあげよう。どれがいい? 好きなものを選びたまえ。

 ……彼女も、君を待っているぞ?」



 僕が……僕が望むもの。

 

 結局、何も成せなかった僕が、強く望むもの……それは……




 * * * * *


 目を閉じていると、僕の頭の中に言葉が響いてきた。


「ライトさん、それは、紙飛行機に書かれています。

 ヒントは、一話前の糸目の男が『会いたい人に会うための数式』。

 この数式を示す言葉は、ミステリーの世界に出てきた、『誰かの仕草』です。その仕草の『次の行』に、従ってください」


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