第2話 才能など言い訳にすぎない
「本当にそんな事が……?」
「儂を誰だと思っておる。最強の妖であるぞ? このくらい造作もないわ」
当然のように少女は胸を張る。
寝起きの頭では、まだ現実を飲み込めていない。だが、目の前の光景がすべてを物語っていた。
小さな机、予習用の学習帳、木の匂い。
十三年前、俺がまだ五歳だった頃の部屋は、確かにこんな感じだった気がする。
「……マジで戻ったのか……」
「さっきからそう言っておる。まぁ言うなれば、やり直しじゃな」
やり直し。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。
十三年分の後悔、無力感、そして抗いたいと願ったあの瞬間が、蘇る。
「……して、お主、名はなんという?」
「十六夜 透夜。……お前は?」
「儂の名か。ふむ、お前と呼ばれるのも癪だしの」
少女は目を細め、どこか誇らしげに微笑んだ。
「儂の名は、
その声音には絶対の自負があった。
生まれながらの支配者。そう呼ぶに相応しい威圧と気品がある。
しかし彼女は、だが、と言葉を続けた。
「最強とは孤独でもある。儂を恐れた妖どもが徒党を組み、儂を討とうとした。その結果があの夜の霊災じゃ」
これまで見たことも聞いたこともない規模──
「……なるほどな。俺たちは巻き込まれたってわけか。……それで、狐珠はこれからどうするんだ? 今から報復でもしに行くのか?」
「当然、と言いたいところではあるが、今の儂にそれは不可能じゃな」
そう言って、狐珠は俺の前にやってきて手を伸ばす。
そうして触れようとした瞬間、腕が俺をすり抜けた。
「そもそもの肉体が無い。契約で霊力をほとんど使い果たしたのじゃ。今の儂は魂の欠片──お主に取り憑いておるようなものじゃ」
そう言って、狐珠は自らの胸を軽く叩いた。 俺の心臓の奥が熱く疼く。まるでそこに、もう一つの命が眠っているかのように。
「ふん、気に食わぬ顔じゃの。だが、安心せい。儂はお主を喰らう気などない。少なくとも、今はな」
「今はって言うな……」
軽く肩をすくめると、狐珠はくすりと笑った。
「儂もこうして魂だけの存在となっては、長くは保たぬ。霊力が尽きれば完全に消滅する。……お主の中で、少しでも休ませてもらうぞ」
「勝手なやつだな」
「契約とは、得てしてそういうものじゃ」
軽やかな声が耳の奥に響く。
どうやら、口を動かさずに頭の中で直接語りかけることもできるらしい。
俺の意識の片隅に、彼女の気配がしっかりと根を張っている。
「……で、どうするつもりだ」
「愚問じゃな。儂を殺そうとした輩を野放しにしておくつもりはない。この十三年を利用し、奴らを根こそぎ滅ぼす。そのためには透夜、お主の協力が不可欠じゃ」
誰かに頼られたのは久しぶりな気がする。
応えたい。けれど俺にそれはできない。資格がない。
「……悪いけど、それは無理だ」
「ほう?」
「俺には、霊力がない。妖と戦うなんて、できるわけがないだろ」
その言葉を吐き出すのに、思いのほか勇気が要った。
現実を受け入れたくない自分と、それを突きつける記憶とがせめぎ合う。
狐珠は目を細め、ゆるやかに首を傾げた。
「ふむ。確かにこんな事を言っておったな」
「あぁ。いくら修行しても、符は光らないし、式神も呼べない。祓魔師としての才能がゼロなんだ」
吐き捨てるように言いながら、心の奥に沈む痛みが蘇る。
何度挑んでも結果は同じ。努力で覆せる範囲じゃないと、とうの昔に思い知らされた。
狐珠はしばらく黙って俺を見つめていた。
そして、ふと小さく鼻で笑う。
「くだらぬ」
「……は?」
「霊力がないから戦えぬ? その理屈は人間特有の逃げじゃ。儂からすれば、力とは使うものではなく、掘り起こすものじゃ」
狐珠の金の瞳が細く輝く。
その光に、ぞくりと背筋が震えた。
「透夜。お主は確かに、今のままでは何も出来ぬ。だが、儂と契りを結んだ以上──お主の中には既に力が流れておる」
「……力?」
「感じぬか。胸の奥、心臓の辺りにある熱。それは、お主の魂と結びついた、儂の霊力の残滓じゃ」
狐珠は俺の胸元に手をかざす。
その瞬間、じわりと身体の奥が熱を帯びた。心臓の鼓動が重く響く。
だが、それは力の高揚というより、何か異質なものが身体に混ざるような、得体の知れない感覚だった。
「感じ取ったようじゃの。とはいえ、今のお主には扱えぬ」
「じゃあ、やっぱり俺には──」
「まだ、な」
狐珠の口元がわずかに歪む。
それは挑発にも似た笑みだった。
「よいか、透夜。才能など言い訳にすぎぬ。霊力の有無など、凡人の並べた方便じゃ。──お主が本気で抗うのなら、儂が鍛えてやる」
「それに」と、狐珠はゆるりと続ける。
「儂が最強となるに至った力を、お主は儂から受け継いでおる」
「霊力の残滓だけじゃないのか?」
「そうじゃ。儂が黒刃の王と呼ばれた所以、それはただ霊力が強かったからではない。儂には一つ、特異な力があった」
狐珠はすっと右の掌を上げた。
その指先に、淡く黒い炎が灯る。
「闇を喰らい、闇を刃とする。それが儂の力じゃ。名を黒刃と呼ぶ」
狐珠は炎を握り潰して、容易く霧散させる。
「あらゆる霊力、呪いや穢れをも吸い上げ、それを己の糧とする。つまり、敵の力を──魂を取り込み、己の力に変える術じゃ」
狐珠の瞳が怪しく光る。
「ほれ、念じてみよ。己の力を知りたいとな」
その言葉と同時に、視界の奥が揺らいだ。
まるで空気が波打つように光が広がり、目の前の空間に淡い文字列が浮かび上がった。
――――――――――――
【魂同調率:1%】
【霊力反映率:10%】
名前:十六夜 透夜
種別:人間/妖魂共生体(不安定)
年齢:5歳(魂年齢:18)
――――――――――――
霊力総量:10【反映率10%】
筋力:1
器用:1
敏捷:1
耐力:1
【スキル】
『魂の吸収』
――――――――――――
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