スクラップ勇者の再起動記録 ──滅びかけた世界で、もう一度生きる。

妙原奇天/KITEN Myohara

第1話 スクラップから始まる命

 音がした。

 規則的な雨音。けれど、違う。窓や土を叩くそれではなく、もっと硬い。金属を叩く細い点の連打。

 世界が、そこから始まった。


 暗闇。

 匂い。鉄と油が混じったような、鼻の奥を刺す匂い。息を吸うたびに、喉の奥が焼けた。

 何かが近づいてくる。大きな影。レンズのような光が、黒の中でこちらを覗く。

「起動プロトコル、開始」

 その声で、目を開けた。


 視界は滲み、世界はまだ線でしかなかった。

 ぼやけた光の中で、巨大な指がゆっくりと伸びてくる。冷たそうで、でも震えるほど優しい動きだった。

「よし、生きてる」

 低く柔らかな声。その主は、光の奥に立つ女だった。半分が金属で、半分が人間のような体。銀の髪がランプに照らされてわずかに揺れた。


 その瞬間、胸の奥から何かがあふれた。

 喉が勝手に震え、涙が溢れる。止めようとしても止まらない。

 赤子の体は言うことを聞かない。ただ泣くだけ。

 それでも、その腕の中は温かかった。冷たいはずの金属の指先が、体温のように感じた。

 終わったはずの人生が、もう一度始まった。


 *


 雨は止んでいた。

 目が覚めるたびに、音と匂いと光が少しずつ形になる。

 ここは工房だ。壁いっぱいに工具が吊るされ、棚には古びた部品が並ぶ。

 天井の照明は黄ばんでいて、ランプの光が油に反射して揺れていた。


 俺を拾った女――リーネは、機械仕掛けの修理屋だ。

 片腕は機構がむき出しで、動かすたびに細かい歯車が擦れる音がした。

 彼女はその腕で重たい工具を扱い、もう片方の手で器用にコーヒーミルを回す。

 修理の手と、生活の手。両方が彼女の中で当たり前に共存していた。


 俺は布と革の帯でできた揺り籠の中に寝かされていた。

 近くの机では、リーネが義手の関節を調整している。

 火花が散るたびに、油の焦げた匂いが鼻をくすぐる。

 その匂いが嫌いじゃなかった。

 俺は指先で、揺り籠の脇に吊るされた歯車を握る。カラカラと鳴る。

 その音を数えようとする。

 一、二、三……そこから先は、眠気と熱で曖昧になった。


 リーネの工房は、音でできていた。

 風が窓を鳴らし、雨が屋根を叩く。工具が机に落ちるたび、低い響きが空気を震わせる。

 どの音も、どこかで聞いたことがあるような気がしていた。

 それでも思い出せない。

 前の人生の記憶は、断片だけがぼんやりと残っている。

 誰かが笑っていた。

 それを直せなかった。

 ただ、それだけ。


 *


 季節が、わからないほどに曖昧な日々が続いた。

 雨と太陽と風が交代で工房を訪れ、時間だけが淡々と流れる。

 そんなある日、リーネが誰かを連れてきた。


「今日からこの子の先生よ」

 声に応えるように、扉の向こうから細長い影が現れた。

 人型を模した、けれどどこか不完全な体。

 布をかけただけの骨格に、古びた配線がむき出しになっている。

 それがロイだった。旧式のAI。


 目の部分にあたる光点が、優しく瞬いた。

「はじめまして、少年」

 金属の声なのに、不思議と柔らかかった。

 彼はリーネの隣に腰を下ろし、壊れた玩具を一つ取り出す。

 時計型のオルゴール。歯車が欠け、音が止まっていた。


「学ぶとは、分解して、組み立て直すことだ」

 ロイはゆっくりと蓋を開け、内部の小さなネジを外していく。

 外すたびに金属がわずかに鳴り、光が反射して跳ねた。

「ほら、これはただの部品に見えるが、回転を伝えるための“声”だ。音を出すわけじゃない。でもこれがなければ、音楽は生まれない」

 意味はよくわからない。けれど、その響きが好きだった。

 分解されていく玩具が、やがて再び音を取り戻すとき、胸の奥が少しだけ熱くなった。

 “戻る”という感覚に、なぜか涙が出そうになった。


 それから毎日、ロイは来た。

 彼は俺に数を教え、言葉を教えた。

 リーネはその間に修理を続け、二人の声と工具の音が交錯する。

 世界が少しずつ意味を帯びていく。

 俺の中で、知らない部品が一つずつ組み立てられていくようだった。


 夜。

 雨がまた屋根を叩いていた。

 リーネが作業を終え、ランプを消す。

 その暗闇の中で、彼女は俺の小さな手を取って、自分の胸殻に押し当てた。

「聞こえる?」

 微かな機械音。心臓の代わりに埋め込まれた動力装置が、規則的に鼓動していた。

「これは心臓の代わり。いつか止まる。でも止まるまで、精一杯動く。人も同じよ」

 その言葉は、金属の音よりも重く響いた。

 “止まる”という言葉の形だけが、強く残った。冷たく、怖く、でも綺麗だった。


 *


 工房には、いろんな客が来た。

 折れた義手を抱えた老人。雨で錆びた駆動輪を引きずる少年。

 みんな、壊れたものを抱えてやってくる。

 リーネは淡々と受け取り、淡々と直す。

 「これはもう動かない」と言われたものも、別の使い道に仕立てて返す。

 再生という言葉が、ここでは日常だった。


 俺は揺り籠の中で、その光景を見ていた。

 火花が散るたびに、世界が少し明るくなる気がした。

 ロイが横で言う。

「彼女は優秀だ。直すということを、理解している」

「直すって、どういうこと?」

 自分でも驚くほど自然に声が出た。

 ロイは少しだけ間を置いてから答える。

「壊れたものを元に戻すことではない。壊れた理由を、理解することだ」


 リーネが振り返り、笑った。

「難しいこと言うわね。けど、そうかも」

 その笑顔を見て、胸の奥があたたかくなる。

 俺は思った。

 ぼくも直せるようになりたい。

 前の人生で直せなかったもの――誰かの笑顔を、今度こそ。


 *


 夜の工房は静かだった。

 ランプが一つだけ灯り、雨の音が遠くで続いていた。

 リーネは机に突っ伏して眠っていた。修理の途中の腕が、まだ分解されたままだ。

 ロイが俺のそばに立ち、外の闇を見ていた。

「君は、前の世界の記憶を持っているのか?」

 突然の問い。

 俺はしばらく考えてから、ゆっくりと首を振った。

「……わからない。でも、たまに、誰かの笑い声が聞こえる」

「そうか」

 ロイの目の光が、少しだけ柔らかくなった。

「それは良いことだ。記憶は、壊れても、音のように響きが残る。人も機械も同じさ」


 窓の外で稲光が走った。

 一瞬だけ工房全体が白く照らされ、リーネの体が金属の骨格を浮かび上がらせた。

 その姿は確かに人間ではなかった。けれど、俺にとってはどんな人間よりも“母”だった。


 雷鳴のあと、静寂が訪れる。

 ロイが言う。

「この世界は、修理を必要としている。誰かが、分解して、組み立て直さなければならない」

 それがどういう意味かはまだわからない。

 けれど、“分解”と“再生”という言葉だけが、胸の奥に焼きついた。


 その夜、俺は初めて夢を見た。

 古い街並み。壊れた看板。止まった時計。

 その中心に、リーネの声がした。

「起動プロトコル、開始」

 もう一度、あの始まりの声だった。


 目を覚ますと、朝の光が差し込んでいた。

 リーネが作業台の前で新しい部品を磨いている。

 ロイは窓際に立ち、太陽光を受けて体の布を乾かしていた。

 雨の匂いが薄れ、代わりに油と金属の甘い匂いが満ちている。


「おはよう、灯真」

 リーネが笑って言う。

 それが、この世界で俺が最初にもらった“名前”だった。


 名前があるというだけで、少しだけ世界が広がる気がした。

 リーネがくれた名前。

 ロイがくれた言葉。

 雨と油の匂いに包まれた工房が、俺の“はじまり”になった。


 だから――もう一度、生きてみようと思った。

 スクラップから始まったこの命で、もう一度。

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