第11話 襲撃する

 塔の中は、案外綺麗に清掃されていた。こう言ってはなんだが、ギルバートもラウスもこまめに掃除する性格には見えない。ギルバートは見た目からしてちまちまハタキを振る姿が想像できないし、ラウスは書き損じたメモ用紙をポイっとそこらに放り投げる人間である。


「お手伝いさんとかいるの?」

「いいや。僕と師匠の二人暮らしだよ。シェリーも知ってるだろうけど、師匠が雑な人だからね……。掃除とか洗濯とか、僕が片付けないとあっという間に溜まってしまうんだ。こう見えて僕、家事は結構得意なんだよ」

「おじいちゃんがすみません……」

「あはは、まあ師匠は僕にとっても父みたいなものだから」


 通されたのは小さな居間のようなスペース。外壁に沿っているのか、壁の一部が丸くカーブしているのが塔の中っぽいと、シェリーは子供のように興奮した。置かれた家具はテーブルと二人掛けのソファが二脚、瀟洒なランプをのせたサイドテーブル、ガラス張りの飾り棚くらいなものだが、狭いせいでごちゃごちゃして見える。だがそこがよかった。


(わあ。秘密基地みたーい)


 ソファに座ってキラキラと目を輝かせるシェリーに、ラウスがにこにこと話しかける。孫が会いに来てくれた――偶然だけど――ことが嬉しいようだ。

 ご機嫌な祖父と昔話をしている間に、ギルバートが紅茶を淹れてくれた。最後に自分の分をテーブルに置き、シェリーの対面に腰かけるなり口を開いた。


「さて、と。まずは何から話そうか」

「私を連れ出した目的を知りたいな。ギルドでは話せないことだったの?」

「うん。そうだよ。シェリーには申し訳ないけど、完全に僕の都合だ。その上で話を聞けなんて、本当に身勝手だって分かってる。けど……」

「いいよ。おじいちゃんもいるし。別に悪事に加担させようってわけじゃないんでしょ? だったら話くらい聞くよ」

「話聞くだけじゃ済まないかもしれないよ?」

「うーん……まあ、いいよ。聞くよ」


 悩んだが、了承する。ギルバートは東王都支部所属の一等級冒険者だ。個人的に親しくしたことはないが、為人はある程度知っているつもり。何より、祖父であるラウスが世話になっているということは、もはや身内も同然である。シェリーは懐に入れると途端に気安くなるタイプの人間だった。自覚はしていないが、話し方もあっさりと敬語からタメ口に変わっているのがその証拠。


「ありがとう」


 ギルバートはにこりと笑った。品のよいソファに座っていると、本物の貴公子みたいだ。家事が得意なのに。シェリーはルークのことしか見ていなかったのでドキドキしないが、女性のファンが多いという話も頷ける。


「さっきも言ったけど、シェリーにあることを協力してほしいんだ」

「私に? ギルドにではなく?」

「うん。冒険者ギルドのシェリーにではなく、魔術師のシェリーに頼みがある」


 魔術師の、と言われてゼオとの苦い会話が蘇ったシェリーだが、魔術が使えることには変わりないしと開き直る。


「よく知ってたね? 私が魔術……師だって」

「ギルドの子に聞いたんだよ。秘密にはしてないだろう?」

「ああ、うん。そうね。隠しててもいいことないし」


 万が一冒険者ギルドが戦場になった場合を想定して、職員は月に一度の戦闘訓練を受ける決まりになっている。本格的に戦えというのではなく、あくまでも必要最低限の自衛力と連携を身につけるためだ。魔術を使える職員は、その旨を申告して連携を組み立てるのである。だから、シェリーが魔術師であることは同じ東王都支部の職員全員が知っていた。


「で、あることって言うのは?」

「それなんだけど、話す前に一つ言っておかなきゃならないことがあるんだ」

「なに?」

「えっとね、驚かないで聞いてほしい。いや、驚くなって言う方が無理なんだけど。でもとにかく信じて」


 しつこく前置きをすると、ギルバートはすっと短く息を吸う。


「そう遠くない未来、王都は外敵による急襲を受ける。僕はその未来を変えるため、何年も前から行動しているんだ」


 彼が語りはじめたのは、確かに驚くなという方が無理のある話だった――。


 最初に大きく動いたのは、五年前。

 東王都支部の管轄であるトラントの森で、想定を超える大きさの魔獣の巣が発見された。魔獣の巣とは、魔獣が非常に繁殖しやすい環境を指す言葉だ。自然界における魔力の偏りが要因となっているようなのだが、それ以上のことはまだ分かっていない。最悪なのは、魔獣の巣の発生を防ぐ手立てはないということ。

 幸いなことに、五年前に発見されたものは初期段階だったため、王国軍と冒険者ギルドが協力して被害の広がりを抑えることができた。もし何も対処していなければ、魔獣の氾濫によって付近の村が飲み込まれただろうと言われている。そればかりか、王都も大きな被害を受けていた可能性がある。

 トラントの森を監視するための砦が築かれたのはその後だった。


 次は三年前、王国南東部の街アティスで行われた馬術大会だ。大会の最中、アティス領主の妻の命が何者かに狙われたが、間一髪で防ぐことができた。逃げる犯人を何人かの騎士が目撃している。


 それから、隣国ベイラードのとある集落が受けた襲撃。特別な武力を持つ者たちが暮らしている集落で、ゆえにターゲットになったのだという。これも被害は最小限だった。


 ベイラードの一件以外は、シェリーも聞いたことのある話だ。特にトラントの森の巣は未だに完全駆除とはなっておらず、定期的に討伐隊が組まれている。


「これらは全部、外敵が仕組んだ事件なんだ。アティスの事件は、領主の妻の死をきっかけに“死者蘇生の儀式”を行わせるため。ベイラードで起きた襲撃は、竜奏者と呼ばれる特別な力をもつ人たちを殺すため。トラントの森は分からないけど、たぶん王都の力を削ぐためだろう。王都にはソルグラシアの加護を得たルークがいるからね。直接彼と対峙しても勝てないから、孤立を狙ったのかもしれない。実際、君はその時――」


 ギルバートは神妙な面持ちで口を噤んだ。言いかけた内容が気になってシェリーは首を傾げるが、綺麗な笑顔で誤魔化された。


「まあ、その企みも僕の活躍によって断たれたってわけさ。勲章ものだと思わない?」

「そうだね。嘘の話じゃないなら」

「えー、疑うのかい? こんな作り話するような人間だと思ってる?」


 シェリーは顔をしかめた。


「そもそも、外敵ってなに? どこかと戦争になるの? そんな情報、新聞のどこにも……」

「載ってないよ。奴らは表立って行動しないからね」

「だからその"奴ら"って?」

「魔族さ」

「ま……っ」


 驚きのあまり、喘ぐように口をパクパクさせるシェリー。そんな反応が返ってくることは予想していたらしく、ギルバートは何事もなかったかのように言葉を続ける。


「はるか昔、地上には魔獣が蔓延っていた。人類はわずかな土地に身を寄せ合って暮らしていたけど、ある時転機が訪れる。それが魔族との出会いだ。彼らがもたらした魔術によって、人類は魔獣と戦う力を得た」

「そして、次第に生存圏を拡大していったというわけじゃな。時折、常人離れした身体能力や魔力の者が生まれるのは、かつて魔族が人間の体を弄った名残だと言われておる」


 そういった人間は、ほぼ必然的に冒険者や軍人の道を歩むことになる。シェリーの友人であるエミリアもその一人だ。


「じゃが、魔族そのものはとても非力な種族での。保有する魔力は人類の数十倍と文字通り桁違いじゃが、肉体的な強さは儂のような老人とどっこいどっこい」

「おじいちゃんは身一つで冒険者できそうだけど……」


 拳で魔獣を殴り飛ばしそうな体格の祖父をみつめる。

 それはいいとして。

 シェリーは気を取り直す。


「人類と魔族の敵対の歴史なら、私も知ってるよ。人類が今みたいに世界中に国や街を作りはじめてからというもの、魔族は人目につかないところでひっそりと生きてた。だけど二百年くらい前に、突然人類に宣戦布告してきたんだよね」

「そう。まあ、ここソルレシア王国にはほとんど影響なかったけど、大陸の東ではあと一歩で戦争になるところだった。幸いと言ってはなんだけど、魔族はとても個体数が少ない。どんなに魔力が強くても、圧倒的多数の人類には勝てなかったんだ」


 それから二百年の間、魔族は再び日陰に隠れていた。


「その魔族が、この王都を?」

「うん。襲撃する」


 ギルバートがきっぱりと断言するので、シェリーは真顔で押し黙った。彼の声には、いやに力が入っていた。騙そうとする人間のそれではない。信じてほしいと懇願するのでもなく、ただ事実を語っている。そう思えた。


「僕はある事情から、未来を知った。トラントの森の件も、領主夫人の事件も、ベイラードの襲撃も、予め知っていたから動けたことだ」

「それは……」


 そんなことが可能なのは"奇跡"しかない。


(またなのね)


 シェリーは複雑な気持ちで俯いた。

 "奇跡"と聞くと、嫌でもエリザベートの顔を思い出してしまう。人形のように整っていて、その愛らしい口でシェリーを脅した彼女を。


 分かっている。"奇跡"は人の為になる素晴らしい力だ。そう言い切れるのは、"奇跡"を授かった人間が、その力を悪事に利用した例を知らないから。

 "奇跡"を得て偉業を成し遂げた人を聖人と呼ぶが、歴史上聖人となった者は、誰もがその力を救済のために使った。

 シェリーも救われたことがある。正しくは、母を救ってもらったのだ。その神官様が言ったことを、シェリーは今でも覚えている。


『私は道に過ぎません。神が私を通して困っている人々を救ってくださるのです』


 自分の功績ではないと言い切ったのだ。金銭さえ受け取らなかった。

 きっと、そんな人だから神様に愛されるのだ。自分のためではなく、誰かのために行動できる人を神様は選んでいる。

 ルークだってそうだ。彼が得たのは戦う力。しかし彼はそれを誇るでもなく、ますます危険な場所へと我が身を追い込んでいる。いくら奇跡の力があるとは言え、死ぬ時は死ぬのに。そんな姿が見ていられなくて、シェリーは傍で支えたいと願ったのだ。


『その適当な態度がムカつく。私が若いからって舐めてるんじゃないでしょうね? 言っておくけど、私はスゴい神様に愛されてるのよ。お前みたいな小物、本当なら私と直接話ができる立場じゃないんだから』


 ルークや母を助けてくれた神官様と比べると、エリザベートは違うとどうしても思ってしまう。ただ単に、ルークを巡って争っている仲だからかもしれないけれど。もっと広い目で見れば、エリザベートもルークたちと同じく誰かのために動いているのかもしれないけれど。


(そうは思いたくない)


 昨夜のルークとエリザベートを思い出し、どろりとした気持ちの悪いものが胸の奥から溢れ出す。

 シェリーは石を飲み込むかのように、苦々しい気持ちを喉の奥に押し込んだ。


「シェリー、もしかして聞いたこと後悔してる?」


 耐えているのを勘違いしたらしいギルバートが、心配そうにテーブルの向こうから窺っていた。はっと我に返れば、ラウスも顔をしかめて孫娘をみつめている。シェリーは慌てて両手と首をぶんぶん振った。


「そんなことないよ! びっくりはしたけど。……というか、ギルバートさんすごいんだね。軍を動かしたり、隣の国の危機まで救ったり。普通の人じゃないみたい」


 それは純粋な疑問で、深く考えない問いかけだった。どちらかと言えば、話を逸らすための。

 しかし、返ってきたのはこれまでのやりとりに負けず劣らずの爆弾で。


「いやいや、全然すごくなんかないよ。すごいのは僕の実父。僕の父さん、国王やってるんだ」

「………………は?」


 シェリーは不可解なものを見る目でギルバートを見つめた。

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