絶対に諦めません!~念願叶って初恋実らせたのに、生まれ変わったあの子に彼を取られそうです~

良田めま

第一章 真っ白な世界

第1話 生まれ変わりなんて

 私は望む。一度きりの奇跡を。


 あなたが私から全てを奪うなら。


 私は、あなたに全てを与えることで報復する。



 * * *



(ルーク、まだかな)


 春の陽光が降り注ぐ穏やかな一日。

 王都の中央に位置するサンクレスト広場の噴水前で、シェリーは幾度となく髪を触りながら恋人の到着を待っていた。

 王国の主神であるソルグラシア神像の台座周りは、赤や黄、白などの花々で飾られている。まるで、花女神リエーリャが春の訪れに喝采しているかのようだ。その華やかさに背中を押されて、シェリーの頬にも薄っすらと赤みが差している。


 お相手はルーク・トライデン。シェリーの勤める冒険者ギルドに所属する一等級冒険者だ。シェリーは彼に、十年という実に長い片思いを捧げていた。

 その想いが実ったのは、つい数日前。それまでは単なるギルド職員と冒険者でしかないと思っていたから、まさに青天の霹靂だ。だけど、その翌日ルークが仕事に旅立ってしまったため、今日が初めてのデートだった。


(待ちきれなくて、一時間も早く来ちゃった)


 なんなら昨夜は眠れていない。美容に悪いと分かってはいたものの、興奮した脳が眠らせてくれなかった。これは反省ポイントだ。


(格好、変じゃないかな……)


 今日のシェリーは薄い水色の髪をハーフアップにし、青と白の綺麗なビーズを連ねた髪留めでまとめている。耳には白い石のピアス。ほっそりした首には、カナリーイエローの宝石を嵌めたネックレス。オフホワイトのワンピースは、楚々としたシェリーの容姿を引き立てている。春とは言え肌寒い時間もあるため、上には七分丈のボレロを着てきたが正解だ。初めてのデートで剥き出しの二の腕を晒すのは勇気がいると、今さらながら気がついた。


(おばあちゃんに感謝だな)


 出掛けに「少し寒いから何か着ていきなさい」と忠告してくれた祖母は、正しい未来を見据えていたようだ。

 厳しいけど、毎回適格な助言をくれるおばあちゃん。

 本当に頭が上がらない。


 休日ということもあってか、広場は多くの人で賑わっている。

 特に、巨大なソルグラシア神像を囲む大噴水は定番の待ち合わせ場所なので、混み具合が半端ではない。

 シェリーの近くでも、あちこちで恋人や友人を待つ姿が見られた。恋人同士と思しき男女をみつけると、自分のことのようにドキドキする。


 北の時計塔は、もうそろそろ約束の時間を示している。


(まだかなぁ)


 周囲を見回し、森みたいに乱立する人混みの中から彼の姿を探し出そうと目をこらす。

 いない、いない、いない。

 まだ来ない。

 だけど焦る必要もない。

 ルークはとても真面目な人だから、約束の時間に遅れるなんてあるはずないのだ。


 その一瞬。

 人の話し声や足音が、ふっと消えた。

 ドクン、と大きく鼓動が響く。


 ――来た。


 輝かんばかりの金色の髪と、少し長めの前髪に隠れた青い瞳。普段、ほとんど目にする機会のない私服姿。

 数え切れないほどの人だかりの中で、彼の姿はまるで光が差し込んだみたいに浮き上がっていた。

 わざわざ探したりなんかしなくてもよかったのだ。

 そんなことしなくても、近くに来れば自然と目に入る。きっとそのようにできているのだ、恋人同士は。


 それを証明するかのように、ぱたりと目が合った。

 途端に、彼は大きく破顔する。真面目で少し近寄りがたい雰囲気がアイスみたいにとろりと溶けて、本来の優しくて愛情深い性質が顔を出す。

 シェリーは思わずはにかんでいた。ぶんぶんと手を振る――のは恥ずかしいから、胸の高さで控えめに手をひらひらさせる。

 すると、なぜか彼は笑顔のまま硬直して足を止めた。一瞬だったが。シェリーは疑問に囚われかけたものの、再び――さっきよりも足早に駆け寄ってくる彼の顔が甘くてドキドキするもので、なんだろう、と思ったことなんてすぐに忘れてしまった。


(夢みたい)


 ずっと憧れの存在だった。

 幼い頃から彼はシェリーにとっての英雄で、その背中を目で追い続けてきた。それだけで満足て、友達になろうだとか、もっと親しくなりたいだとかは望まなかった。望んではいけないと思っていた。

 なぜなら、彼の隣にはいつも"彼女"がいたから。一度会っただけのシェリーでは到底太刀打ちできなくて。傷つく前に諦めた――はずだった。

 結局、諦めきれなかったから今のシェリーがいる。

 何人もの女の子が彼に憧れているのを知っている。中には、シェリーよりずっと彼の隣に立つのが相応しいと思える子も。彼と同じパーティの魔術師の娘もその一人だ。誰よりも近くで彼のことを支えてあげられる。その姿にシェリーは幾度羨望したことか。自分にできないことを他人が簡単にやってのけるのを見て、へこまずにはいられなかった。

 しかし、そんな彼女たちを押しのけて、彼はシェリーの目の前で立ち止まった。

 私を選んでくれた。

 そのことが自信に繋がる。


 ずっと想い続けてきた。

 年齢や立場が変わっても気持ちだけは変わらずに、十年間。

 やっと、念願が叶った。


 二人は見つめ合う。互いの瞳に灯る熱を感じて。

 私よりもあなたの方が熱い? それとも、私?

 すぐに分かるはず。

 だって――。


「ルーク! 会いたかった!」


 あどけない少女の声と同時に、桃色のドレスが翻り、彼に重なった。

 シェリーはまるで雷にでも打たれたかのように、全身を硬直させる。


(な、に……)


 見知らぬ少女が、彼に――ルークの胸に縋り付くようにして抱きついている。ルークは青い目を見開き、少女を凝視していた。驚きのあまり、振りほどくことさえ思いつかないようだ。


 だれ、とシェリーの唇が無意識に動いた。


 シェリーからは横顔しか見えないが、それでも大変可愛らしい娘だというのは分かった。小顔でくっきりした顔立ちは、職人が丹精込めて作った人形ドールのようだ。ドレスから覗く手足も華奢で、作り物めいている。腰にまで届く金糸の髪は大きなルビーの髪飾りで纏められ、軽やかに波打っていた。

 容姿の可愛らしさだけでなく、身につけたドレスや装飾品からは身分の高さも伺える。ルークはごく一般的な庶民が着る衣服姿だが、不思議と少女と釣り合いが取れている、気がした。何も知らない人が見れば、身分の壁に隔たれた恋人たちが、久しぶりに再会を果たした場面に見えるかもしれない。

 陽光を弾く光の粒が、まるで彼らを祝福しているかのようだ。

 美しい光景。

 絵になる二人。


 天から落ちる影に隠れるように、シェリーはポツンと立ち尽くす。

 二人に比べたら、自分はそこらの岩か何かだろう。

 知らない女が、自分の恋人に抱きついている。女の勘違いかと思ったが、先程確かに彼の――ルークの名を叫んでいた。


「誰……あの子」


 気づけば周囲の人々も美しい男女の醸し出す独特の雰囲気に飲み込まれていたらしく、シェリーのかすかな呟きはざわめきの中に埋もれた。

 しかし、少女は――そんなことあるはずもないが――埋もれたはずのシェリーの疑問を聞き取ったかのように、満面の笑顔と鈴音のような声を響かせる。その瞳にはルークしか映っていない。


「私よ、フローラ。あなたの幼馴染の! 会いたかった、ルーク! あなたと結ばれるために、もう一度生まれ変わったの!」

「フロー……ラ?」


 その名を聞いた途端、彼の表情がみるみるうちに変わっていく。

 最初は疑いの眼差し。それがだんだん理解、そして確信へと移り変わっていく。

 彼が信じたことを察したのだろう。"フローラ"と名乗った少女は、結んだ唇を弓なりに大きく歪ませる。それは、敬虔な信者を褒め称える天使のような微笑みであった。だが――なぜかシェリーは、そこに不穏なものを感じ取る。


「フローラって……嘘、だろ……」

「嘘なんかじゃないわ。分かってるでしょ? 分かるはずよ。姿は変わってしまっても、心はフローラのままだもの」


 分かって当たり前だと。二人の心は固く通じ合っているのだと。

 途轍もない自信、あるいは傲慢だろうか。

 "フローラ"は唇に喜びを刻んだまま、慈しむように瞳を潤ませた。ルークの頬を優しく撫でる。


「ごめんね、あなたを残して死んでしまって。でも事故だったの。私だって信じられなかったわ。まさか――死んじゃうなんて」

「……本当に――?」


 "フローラ"は答える代わりににっこりと笑った。

 ルークの声はかすかに震え、後半は聞き取ることも困難だった。心做しか顔面も蒼白で、突然のことにショックを隠せていないのが明らかだ。

 衝撃を受けたのはシェリーも同じだった。


(本当に、あの"フローラ"なの?)


 生まれ変わった。

 彼女はそう言った。

 改心した、生き様が変わったという意味で「生まれ変わった」と表現することもあるが、そういうことではないだろう。

 彼女の台詞はいかにも演技めいている。なのに、真実が宿っているように思えてならない。


(でも、生まれ変わりなんて)


 普通は頭がおかしいと思う。普通は。

 だけど。


「ルー――」

「君が本当にフローラなら、ここではまずい。場所を変えよう」


 声をかけようとしたシェリーを遮るように、ルークが完全に背を向ける。

 シェリーは零れ落ちそうなくらいに目を見開いた。


「……っ!」


 拒絶した?

 それとも偶然?

 どちらにしても、疑いようのない絶望がシェリーを襲った。


 細身だががっちりとした背中を包むシャツは、下ろし立ての上物だと分かる。装飾の一つも着けていないのは実に素朴な彼らしくて、今日何事もなければベルトの一本でもプレゼントしただろう。

 そんな妄想も泡と消える。


 ――フローラ。ルークの幼馴染。彼の隣にぴっとりとくっついていた姿を、シェリーもよく覚えている。美男美女で、傍目にもお似合いで。


(勝てっこない……)


 いや。

 それでも。

 シェリーはまだ一縷の望みを抱いていた。必死に、両腕から逃げ出しそうな"願望"を渾身の力で押さえつけて。


 だけど、ままならないものだ。幸福なんてものは。

 歪んだ眼差しで、自分を見ないルークを見つめる。


(お願い)


 好きなのだ。

 ずっとずっと好きだったのだ。

 彼もシェリーを好きだと言ってくれた。

 シェリーはあの言葉を信じた。

 今は信じたがっている。


(私を見て)


 青い瞳に映るのが他の誰であってもいい。

 でも、その子だけは。

 フローラだけは見ないでほしいと、我儘にも思う。

 それを決めるのは自分ではないと、分かっている。だからこそ願うのだ。我儘に。


 シェリーの瞳から、涙の粒が形を変えながら溢れ落ちた。それは瞳の色を溶かしたみたいに、陽光を受けて琥珀色にきらめいた。


 ルークはもう、一度たりともシェリーを振り返らなかった。

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