-さいしょのおはなしの、つづきの3-


 ……!


 あたりは、静けさに包まれていた。

 おおよそ二時間後、相変わらずそこだけ人気ひとけのない某テレビ局のフロアに、一仕事終えて戻ってくる坊主頭のタレントさんだ。

 さすがにマネージャーくらいは待ち構えてるものかと期待はしていたのだが、肩すかしを食らってため息交じりに楽屋の扉に手をかける。


「はあっ……! えっと、この後って、なんか入ってるんだっけ? いや、これで今日はもうおしまいだったような、気が……


 この後のスケジュールを頭の中でうんうんと思い返しながら、ガチャリと何の気も無しに開けたこの扉の向こう……!

 だがその何の気も無しに見たはず楽屋の景色に、そこがもはや結構なだったことを思いだす。

 まざまざとだ。

 はじめそれが何かまったく理解できないままにその場に釘付くぎづけで、しばしそのさまを見つめてしまった――。

 結果、およそ10秒くらはそのままの姿勢で固まって、ただちに喉の奥からみたいなものを発する芸人さんだ。


「ひっ、あ、あああああっ、なんかいる!? な、なんだ? ちょっと待てよ、さっきまでここにいたの、だよな? おれとおんなじお笑い芸人の? あいつどこ行ったんだ?? そして何よりはなにっ!?」


 完全にのけぞって、入りかけた出入り口から大きくこの上体を反らしてしまうが、足がすくんでそれ以上は動けなかった。

 本来ならばそれこそが大声を上げて、その場からさっさと逃げ出してしまうところなのだが……!

 それまでのがあって、それもままならないと泣きそうな顔で、おそるおそるにまた部屋の中をのぞき込む。すると――。

 やっぱりいた。

 なんだかよくわからない、……!!


「なにアレ、なんだよアレ? ひとの楽屋で何やってんの!? 不審者どころの騒ぎじゃないじゃん! !!」


 何か得体の知れないものが、部屋の奥に陣取っているのをまじまじと凝視する鬼沢だ。

 果たしてそれが何なのかまったく理解できないままに、ひたすらに考えを巡らせた。


「に、逃げたほうがいいよな? スタッフなんて呼んでも誰も来てくれないだろうし、来たってあんなのどうにもならないし! ほんとになんなのっ!? お、俺、知らないぞっ、なんか寝てるみたいだし、のんきにひとの楽屋で! 日下部クサカベもきっと逃げたんだよな? それじゃこの俺も、とっとと……」


 と扉を閉ざして何も見なかったことにしようとする中堅の芸人は、閉める寸前でまたひきつった顔で中をのぞき込む。

 その顔面全体に、絶望の暗い陰が落ちた。


「あっ………ダメだ。大事な荷物、部屋の中に置いたままだった。てか、! この俺のトートバッグ!! なんでだよ!? よ、よりにもよって、あの中にお財布とかスマホとか貴重なもの全部入ってるから、なくしたりしたらかみさんに怒られちゃうよ。あと、へそくり用の内緒の通帳とハンコとかも入れてたっけ??」


 頭を抱えてこの世の終わりみたいな巨大な絶望感にさいなまれる、もうじきアラフォーのおじさんだ。

 人影のない廊下を見回して、仕方も無しに単身で立ち向かうべく正体不明の存在が居座る楽屋に、と足を踏み入れる。

 幸いにして相手はだからどうにかこのバッグだけ奪取して、この場を逃げ去ろうと土足のままでこの畳に上がり込む。

 なんだかよくわからない、、耳を澄ませばかすかなみたいなものを立てているようだ。

 ひとの楽屋でふざけた話だが、なぜだかすっかり就寝中なのをいいことに、このバカでかい頭からつま先までをしげしげとしてやる鬼沢は、やがて困惑も極致のさまで声を震わせる。


「ひっ、マジでなんだこれ? ? ? ……じゃないよな? いやいやっ、でかさで言ったらたぶんクマだけど、こんなの見たことない! ありえないよ、ほんとにバケモノとしか言いようがないじゃないかこんなの、、んだよな? くそっ、いいから返せよ、ひとさまのトートバッグ! く、もうちょいっ……!」


 不自然な前屈みの姿勢で、目の前のいかつくて毛むくじゃらでおまけ丸太のような太い二本の腕でしっかりとホールドされた、このみずからのバッグの取っ手まで……!

 どうにか指先を伸ばしてこれを掴むものの、ちょっと力を込めたくらいではビクともしなかった。

 

 もはやバッグは諦めて、のが賢明かと取っ手てから内側に手を入れかけて、だがそこでみたいなものを感じてふと目の前へと顔を上げる鬼沢だ。


「…………っ」


 正体不明のクマだかなんだかと思い切りにこの目線が合って、それきりフリーズしてしまう人気の若手お笑い芸人さん。

 リアクションが取れないことを責めるのはやはりこくだろう。

 完全に思考が停止していたが、謎のクマ(?)が不意にその大きな口をがばりと開いたのには飛び上がって悲鳴を上げる。

 コンマ1秒とズレがないのは、さすがのリアクションだった。


っ、っ! ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさあああいっっ!! 俺おいしくなんかないからどうか食べないでえええええっ!!! ……あれ?」


 足がもつれてその場に尻餅しりもちをついてしまうのだが、一度大口おおぐちを開けた相手がそれきりとしたさまでこちらを見ているのには、こちらも不可思議に見返してしまう。

 どうやらさっきのは、だったらしいことに今になって気づく鬼沢だ。

 そのさなかにもでっかいクマのバケモノは、のっそりとした動作で仰向けで寝ていた身体を、よっこらと起こして立ち上がった。


 やっぱり、でかい……!!


 見上げる鬼沢はひたすらぽかんとしたさまで開いた口がふさがらない。

 そのさまをやはり覚めたまなざしで見下ろすバケモノは、、もといで何事かのたまうのだった。

 そう……!

 びっくりしたこと、それはひと、をだ。

 目がひたすらテンになる中堅芸人は、頭の中が余計に真っ白になった。


「…………ああ、? お疲れ様でした。なんだかひどく慌ててるみたいでしたが、何かあったんですか? ??」


「は? え、ええ?? なんでしゃべれるの、ひとの言葉? て、ま、まさか……お、おお、???」


 ハトが実際に豆鉄砲まめでっぽうくらったらきっとこんな顔をするんだろうみたいな絶妙な表情でおそるおそる聞く鬼沢に、どうやら日下部らしきクマのバケモノは大きな頭をただちに、とうなずかせた。

 当たり前みたいな調子でまたひとの言葉を吐いてくれる。

 見た目、……!


「はい。いやだって、他に誰がいるって言うんですか? ここで待っていると言ってたじゃないですか、おれ。何をそんなに驚くことがあるんですか?」


 いかにも不思議そうに太い首を傾げるのに、だが全身が総毛立つ鬼沢は、ろくすっぽまともなリアクションが取れない。

 それははたから見ていてもパニック必至の光景だった。


「な、なっ、ななな、なんだよそれ、ふざけてるだろ? なんかのだったりするのか、やけに金がかかってるけど、でないと納得のしようがない!」


 完全に腰が抜けてその場に脱力したきり、途方に暮れるお笑い芸人だ。

 こんな困惑することしきりの先輩に、後輩のお笑いタレントはにべもない調子で言ってくれる。


「ドッキリじゃないですよ。だってこんなの、局の放送コードに引っかかるでしょう? コンプライアンス的にも、完全アウトじゃないんですかね、いくらこのおれがオフィシャルなゾンビのアンバサダーでも?? 本来は人目には触れさせちゃいけないってこの姿ですから……」


「本来はって、ほんとに日下部なのか? どうして?? どう見たってそんなの…………


「ま、ものは言いようですよね? 話を円滑に進める以上、やむなくこうしてこの姿をさらしているわけですけど、アンバサダーの性格上、この姿で活動することもままあるんですよ? もちろん、それは鬼沢さんも同様です……!」


 目を白黒させるばかりのお笑い芸人に、こちらもお笑い芸人にして今やクマのバケモノは、みずからのぶっとい手を差し出してくる。


「そのままじゃあれですから、どうぞ立ち上がってください。お話しましょう。なんならお茶でも飲んで?」


「あ、え、いや、何ものどを通らないよ。あ、ありがとうっ、おまえ、すごいな、ほんとに日下部なのか? はあ、、だったっけ?? いやはや、こんなことになっちゃうんだ……」


「あいにくちゃんと生きていますけどね。してます。それでは早速、お返事聞かせてもえらますか? 鬼沢さん、このおれと一緒に、オフィシャル・ゾンビのアンバサダーになってもらえますよね? 見ての通りでおれはここまでさらしています。だから鬼沢さんも……」


 まじまじと相手の姿を見つめて暗い顔つきになる鬼沢は、その苦い目つきをよそへと投じる。それから嫌々でまた目の前のバケモノ、もとい日下部に向き直って、言えることだけを言った。


「なんだよ、もう……! いや、それよりまずは俺のトートバッグ、返してよ。さっきからずっと握りしめてるけど、お前に預けたような覚えはありゃしないぞ? だから、れっきとしたブランド物なんだからな! おいっ、返せよ?」


 利き手の逆でしっかりと保持したままの私物の所有権を主張してやるに、相手は聞く耳持たないとばかりに黙り込む。

 さながらにしているみたいにだ。

 この眉間みけんに深い縦ジワが寄る先輩芸人は、いっそ力ずくで取り返してやりたい気分だが、やるだけ無駄なのを察してため息と舌打ちまじりに言った。

 ほんとにイヤイヤでだ。


「はあっ……ち、わかったよ! なるよ、なればいいんだろう、! なんのことかさっぱりだけど、あと今のおまえもわけがわかんないけど、そいつになればいろいろと保証してもらえるんだろ。ちゃんと責任取れよな! あと返せ、俺のバッグ!!」


 憮然ぶぜんとした顔で右手を差し出すのに、するとこれにはすんなりと私物のバッグが突き返されてくる。

 見上げるクマは満面の笑みであるのがわかるが、それがまたおっかなかった。


「あは、良かったです! もうちょっと強硬な手段を取らないとダメかと思っていたんですけど、さすがは鬼沢さんw 世間一般のイメージと一緒で、それはとっても物わかりがいいひとですよね?」


「おい、さんざっぱらおどして人質まで取っていただろう? 中身、元のまんまだよな? 一応確認するから、あっち向いてろよ」


「見られちゃまずいものでも入っているんですか? 興味ないから見やしませんよ。、意味ないです」


「は? なに言ってんの?? て言うか、おまえが言うアンバサダーってそもそも何?? 何すればいいの?? 俺、こう見えてわりかし売れっ子のタレントさんだから、そんなにヒマなんてありゃしないよ?」


「わあ、うらやましいですね、そういうのしれっと言ってのけられちゃうの! さすがは鬼沢さん。でも心配ないです。時間はちゃんと都合を付けてもらえますから。が入った場合は、ギャラはむしろしますよ。仕事も代わりのひとが担ってくれますし。昨今のコロナ騒動以降、その手の対応はみんなお手の物でしょうw」


「は~ん、事務所も局もきっちりと現場対応してくれるんだ? まさかダマでは無理だもんな、こんなわけがわからないこと! て言うかさ、おまえ、ほんとに何がどうなって、そんなことになってるんだよ?」


「ああ、まあ、それはこれからわかることです。イヤでも。ええっと、そうだ、まずはアンバサダー就任の特典の付与からいきましょうか? では、はい!」


「は? なにこれ?? これっておまえのだろ? もらえんの??」


「違います。特典を交付するのにこれが必要なだけです。つまりは、……!」


「は??」


 いまだ他に人気のないフロアと楽屋で、おじさんとバケモノのドタバタはさらなる混迷を深めることとなる。

 哀れ、中堅お笑い芸人の明日は、果たしていかなるものが待ち受けるのか?




        ※次回に続く……!

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