地味で小柄な幼馴染が、とんでもない「秘密の書架」を抱えている件。~文系女子と陰キャの俺がBLから始まる恋に落ちるまで~

静内(しずない)@救済のダークフルード

第1話 再会は、窓際の席で


 高校の入学式。真新しいブレザーの、まだ生地が硬い窮屈さに肩を回しながら、俺、篠塚遼は掲示板のクラス名簿を指でなぞった。


「一年B組……よし、あった」


 教室に入ると、春の温い風にのって、ワックスの匂いと誰かの制汗剤の香りが混ざり合って鼻をくすぐった。自分の名前が書かれた名札を探し、教室の奥へと進む。運命の神様は、どうやら俺に味方してくれたらしい。割り当てられた席は、窓際の一番後ろだった。


「最高だな。ここなら授業中、誰にも邪魔されずに外を眺めていられる」


 これからの三年間、どんな青春を謳歌してやろうかと意気揚々と椅子を引いた――その瞬間、隣の席に置かれた名札が目に入り、俺の心臓が不自然な跳ね方をした。


『本間 菫』


 その四文字を見た瞬間、脳裏に古い、けれど鮮明な記憶が溢れ出した。  本間菫。小学校の頃、雨の日も雪の日も、俺の隣を歩いて一緒に登校していた幼馴染だ。  だが、中学に上がると同時に、俺たちの縁はぷっつりと断ち切られた。彼女は静かな文系クラス、俺は騒がしい運動部。廊下ですれ違っても、お互いに気まずそうに視線を逸らすだけ。そんな冷え切った関係が三年も続いていた。


 それが、まさか高校初日の、しかも隣の席で再会することになるなんて。


「…………よっ」


 既に席についていた彼女に、俺は努めて軽く、陽気なトーンを装って声をかけた。  菫はびくりと、小動物のように肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。分厚い文庫本から視線を外し、俺と目が合った瞬間、彼女の瞳が揺れる。


 ……変わってないな。  中学の時よりも少しフレームが太くなった気がする黒縁の眼鏡。その奥にある瞳は、夜の湖のように深く、どこか寂しげだ。髪は肩より少し下の長さで、艶やかな黒髪が内巻きに整えられ、彼女が動くたびにふわりと石鹸のような清潔な香りを運んでくる。


 一言で言えば「地味」。あるいは「模範的な文学少女」。  小柄な彼女には、指定のブレザーは少しサイズが大きいようだった。華奢な肩からずり落ちそうな袖口から、白く細い指先がのぞいている。だが、その控えめな全体の印象とは裏腹に、ブラウスのボタンがどこか窮屈そうに横に引っ張られているのを見て、俺は思わず喉を鳴らした。三年の月日は、彼女を確実に「女の子」へと成長させていた。


「……久しぶり、篠塚くん」


 鈴を転がすような、けれど消え入りそうなほど小さな声。その「篠塚くん」という余所余所しい響きが、俺の胸にちくりと刺さった。


「なんで名字なんだよ、菫。俺は遼だろ?」


「……もう高校生だもの。それに、私たち、中学ではほとんど……一度も、話さなかったじゃない」


 眼鏡の奥で、彼女の長い睫毛が伏せられる。その羞恥に染まった頬の薄桃色が、あまりに無防備で、俺は椅子に座り直しながら強引に言葉を続けた。


「関係ねーって。小学校の時は呼び捨てだったろ? ほら、呼んでみて。遼、って」


「……わかった。遼、くん。これでいい?」


 しぶしぶといった表情で、彼女が俺の名前を呼ぶ。三年前よりも少しだけ低く、けれど柔らかな甘さを帯びたその声。俺は鼻の頭を指で擦り、窓の外へ視線を逃がした。心臓の音がうるさすぎて、平静を装うのがやっとだった。


 それからの学校生活は、驚くほど自然に昔の空気を取り戻していった。消しゴムを貸し借りしたり、先生のどうでもいい雑談に、二人でこっそり目を合わせて忍び笑いを漏らしたり。菫の、笑う時に少しだけ口元を袖で隠す癖が、昔と変わっていないことに気づくたび、俺の胸は温かな熱を帯びていった。


 だが、運命の歯車が真の音を立てて回り始めたのは、二日目の放課後。


 体験入部を終え、首にかけたタオルで汗を拭きながら教室に戻ると、西日に照らされた窓際の席に、菫が一人で残っていた。


「あれ、菫、まだいたのか?」


「あ、遼くん……うん。本を読んでいたら、少し時間が経っちゃって」


 彼女が大切そうに胸に抱えている文庫本。そのタイトルを見ようと俺が顔を近づけると、菫は「ひゃっ」と短い悲鳴を上げて、それをカバンの中に押し込んだ。その時、彼女の細い指先がわずかに震えていたのを、俺は見逃さなかった。


「なあ。帰る道、一緒だろ? 一緒に帰ろうぜ。……断るなよ?」


「えっ? でも、遼くんは……友達と約束とか……」


「今日はいない。お前んち、図書館の裏の細い道を通った方が早いんだろ。俺も同じルートだ。ほら、行くぞ」


 驚いて目を丸くし、眼鏡を指で直す彼女を半ば強引に立たせ、俺たちはオレンジ色に溶け始めた通学路を歩き始めた。小学校の頃、毎日歩いた道。だが、今は隣を歩く彼女との距離が、あの頃よりもずっと近く、そして遠く感じられた。


 沈黙を破ったのは、菫の方だった。


「ねえ、遼くん。野球部……頑張ってね。遼くん、昔から運動神経よかったし、きっと活躍できるわ」


「おう、サンキュ。菫は文芸部に入るんだろ? 本ばっか読んでるし、お前にはぴったりだよな」


 何気ない、励ましのつもりだった俺の言葉。だが、菫はその瞬間、ピタリと足を止めた。風に煽られた黒髪が菫の顔を半分隠し、眼鏡の奥で瞳が怪しく、そして熱烈な光を宿す。


「……文芸部って、みんながみんな、夏目漱石や太宰治みたいな『真面目な文学』を求めてるわけじゃないのよ、遼くん」


 その声は、震えている。だがそれは恐怖からではない。内に秘めた、抑えきれない情熱……あるいは、もっと濃密で「危険」な何かが、彼女の華奢な身体を突き抜けて溢れ出しているようだった。


「おおい、菫……?」


「…………なんでもない。ごめんなさい、今の、忘れて」


 菫は顔を真っ赤に染め、俯いたまま早足で歩き出した。  夕日に照らされた彼女のうなじ。そこに張り付いた一筋の黒髪と、潤んだ瞳の横顔が、地味な文学少女という枠組みを軽々と超えて、俺の心に深く突き刺さった。


(なんだ……今の。菫、あんな顔するやつだったっけ……?)


 心臓の鼓動が、部活の全力疾走の後よりも激しくなる。  ただの幼馴染。地味で大人しい、本が大好きな女の子。  そう思っていた俺の認識は、彼女が見せた一瞬の「熱」によって、音を立てて崩れ去った。


 俺はまだ知らない。  彼女が大切そうに隠している文庫本の中身が、俺という「騎士」を翻弄する、甘美で過激な妄想の詰まった小説であることを。そして、その「秘密の宇宙」を共有した瞬間、俺の日常が、彼女を『攻め』る快感と甘い囁きに支配される狂騒曲へと変わってしまうことを、俺はまだ、全く気づいていなかった。



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