第3話 ドミニクやテオあたりが大爆笑するかもな

窓から鳥の鳴き声が聞こえる。

ピーチク、パーチクと楽しそうだ。

俺も飛べたなら、楽しい気分になるのだろうか?

いや……落ちることを気にして、楽しめないのかもしれねえな。

心配性じゃあ、空を飛ぶのも大変だ。

まあ、それも俺らしい。


朝、目を覚ます。


左手を確認する。

……ある。

左手がある!

動く。

左手が動く。


あれは夢じゃなかった。

木の女神メルフェイーナ。

それに聖女……

聖女ね……


俺の右側、赤ん坊ではあるが、聖女はいる。

んだが……成長している?

身長が少し大きくなっているように見える。

髪の毛は伸び、可愛らしくなった……かな?


どういうことだ?

ああ……女神様が言っていた、少し育てやすいってやつか。

おっさんの俺に、乳飲み子の世話なんて無茶だと思ったんだよな。

せめて離乳食だよな。


エルマさんがティムを育てていたときは、そりゃあ大変そうだと思っていた。

女手一つで、子育てと宿の仕事だ。

俺たちも少しだけ手伝ったんだが、エルマさんは見る間にやつれていったっけか。

もう、ティムも大きくなり、一安心だが、しかし、あのときは本当に心配だったぜ。

エルマさんもそのときは神経質になっていたしな。

今はよく笑うようになって、ほっとしている。

本当に、よかったよ。



さて、聖女という存在についてだ。

今後も成長が普通の人間と違うのか?

それは人間ではないってことだろうか……

女神から預かった生命だよなあ。


俺の少ない、聖女関連の知識を思い出す。

昔話や、人伝いに聞いた話くれえだがな。

物語では普通の人間として語られていたと思う。

その物語には聖女の成長については語られていない、か。

物語は勇者を中心に展開する。

そのパーティに聖女が参加する。

勇者と聖女は恋に落ちる。

魔王を倒し……

結末はいくつかあったように思う。

勇者と一緒に末永く暮らす。

もしくは聖女のその後は語られない。

そちらの場合、勇者は王女あたりと結婚し、国王になることが多い。

どちらにせよ、聖女の成長は語られていない。


「う、あ……」


お、聖女が目を覚ます。

目を開ける。

綺麗な青い瞳。

……さすが、聖女。

将来、美人になるんだろうな。

魔王討伐後、語られないよりは、勇者と幸せになるほうがいい。

美人になって、勇者に好きになってもらえるほうがいいよな。


その瞳が俺を見つめる。


「あー、あー」


手をばたつかせ、顔のほうに持って行ったり、口をしきりに動かしている。

さて、何をしている?

何かを伝えようとしているのだろうか……


「なあーん!」


しばらく見ていると、泣き始めた。

まずい、わからん!

とりあえず、抱きあげて、あやしてみる。

体を揺らしてみればいいのか?


「ああーん!」


しかし、聖女は泣きやまず、泣き声は大きくなる。

あー、どうしたらいいんだ!


赤ん坊ってのは、泣くだけしかコミュニケーションの手段がねえんだ。

それをこっちが解釈してやらなきゃならねえ。

だから、解釈できねえと、ずっと泣いたままじゃねえか。

なあ女神様、だから言っただろう。

俺に育児の経験はないんだって!


「フェルドさん、どうなさいましたか?」


良かった……

泣き声を聞きつけて、エルマさんが来てくれた。


「す、すみません。うるさくして。この子なんですが……」


「え、フェルドさんのお子さんですか……?」


「いえ、話せば長くなるんですが……」


聖女は泣き続けている。


「あら、あら。そうですか、お腹が空いたんですねー」


エルマさんが優しく聖女に語り掛ける。

優しく聖女を撫でる。

母親と赤ん坊、ああ、なんか良いな。

安心する感じがいいと思う。


「この子、柔らかい物なら食べられますよね」


聞かれるが、正直わからない。


「……た、たぶん」


「パンのミルク粥でいいかしら?」


「え、作ってもらえるんですか?」


「いいですよ。別料金ですけどね」


エルマさんがいたずらっ子っぽく笑う。


「お願いします」


正直とても助かった。

エルマさんにはとても感謝だ。

そうか……女神様が言っていた、経験者を頼れとは、こういうことだったのか。

なんだ、少し冷静になって、周りを見渡せば、優しい人がいるんだ。

……エルマさんの他?

……正直、思いつかない。

冒険者仲間にも子供を持っているおっさん連中がいる。

……だが、あいつら子育てしていたのか?

奥さんに任せっきりじゃなかったのか?

ギルドで酒を飲んでいる姿しか思い出せねえんだが。

怪しい奴らばかりだぜ。

俺の人間関係なんて頼りないものだな……



「あう、あう」


聖女が懸命にパンのミルク粥を食べている。


「そっか、そっか。美味しいのね。ゆっくり食べましょうね」


エルマさんが粥を冷ましながら、ゆっくりと聖女の口にスプーンを運ぶ。

そして、俺はエルマさんの代わりに食器や調理器具の洗い物をしている。

ま、たまに手伝いをしてるから、皿洗いはお手の物だ。

最初はエルマさんに「違います。ここ汚れが残っています」とか怒られながらやっていたが、今じゃあバイトリーダーだぜ。

皿洗いと掃除なら任せておけ!

ちと、面倒ではあるがな。

もちろん、顔には出さねえよ。


「この子、フェルドさんのお子さんですか?」


「いや……そうじゃないんですが……。詳細はまだ言えないというか」


「冒険者関連のことですか?」


エルマさんは察しが良い。

旦那さんが冒険者だったので、その辺の理解もある。

今は、もう亡くなってしまったが、あいつは良い冒険者だったんだよな。


「もしかしたら、俺が育てるかもしれないんです」


たぶん、そうなる。

女神様の決定だからな。

が、一応はギルドに連絡しておいたほうがいいだろうと思い始めている。

それは聖女という存在だ。

聖女が必要な時代だということ。

聖女がいるということは、勇者がいるということ。

勇者は魔王がいる時代しかいない。

まあ、どちらが先かという話でもないがな。

一般の人の認識は、魔王が出現したから、勇者が召喚される。

そして、勇者のパーティには聖女が加わるってところだ。

しかし、よく考えると、勇者が召喚される前には、聖女は生まれ育っているんだ。

今はまだ、魔王が出現したという情報はない。

もしかしたら世界の片隅に魔王がいるのかもしれない。

しかし、この国、この街ではそんな話は聞かない。

そんなときに、女神様から、聖女を育てる依頼……

どうしたって、一大事だ。


「そうなんですか……。それで、この子の名前は?」


「え、名前……」


女神様は何も言っていなかった……


「『この子』じゃ、可哀想じゃないですか。名前はないんですか?」


「すみません。聞いてません」


失態だ。

しかし、女神様も悪い。

聖女の名前を教えないなんて。


「……この子の親御さんは?」


「いえ……たぶん、この世界にはいないと思います」


中途半端な言い方だ。

エルマさんは亡くなっていると誤解するだろう。

が、俺もわかっていない。

女神様が親?

少し違うような気もする。

両親がいるなら、両親が育てるのだろう。

そして、一日で成長したことから、普通の人間とは違うと思われる。

女神様が生み出した、とかか……


「そうですか……それなら、フェルドさんが付けてあげたらいいですよ」


「俺、ですか?」


「フェルドさんが育てるんですよね。なら、親代わりということです。名前を付けてあげてください」


また、無茶を……

エルマさんは聖女に微笑みかける。


「ねー名前ほしいよねー。可愛い名前がいいよねー」


「あう、あう」


「ほら、この子もフェルドさんに名前を付けてって言ってますよ」


聖女は手を動かして、パン粥を催促しているように、食い気のように見えるが……


名前、名前ねえ……

女神メルフェイーナ様。

そこからが良いだろうな。

メルフェ……メル……フェイ……イーナ……


「……イーナ。メルフェイーナ様から一部を頂いて、イーナでどうですか?」


「まあ! いいじゃないですか。予想よりずっと良いですよ。イーナちゃん。どう、イーナちゃん」


「だう、だう!」


エルマさん、予想よりってどういうことですかい?

俺の評価はどうなっているんでしょうか?


イーナは手足をバタつかせている。

一応、喜んでいるようには見える。

しかし、こんな簡単に聖女に名前を付けてよいのだろうか?

知らん!

女神様が俺に託したのが悪い。

責任は女神様に丸投げしておこうや。


「あ、フェルドさん。私のやり方をちゃんと見ててくださいね。明日からはフェルドさんがやるんですから」


……エルマさんは優しい。

が、しっかりと厳しくもある。

まあ、こんなおっさんに優しいだけで、貴重な女性だよ。


「あれでも、母ちゃんはフェルドに優しいと思うよ。一番のお気に入りじゃないかなあー」


となりで一緒に皿洗いしているエルマさんの息子ティムだ。

しかし、本当か?

だいぶ疑うぞ。


「ほら、ティム。おしゃべりしていないで。お皿洗いが終わったら、庭木の水やりをお願いね」


ティム君、エルマさんに怒られるじゃないか。


「イーナは聖女様なんだよね? じゃあ、フェルドの腕に世界の平和がかかっているってことか。なんかそんな感じはしないよねー。でも、女神様が選んだんだからしょうがないよね。頑張ってね」


「俺だって、女神様が俺になにを期待してるんだかしらねえよ。やるだけやるよ」


「ふーん、女神さんが選んだんだったら、フェルドが適任なんだろうね。きっと、女神様もフェルドがお気に入りなんだよ」


ティムも最近はずいぶん知識が増えてきたもんだ。

頭が回る、賢い子供に育った。

あんな赤ん坊だったのによ。


ティムは庭の方に出て行った。

俺も怒られないように、仕事を頑張りますか。



俺も朝食を食べ、支度をする。

イーナを抱き上げ、宿を出ようとする。


「あ、フェルドさん、ちょっと待ってください!」


エルマさんに呼び止められる。


「これ、ティムのときに使っていたおんぶ紐ですが……」


子供を支える幅の広い布があり、そこから親の体に括りつける細長い紐が出ている。


「あ、ありがとうございます」


「ずっと抱えているのも大変でしょうから。付けましょうね」


エルマさんに手伝ってもらって、イーナをおんぶする。

……おっさんが、幼児をおんぶ。

しかも、自分の子供でもない。

大丈夫だろうか、この絵面。


「だう、だう!」


イーナは楽しそうだ。

きっと喜んでいる。

イーナは問題ないんだろう。

まあ、俺が恥ずかしいだけ。

それが大問題なんだがな。

小さい街だ。

噂はすぐに広がる。

ドミニクやテオあたりが大爆笑するかもな……

ま、いいや、ヤツらは。


しかし、子供ってのはあったけえな。

朝晩はいいだろうが、昼間は暑そうだ。

……俺、汗臭くねえだろうか?

そういや、子供ってのは汗っかきだったか。

なんか、考えねえといけねえな。


その後、エルマさんにオムツのつけ方を教わった。

まあ、昔、ティムのときに手伝ったことはあったが、ずいぶん前なので忘れた。

思い出すだけなんで、意外とすんなり修得したぜ。


ちょっと、イーナにションベンをひっかけられたが、しょうがねえよな。

幼児だもんな。

んで、体は一歳程度だが、実は生まれて間もねえんだ。

まだまだ、これから経験して、生きていく方法を身に付けるんだろうぜ。



「では、行ってきます」


「行ってらっしゃい、フェルドさん、イーナちゃん」


エルマさんが笑顔で、見送ってくれる。

……これがあるから、この宿を変えられないんだよ。

おっさんのひそかな楽しみさ。

こんなことを思っているなんてバレたら、気持ち悪がられる。

顔には喜びを出さない。

なるべく渋い感じで宿を……


「なー、なー!」


「こら、イーナ! 髪を引っ張るなよ、痛いって!」


エルマさんに笑われながら、宿を出た……



ギルドへと向かう。

道すがら、ステータスを確認する。

ん……?

どういうことだ……


メルフェイーナ様が仰っていた『加護』は確かに付いていた。

称号『聖女の養育者』?

それが称号でいいのか……

効果はなんだろうか?


それはまあいいとして。

ステータスが上昇している。

左手が戻ったことで、多少ステータスが上がるとは思っていた。

が、想像以上だ。

これは『女神の加護』の効果、か?


ふむ、これほど一気に能力が上がったとなると、体を動かして慣れる必要があるな。

自分の力がどれだけかを確認しないといけない。

出力が低いのもいけねえが、急に高くなるのもいけねえよな。


……ああー!!

剣だ。

剣を失くした!

俺のメイン武器。

女神様に言って、拾ってもらったらよかった。

どうしようか……

金がない。

剣を買う金なんて、余裕はない。

残る武器はナイフ一本。

ゴブリンならギリギリいけるか?

いやー、リスクが高え……


前途は多難だ……


「だー、う?」


イーナは気楽でいいよ。

俺の仕事が上手くいかないと、お前もご飯を食べられないようになるんだからな。

少しは協力しろよ……

幼児に言ってもなあ。

しょうがねえな、ギルドに借金するか。

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