政経の過去問

僕と友人のQは、揃いも揃ってお腹が弱かった。まるで僕たちの貧弱な精神が、お腹に反映されているようだった。


 まだ当時高校生だった僕たちは、漠然とした将来への不安といったものを持っていた。それに加えて、受験戦争独特の空気感もあったのだと思う。お腹の中で飼っていた得体の知れない化け物が時折、暴れ出すのだ。


 Qは、僕よりもさらに遠い漁師町に住んでいた。当然のように電車は通っておらず、採算が取れているのかも分からないバスに毎日乗って通っていた。片道1時間半くらいかけていたのだろうか。


 当然、バスは急には止まってくれない。決まったルートを、乗客の人生などお構いなしに突き進む、密閉された鉄の箱だ。その点、自転車通学の僕には、まだ自由があった。いざとなれば、道端の公園やコンビニに駆け込むという選択肢が残されていたのだ。Qには、それすらなかった。


 一度、彼の腹の中の化け物が、人生で最大級の暴動を起こした日があった。それは、受験を間近に控えた、冬の模試の日だった。朝の冷え込みも相まって、教室内にはピリピリとした緊張感が漂っていた。それなのに、試験開始のチャイムが鳴っても、Qの席は空いたままだった。僕たちは、寝坊だろうか、それとも何か事故にでも遭ったのだろうか、と心配していた。


 最初の英語だったか、あるいは数学だったか、もはや科目など思い出せないが、90分という拷問のような拘束時間が終わり、ふとスマホに目を向けると、QからLINEが一件入っていた。「お昼に着きます」という、あまりにも簡素な、しかし彼の無事を知らせるには十分な一文だった。


 昼休憩になり、やつれた顔のQが、まるで戦地から生還した兵士のような足取りで教室に現れた。「腹、やばかったわ」と彼は力なく笑った。


「え、お前バスやん。どうしたん」 僕が聞くと、彼は遠い目をして、事の顛末を語り始めた。案の定、バスの中で限界が来た彼は、運転手に懇願して途中のバス停で降り、人気のない茂みへと駆け込んだのだという。


その光景を想像し、僕は言葉を失った。しかし、一つの素朴な疑問が浮かんだ。 「ティッシュ、持っとったんか?」


 するとQは、こともなげに、こう言ったのだ。 「なかったから、カバンに入ってた政経の過去問で拭いた」


 その瞬間、僕たちの間に流れていた同情や心配の空気は、乾いた笑いへと変わった。


 その日、Qは模試の点数と引き換えに、なにか人間として遥かに大切なものを守り抜いたように見えた。彼が茂みの中で犠牲にした過去問の一枚は、僕たちのどうしようもなく情けなくて、しかし必死だった青春時代の、一枚の象徴的な風景として、今も僕の記憶に焼き付いている。

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