南瓜とバードストライク

髙木寸

坂の多い町と退屈

20代が終わる直前まで住んでいたあの町は、いつだって坂道だった。


心臓が口から飛び出しそうになるのぼり坂と、どこまでも転がっていってしまいそうなくだり坂。町の住人たちは誰もが電動自転車という魔法の箒で、その坂をすいすいすいと上り下りする。それはこの町に住むことを許された者だけが持つライセンスのようで、もちろん僕はそれを持っていなかった。僕は、この町の違法滞在者だったのかもしれない。


この地を選んだのは、積極的な理由よりも消極的な理由が勝ったからだった。都心へのアクセスも絶望的なほど悪くはない、それでいて家賃は安い。


「なんでわざわざ遠いところに住んでるん?」と聞かれるたび、「田舎出身やから、ごちゃごちゃした都会に住むのはなぁ」などと、もっともらしい理由を並べていた。その度に「アホか、お金があれば都会に住んどるやろ」と、心の中でもう一人の僕が冷たくつっこんでいた。


正直にいってしまうと、約4年間の生活でこの町に思い出と呼べるものはほとんどない。仕事で疲れ果てた身体を引きずって、ただ寝るために帰ってくるだけの場所。


顔を上げると冬は山が白く染まっていたし、夏は駅前の祭りで浴衣を着た男女が浮かれていたのに、その風景はいつも僕を素通りしていった。この町でお酒を飲むこともほとんどなく、当然、知り合いや友達ができるはずもなかった。


ただ一人、行きつけの美容院のお姉さんだけが、僕がこの町に存在していることを証明してくれる唯一の人間だった。彼女は僕のどうでもいい話に「へえ、大変ですねえ」と、心の底からどうでもよさそうな相槌を打ってくれ、それがとても心地が良かった。しかし、その彼女も「産休に入るんです」と、ある日突然、僕の世界からいなくなることを告げた。「え、まじっすか。おめでとうございます」と口では言いながら、僕とこの町を繋いでいた最後の細い糸が、ぶつりと音を立て千切れていった。これで、僕を知っている人間は、この町から完全に消滅した。僕はついに、この町で幽霊になった。


ネットでこの町の名前を検索すると、決まって「ファミリー層にオススメの町」という言葉が目に飛び込んでくる。なるほど、確かに。公園からは子供達の甲高い笑い声が聞こえ、スーパーの万台は夕方になると、幸せを絵に描いたような家族連れで溢れかえる。『ファミリー層にオススメ』というのはつまり、僕のような一人で完結してしまっている人間は、その町の、その物語の、登場人物ではないのだ。


この夏、僕は4年住んだこの町を出る。イヤホンからはラッキーオールドサンの「坂の多い町と退屈」が流れている。不動産屋の男が、薄気味悪い笑顔を貼り付けながら言った。「この町はファミリー層が多いので住みやすいですよ」。その言葉を聞いた瞬間、僕は途方に暮れた。きっと次の町でも、僕は幽霊のままなのだ。


夕暮れ、子供を背負い、かごにネギの頭がはみ出したスーパーの袋を入れた電動自転車が、僕の横を猛スピードで追い越す。その姿をただぼんやりと眺めながら、僕が本当に住むべき場所は、いつだって「次の町」なのかもしれない、と思った。そこにはただ、退屈で緩やかな坂道が、どこまでも続いているだけだった。

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