第六章:状態異常“やけど”

朝。


例によって信者どもが教団の門をくぐり、順番待ちの札を握りしめて廊下に並んでいる。

外は晴れ、境内の白い石畳に日が射している。

だけど俺の頭の中は、どうにも晴れない。



──あいつの視線だ。



あの女、九条凛。どこにいても必ず俺を見てやがる。

信者の群れの隅、部屋の隅、ちょっと油断した瞬間、必ず“じっ”と、まるで一手の隙も逃すまいと見張っている。



最初は気味が悪いと思った。ただの感謝や崇拝じゃない。もっと、泥のような“執着”だ。


「神子様、おはようございます」


すれ違いざま、他の信者と同じ挨拶をしてくる。

だけどあいつだけは“おはよう”の言い方が違う。

生きてるのか死んでるのかわからない、乾いた声。

でも、瞳だけは爛々として、俺の一挙手一投足を記憶しているみたいだった。



こっちが避けても、向こうは一歩も引かない。

廊下の端からじっと睨んでる。


俺が相談室から出ると、少しだけ体を起こし、確実に俺の目に入る場所に移動してくる。


「なあ、しつこいぞ。お前、仕事探せって言っただろ」


思わず声をかけると、凛は顔を上げ、いつもの信仰深い目で俺を見る。


「……神子様に見放されたら、私は……」


「はあ? 俺はそんな大層なもんじゃねえよ」


「いえ、あなたは、私の“やり直し”の唯一の手段ですから」



面倒くせぇ。ほんとに面倒くせぇ。



けど、その“面倒くさい”という感情の裏には、妙な引っかかりが残っていた。


「恩を仇で返すどころか、ファンシーなストーカーにまで昇格しやがって……」


苛立ちとともに、どこかで“俺だけはこいつを突き放しきれない”という感覚があった。

他の信者はどうなろうと知ったこっちゃない。

けど、こいつだけは、たぶん、本当に放っておいたら自分を壊す。



その理由を俺はずっと言語化できなかった。



~~~



ある日、凛が教団の片隅でじっと動かず座り込んでいるのを見つけた。

薄汚れた長袖から包帯が覗いている。少しだけ袖が捲れた瞬間、見えてはいけないものを見た気がした。

赤く爛れたような火傷跡。あきらかに古傷だ。


「……なんだそれ」


凛は袖を引き下ろして目を逸らす。


「昔のことです」


「親にやられたのか」


凛は少しだけ唇を噛んだ。でも、否定しなかった。



──その瞬間、俺の胃の腑に、鉄の塊が落ちたような痛みが走った。

視線が定まらねぇ。


(……親の望む「奇跡の子」になれと、アイツらに磨き上げられた俺と、何が違う?

 彼女は、身体に焼き付けられた。俺は、魂に、あの忌々しい白と金の衣装を縫い付けられただけだ)



この女の“リセット癖”は、単なる逃避なんかじゃない。



こいつは、本当に現実から消えたがっている。

俺みたいな“偽りの救世主”じゃなくても、誰かが本気で手を差し伸べないと、多分、本当に自分で終わらせる。


その確信が、痛いほどリアルに喉元までせりあがる。



それでも、俺はやっぱり“神子”でいるしかない。

白い衣装も、完璧な笑顔も、全部このクソみたいな役割の一部だ。



だが、俺は“神子”であり“神”じゃない。



こんなに皮肉で、腹立たしいことはなかった。

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