軍人令嬢登場

 昼下がりの講堂。

 窓から差す陽が、整然と並ぶ長机の木目を淡く照らしていた。

 訓練生たちは、妙に背筋を伸ばして座っている。

 普段の泥まみれ訓練とは違う――

 まるで「王族対応実習」の空気だ。


「――君たちはいずれ、外交や通訳、護衛の任務に就くこともあろう。魔法使いは、ただの戦闘員ではない」


 講壇の前に立つのは、いつものアラン。

 黒の礼服に王国章のバッジ。

 その立ち姿は、鋼鉄の静寂を纏っていた。


「異世界の貴族と食事をともにすることもある。マナーがなっていなければ、恥をかくのは君たち全員だ。」


 訓練生たちの表情が一斉に引き締まる。

 莉音が小声でぼやいた。

「なんか今日のアランさん、外交官っぽくない?」

 美月が机の下でユウの袖を引っ張る。

「お兄ちゃん、ナイフとフォーク、どっちが左?」

「知らん」

「地球代表でそれはダメ!!」


 アランが淡々と続ける。

「貴族社会は“沈黙の会話”で動く。声が大きい者、感情を露わにする者は“下層”と見なされる――」


 その瞬間、扉が**バァン! と開いた。


「――ごきげんよう! アラン、今日の講義ってここで合ってるのかしらッ!」


 銀灰の髪が陽光を跳ねた。

 上質な軍服仕立てのドレスに、肩章めいた飾り。

 抱えているのは――訓練用の小銃。


「クラリーチェ・フォン・アルトリウス殿下……」

 アランの声が、わずかに低くなる。


 講堂が凍りつく。

 アーヴェリス王国でも名高い侯爵家の令嬢にして、軍制改革派の象徴。


 そんな彼女が、まるで少女のように目を輝かせた。

「この照準器! なんて洗練されているのかしら! まるで恋をしたみたい!」


「……恋?」

 美咲が呆気に取られる。


「恋! ええ、わたくし、ハンニバル様に恋しているの!」


「誰!?」


「戦略の巨人よ! トラシメヌス湖畔で敵を霧の中に誘い込み、退路すら“芸術的沈黙”で封じたあの殿方! あの瞬間――地形が恋に堕ちたのですわ! そして私も!」


 クラリーチェは天を仰ぎ、両腕を広げる。

「敵軍は湖を背にした? 違うわ、湖が彼を包み込んだの! “環境と意思の婚姻”――それが戦場の愛ですわ」


 訓練生たちが固まる中、彼女は息を吸って続けた。

「そして、カンナエ!」

 ビシィッ、とユウたち訓練生の方を指差す。

「カンナエ――あの半円、あれは単なる両翼包囲ではないの。軽歩兵・騎兵・重装歩兵が、圧力と緩衝のリズムで“敵の呼吸”を奪っていく。あれは指揮官の心拍が編み出した“有機的戦列”ですわ! 包囲とは恋! 逃げられぬ距離で、相手の選択肢を奪う――それは“理性で愛する”ことと同義ですの!」


 訓練兵の頭には次々はてなが浮かぶ。「カンナエ?」「単なる両翼包囲ではないの。って、両翼包囲って何……?」「zzz……」


 アランがこめかみを押さえる。

「クラリーチェ殿下、講義中です。銃を振り回さないでください」

「でも聞いて、アラン! カルタゴ本国がね、ほんとダメなのよ! 補給も予算も送らない! あんなの戦略家殺しですわ! ローマなんて、市民全員で“再装填”してくるというのに!」

 美月がユウの脇を小突く。

「お兄ちゃん、『かるたご』ってなに?」

「すまん、日本史選択なんだ」

 クラリーチェは止まらない。

「ローマ人はね、野営地を一晩で築き上げるの! あれはもう“軍団という建築芸術”ですのよ! なのにカルタゴは財務会議が長すぎて軍議が始まらないんですの! 戦略の敵は官僚制ですわ!」

「……永遠の真理ですね。戦場も会議室も、敵は同じというわけですか。ですが、講義中です」

「ごめんなさいっ♡」


 その♡が爆発した。男子訓練生たちが一斉にむせる。

 莉音が小声で囁いた。

「ねぇ、あれが“本物の貴族”?」

「多分……誰も追い出さないし……なんなら恐れおののいているし……」

 ユウが歯切れ悪く答える。

「それ、ただ怖がられているだけでは」


 それでもクラリーチェの勢いは止まらない。

 彼女は小銃を掲げ、まるで詩人のように叫んだ。

「見て、この造形美! わたくし、“カンナエの円”を銃器で再現したくてたまらないの! 未来の戦争は、詩と物理学の融合――“戦略的ロマン主義”の時代ですわ!」


 アランがため息をつく。

 それは「負け戦を悟った将軍」のため息だった。


 講義が終わる頃、誰もが放心していた。

 というよりも、そのまま近代用兵理論――クラウゼヴィッツ? だのなんだの話をし始めようとしたところで、彼女の従者らしき老紳士に引きずられながら教室を出ていった。

 机の上には、彼女が残した“包囲戦略略図”と、詩のようなメモ。

 ――『包囲は愛、撤退は美学。カルタゴは滅びてなおロマン。でも、滅ぶべし』


 美月がぼんやりと呟いた。

「……今日の授業、マナーじゃなくて戦争でしたね」

 鷹真がうなずく。

「しかも勝ってない」

「カルタゴ本国が悪いのよ!」莉音が真似して笑う。


 そのとき、窓際でアランが静かに言った。

「……あの方は、あれで礼儀正しい。“誰にも頭を下げさせないだけの才覚”があるからな」


 彼の横顔に、疲労と尊敬が同居していた。

 夕陽が小銃の金属を照らす。

 クラリーチェが置いていったそれは、彼女の情熱の残光のように光っていた。


 こうして訓練生たちは一つ学んだ。


 ――本物の貴族社会では、常識よりも“理論”が支配する。

 そして、講堂に残ったのは、アランの沈黙と、クラリーチェの残した“戦略という名の恋”だった。

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