女子会

 夜の訓練所は静かだった。

 外では夜間警備灯が霧に滲み、淡い橙色の光が雲母のように揺れている。風すら息をひそめていた。


 女子寮の一室。

 四人が机を囲む姿は、戦場育ちの少女たちではなく――ただの、年頃の少女そのものだった。


 莉音は毛布を羽織っている。

 白地にちいさな星座模様が散る“夜テンション専用ブランケット”。

 肩からずり落ちた毛布が、彼女の首筋をちらりと覗かせ、ひらひら揺れるたび、銀糸みたいな光が布に走る。


「でさー! マジで今日、足まだ震えてるんだけど!」


 彼女がマント毛布をばさばさ揺らして両足をさするたび、ショートパンツの裾からのびた素足がひんやり赤くて――痛々しいのに、どこか庇護欲を掻き立てる。


「射撃の前にまず“筋肉痛にならない魔法”教えてくれって感じ!」


 美咲はきれいに畳まれた訓練ジャージの上に、淡いクリーム色の薄手カーディガンを羽織っていた。

 胸元の小さな猫の刺繍は、明かりを受けてちょこんと光っている。

 手に持つマグカップの縁がかすかに揺れ、彼女自身のかよわい震えと重なった。


「莉音ちゃん、あなた途中で“もう帰る”って言ってませんでしたっけ?」


 その声は控えめなのに耳に残る。

 まるで柔らかい毛糸玉が転がるみたいに、静かであたたかい響きだった。


「言った! でも帰れなかった! 地獄!」


 美月はベッドに腰かけ、足をぶらぶらさせながらココアを混ぜている。

 淡い桜ピンクのパーカーは、袖口にふわふわのボアがついていて、手首が動くたびそこだけ春みたいに柔らかく揺れる。

 混ぜるスプーンの音がかちゃりと響き、パーカーのすそが少し上がって覗く膝が、夜気に照らされてぽん、と白く灯って見えた。


「まあ、帰れたら訓練じゃないしね~」


「そういえば、美月ちゃんの班って戦闘班と一緒のとこでしたよね?」


「うん。兄ちゃんがね、今日ちょっとすごいことしたんだよ」


「すごいこと?」


「なんか……撃つ前に当てた」


「え? なんですかそれ……?」


 美咲がマグカップを落としそうになり、慌てて胸元で抱きとめる。

 その仕草が妙に乙女めいていて、部屋の空気が少し和らいだ。


 美月は肩をすくめて、湯気を覗き込んだ。

 その横顔は、兄への尊敬と不可解さが入り混じった複雑な揺れを宿している。


「“因果が逆転した”とかエリュナ先生が言ってたけど、本人は“わからない”って。ほんと謎」


 しずくが静かに紅茶を口にした。

 紺の長袖ニットに黒タイツ――唯一、きちんとした服装の彼女は、灯りに縁どられて影がほっそり長い。

「……神名くん、やっぱりおもしろい」


 淡々とした声の奥にだけ、ほのかに火が灯る。


「時守ちゃんって、神名兄妹と同じ学校だったんだっけ?」


「同じクラスでした。……いいえ、大親友でいつも一緒にワルしてました」


「ええ!? ユウってそういう人だったんだ……」


「嘘です」


 紅茶のカップを静かに置くしずくは、表情をまったく変えない。

 それがかえって、妙に可笑しくて、妙に美しい。


「この人、ほんと掴み所がないなぁ……」


「~~~めんどうくさくなっちゃった! はいはい、難しい話は終わり!」


 莉音がぱん、と両手を鳴らすと、星座柄の毛布がふわりと舞った。


「せっかくの自由時間なんだから、ガールズトークしようよ!」


「……また始まった」


「いいじゃん! じゃあ質問! みんな、好きなタイプ!」


「えっ!? い、いきなり!?」


 美咲の頬がりんごみたいに赤くなって、猫刺繍の上で両手をもじもじさせる。


「あーしはねー、優しくて背が高くて筋肉あって~」


「めっちゃ具体的だな!」


 美月が吹き出し、ベッドを軋ませる。


「でも、莉音さんの好みわかりやすいわ。鷹真くんでしょ?」


「なっ……!?」


 毛布ごと身体を跳ね上げてしまう莉音。

 星座柄がぶわっと舞い上がり、天井の灯りに星が弾けたように見える。


「声のトーンが1オクターブ上がった、でも正解は教官ですね」


「うわー! 適当すぎる!」


「……私は、話していて静かな人がいいです」


 美咲の声は本当に細くて、しずくの紅茶の湯気に溶けて消えそうだった。


「そ、それって直人!? ま、まさかの理論派カップル!?」


「わ、違いますってば!」


「じゃあ、しずくさんは?」


 視線が一斉に集まった瞬間、部屋の空気がそっと息を飲む。


 しずくは紅茶の表面に揺れる灯りを見つめ、胸の奥に沈めていた何かを、ひとつだけ浮かべるように呟いた。


「――“ユウくんみたいな人”」


 静寂。

 その一秒だけ、夜気が窓辺で止まった。


 けれど莉音がすぐに明るく笑い、毛布を広げて座り直す。


「えっなにそれ! ユウくんではないってこと!? そういうのズルくない!?」


 笑い声が夜の空気に弾む。

 窓の外では、警戒灯が霧に滲んでゆらりと揺れた。


 明日になればまた地獄の訓練が待っている。

 それでも――今だけは、彼女たちはただの少女でいられた。

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