第24話 香料ギルドの当主と見えざる敵意
「―――では、共犯者殿。参りましょうか」
翌朝。
レオニード様は、まるでこれから優雅な観劇にでも出かけるかのような涼しい顔で、私にそう言った。
共犯者、という響きに、私の背筋がぴんと伸びる。
そうだ。昨夜、私たちは誓ったのだ。
彼の野望と、私の未来。二つの目的のために、共に戦うと。
「はい。よろしくお願いします、レオニード様」
私は、腕の中のユキをクロードさんに預けた。
彼は何も言わず、ただこくりと頷くと、ユキを慣れた手つきで抱きかかえる。その無言の信頼が、これから戦場に向かう私にとって、何よりのお守りになった。
「クロードさん、ユキをお願いします」
「…ああ。心配するな」
短い言葉。でも、それで十分だった。
私は、レオニード様と共に、大商人ギルドの豪華な馬車に乗り込んだ。
目指すは、王都の経済の中心地、『商業ギルド連合本部』だ。
◇
「……」
馬車に揺られながら、私は窓の外に広がる王都の街並みを、改めて呆然と眺めていた。
昨日見た光景よりも、さらに洗練され、活気に満ちている。
道行く人々の服装は、辺境の村では一生お目にかかれないような、上質な生地で作られたものばかりだ。
(レベルが…違いすぎる…)
バルトロ男爵の屋敷が、この街ではただの『普通の家』レベルに見える。
こんな場所で、本当に私は戦っていけるのだろうか。
ユキノシタ村という、小さな、でも温かい世界しか知らなかった私にとって、この王都はあまりにも巨大な怪物のように思えた。
「緊張していますか、リリアさん」
隣に座るレオニード様が、私の心中を見透かしたように尋ねる。
「…はい。少しだけ」
「無理もありません。ですが、貴女がこれから戦う相手は、この街そのものではありません。この街を牛耳る、古く、そして狡猾な権力です」
彼は、窓の外にそびえ立つ、ひときわ荘厳な建物を指さした。
白い石造りの、まるで神殿のような建物。それが、商業ギルド連合の本部だった。
「今日、貴女はおそらく一人の男と会うことになるでしょう。名を、エルネスト・ド・ヴァリエール。王都の香水や薬草の流通を牛耳る、『香料ギルド』のギルドマスターです」
「香料ギルド…」
「ええ。我々改革派とは、長年対立している保守派の重鎮…。言うなれば、古狸です。貴女の石鹸は、彼のギルドの市場を、根底から脅かす可能性がある。…心しておいた方がいい」
レオニード様の忠告に、私はごくりと喉を鳴らした。
馬車が、神殿のような建物の前で静かに止まる。
いよいよだ。
私の、最初の戦いが始まる。
◇
ギルド連合本部の内部は、外観以上に、権威というものの匂いが充満していた。
磨き上げられた大理石の床に、コツ、コツ、と私たちの足音が響く。
壁には歴代ギルドマスターたちの肖像画がずらりと並び、まるで私たちを値踏みするように、無言の視線を投げかけているようだった。
(うわぁ…空気が重い…! 役所より百倍くらい重いぞ、これ!)
レオニード様は、そんな威圧的な雰囲気に臆することもなく、堂々とした足取りで受付カウンターへ向かう。
「新商品発表会の事前登録に来た。ユキノシタ村生産組合、代表リリア。後援は、大商人ギルドだ」
彼の言葉に、受付の職員は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに愛想の良い笑みを浮かべて手続きを始めた。
その、手続きが終わるのを待っていた、まさにその時だった。
背後から、穏やかで、しかしどこか粘つくような老人の声がかけられた。
「おやおや。これはこれは、ヴァレンティス卿。このような場所で会うとは、奇遇ですな」
振り返ると、そこに立っていたのは、上等な絹のローブを身にまとった、白髪の小柄な老人だった。
柔和な笑みを浮かべてはいるが、その細められた瞳の奥は、全く笑っていない。
レオニード様が、小さく息を吐いた。
「…エルネスト卿。ご機嫌麗しゅう」
(この人が…香料ギルドのギルドマスター!)
エルネストと呼ばれた老人は、レオニード様の挨拶には答えず、その探るような視線を、私へと向けた。
「ほう。して、こちらのお嬢さんが、近頃噂の…? 辺境からいらっしゃったという、『雪解けの聖女』様でございますかな?」
その言葉遣いは丁寧だった。
だが、『辺境』『聖女様』という単語を、わざとらしく強調する響きに、私は全身の肌が粟立つのを感じた。
見下されている。
明確に、侮蔑されている。
「ご紹介します。彼女はリリア殿。我がギルドが総力を挙げて支援する、新しい組合の長です」
レオニード様が、私を庇うように一歩前に出る。
しかし、エルネスト卿はくつくつと喉の奥で笑った。
「組合の長、でございますか。素晴らしい。いやはや、実に素晴らしい『生活の知恵』でございますな。動物の脂と灰から洗浄剤を作るとは…我々のような、伝統と格式を重んじる者には、到底思いつきもしない発想ですわい」
生活の知恵。
その言葉が、鋭い棘となって私の胸に突き刺さる。
私たちの技術を、そんな陳腐な言葉で片付けるな。
これは、科学だ。
そう叫びたかったが、喉が張り付いたように声が出ない。
彼は、さらに一歩、私に近づいた。
そして、私の顔をじろじろと、まるで品定めでもするかのように眺め回すと、にたりと笑った。
「…して、噂では、聖女様にはお子様もいらっしゃるとか。女手一つで子を育てながら、新しい事業を興すとは…感服いたしますな。ですが」
彼の瞳が、す、と細められる。
その奥に、氷のように冷たい光が宿った。
「あまり、分不相応な夢は見ない方が、よろしいのではないですかな。何より、その愛しいお子様のために、ね」
―――カチン。
私の中で、何かが切れる音がした。
なんだ、こいつ。
私のことを侮辱するのは、百歩譲って許そう。
だが、ユキをダシに、私を脅すような言い方だけは…!
私が何かを言い返す前に、レオニード様の冷たい声が、二人の間に割り込んだ。
「エルネスト卿。そのご発言は、聞き捨てなりませんな。それは、我が大商人ギルドに対する挑発と受け取っても?」
「おっと、これは失礼。老婆心からの、ただの忠告でございますよ、ヴァレンティス卿。若さと勢いだけで、この王都で生き残れるほど、商いの世界は甘くはない…そう申し上げたかっただけですじゃ」
彼はそう言うと、わざとらしく肩をすくめてみせる。
そして、私にもう一度、蛇のような視線を向けると、満足そうに踵を返した。
「では、発表会、楽しみにしておりますぞ。聖女様の『奇跡』とやらを、拝見できるのを」
コツ、コツ、と彼の足音が、大理石のホールに響き、やがて聞こえなくなった。
後に残されたのは、凍りつくような沈黙と、私の胸の中で燃え盛る、黒い炎だけだった。
(…上等じゃないか)
悔しさで、握りしめた拳が、小刻みに震えている。
でも、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、はっきりと分かった。
あの男は、敵だ。
私と、ユキと、ユキノシタ村の未来を、踏み潰そうとしている、明確な敵だ。
「…リリアさん」
レオニード様が、心配そうに私の顔を覗き込む。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
私の瞳に宿っていたのは、もはや戸惑いや不安ではなかった。
「あれが、私たちの敵ですね」
私の静かな問いに、レオニード様は驚いたように少しだけ目を見開いた後、ふっと口元を緩めた。
それは、昨夜見せた、獰猛な狩人の笑みだった。
「ええ。…あれが、我々が最初に打ち破るべき、古き権力の象徴です」
彼の言葉に、私は強く、強く頷いた。
宣戦布告は、確かに受け取った。
分不相応な夢、だと?
見てろよ、古狸。
私の知識と、私たちの技術が、お前たちのその古臭い常識ごと、木っ端微塵に打ち砕いてやる。
王都の権威の象徴であるギルド本部の、そのど真ん中で。
私の、本当の戦いの幕が、今、静かに上がった。
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