第15話 ……この合宿、大丈夫か?

 夏休み初日。某ターミナル駅の改札前。

 合宿という非日常に俺は少しそわそわしながら、約束の時間より十分も早く着いてしまった。


(先輩たち、ちゃんと来るよな……?特に津島先輩とか……)


 そんな心配をよそに、最初に現れたのは、その津島先輩だった。


「……あ、軽井沢くん。……ごめん、早いね」


 ゆったりとした、『斜陽』に出てきそうなお嬢様風の白ワンピース。深く被った麦わら帽子が、彼女の顔に影を落としている。 その姿は、制服の時よりもさらに儚げで、夏の強い日差しに溶けてしまいそうだった。


「ごめん……、私なんかが、合宿に来ちゃって……。この日差しが、私の存在を焼いていくみたい……」

「いや、そんなことないんで!日陰、行きましょう!」


 次に、カツカツとヒールの音を立てて現れたのは、楯野先輩だった。


「待たせたな、軽井沢!」


 黒のタイトなパンツスタイルに、なぜか日差しが強いわけでもない駅構内で、大きなサングラスをかけている。 その姿は、合宿というより、これからどこかへ『決闘』にでも向かうような、異様な雰囲気をまとっていた。


「『行動』の朝だ。この太陽、まさに我が『情熱』」


(……まだ駅の中ですけどね)


「やれやれ」


 約束の時刻ぴったり。クールな声と共に、風見先輩が現れた。 糊のきいたポロシャツにチノパン、肩にはショルダーバッグ。一見、完璧な優等生の服装だ。


「時間通りに来たはずなのに、もう3人揃っている。完璧なタイムテーブルは存在しないってことさ」


「すみません、遅れました!」


 その声に、俺たち全員が振り返った。 最後に、小走りで現れたのは、黒江先輩だった。


「……え」


 俺は、思わず言葉を失った。 清楚な紺色のロングスカートに、パリッとした白いブラウス。 そして、何より。 いつもは几帳面におろされている黒髪が、今日はポニーテールに結い上げられていた。


 いつものの堅苦しさはどこへやら。 そこにいたのは、汗で少しうなじが湿った、ただの美少女だった。


(……え、なんか、いつもと全然……)」


 俺が、その普段見えないうなじや、いつもと違う雰囲気に思わず見とれて固まっていると、黒江先輩が俺の視線に気づいた。


 カッと、彼女の顔が赤くなる。


「……な、なんだ!」


 俺から慌てて視線をそらし、自分の服装を確かめるように見下ろす。


「僕の服装に何か『非合理』な点でも? これは最も動きやすく、かつ礼節を欠かない、合理的な選択だ!」


「い、いや!」


 俺は、我に返ってぶんぶんと首を横に振った。


「そういうんじゃなくて! その……! 似合ってると思います!」


「に、似合っ……!?」


 俺の直球の言葉に、黒江先輩はさらに顔を真っ赤にした。


「き、君に評価を求めてはいない!」


 そう言って、彼女はプイと俺に背中を向けてしまった。


 ◇


 都心を離れ、特急からローカル線に乗り換えると、車内は嘘のようにガラガラになった。 俺たちは、窓から海の見えるボックス席を陣取ることにした。


 ……が、そこで微妙な空気が流れた。席順だ。

 風見先輩と津島先輩が、ごく自然に一つのボックス席に座る。

 俺がもう一つのボックス席の窓際に座ると、黒江先輩は、俺から最も遠い席……つまり、俺の向かいの通路側に、そそくさと座ろうとした。


「おい、黒江!」


 だが、その動きを楯野先輩が制した。


「そこは狭い。私が通路側に座る。君は窓際へ行け。情熱的な太陽の光を浴びるのだ!」


「なっ……!?」


「いいから!」


 楯野先輩にグイグイと押しやられ、黒江先輩は俺の隣の席に座る羽目になった。


 ゴトゴト、と電車はゆっくりと走り出す。 窓の外には、夏の強い日差しを反射して、きらきらと輝く海が見え始めた。 絶好の合宿日和だ。


 だが、文芸部員たちの表情は、例外なく暗かった。 目的が、あの『恋愛』だからだ。


「……海……」


 向かいの席で、窓の外を虚ろな目で見つめていた津島先輩が、ポツリと呟いた。


「……私、あそこで溺れたら、楽になれるかな……。こんな恋愛小説、書けないし……」


「(ギョッとして)いや、合宿なんで! 死なないでください!」


 俺は、思わず大声でツッコミを入れた。


「見ろ、軽井沢」


 俺の隣の通路側に座る楯野先輩が、サングラス越しに太陽を指差す。


「あの太陽の『情熱』。あれこそが『愛』の原初だ。……だが、どうやってこの灼熱を原稿用紙に叩き込めばいいのだ……」


 ……どっちにしろ、書けないらしい。


 そして、俺の隣。 黒江先輩は、俺から必死に距離を取ろうと、体を窓側に縮こませていた。 彼女は、鞄から取り出した、普段読んでいるより少し大判な本を開いている。 だが、その目はまったく活字を追っていない。 時折、電車の揺れで俺の肩と彼女の肩が触れそうになるたび、ビクッと体を強張らせている。


(……この合宿、大丈夫か?)


 俺は、早くも暗雲が立ち込めるのを感じていた。


 ◇


 ローカル線の終着駅は、潮の匂いがする小さな駅だった。 そこから歩いて数分、目的の民宿が見えてくる。


『民宿 うみねこ荘』


「思ったより年季入ってますね……」


 俺が思わず呟いてしまうほど、その建物は古く、良く言えば風情があり、悪く言えば今にも崩れそうだった。


 ガラガラ、と古い引き戸を開けると、人の良さそうなお婆さんが、エプロンを拭きながら出てきた。


「はいはい、文芸部さんね。遠いところようこそ。安川からは聞いてるよ。部屋は男子がこっちの一階で、女子は二階の大部屋ね。……ああ、そうそう」


 お婆さんは、思い出したように手を叩いた。


「夜はあんまり、そこの裏山には行っちゃだめよ。昔から、なんか物騒だからねぇ」


 その言葉を聞いた瞬間、二人の先輩の反応は対照的だった。 楯野先輩のサングラス越しの目が、(心中スポット……!)と、獲物を見つけたかのように輝いた。 対照的に、黒江先輩の顔が、(物騒……!)と、サッと青くなる。


「はーい、夕食までゆっくりしてて」


 俺たちは、言われた通り、それぞれの部屋に荷物を置いた。 夕食の鐘が鳴るまでの小一時間、俺たちは大部屋に集められ、執筆タイムとなった。


 ……だが。 畳の上に広げられた原稿用紙は、真っ白なままだ。


「……こんな場所まで来て、私、ごめんなさい……」

「むぅ……」

「…………恋愛」


 重苦しい沈黙の中、風見先輩がポツリと呟いた。


「やれやれ、戦場に来ても、スパゲッティの茹で方はわからないままみたいだ」 


 ◇


「「「……」」」


 合宿初日の夜。 夕食と風呂を終え、畳敷きの広間で車座になった俺たちの間には、重い沈黙が流れていた。


 その沈黙を破ったのは、楯野先輩だった。 彼女は、バン! と畳を叩いて立ち上がった。


「ダメだ」

 その声は、いつになく真剣だった。

「この『安逸な日常』の中では『情熱』は燃え上がらん!『死』に近い極限の緊張こそが、『愛』を昇華させる!」


「え、死ぬのはちょっと……」


 俺が思わずツッコミを入れると、楯野先輩は俺をキッと睨みつけた。


「『肝試し』だ!」


「「「え」」」


「この民宿の裏手にある裏山……」


 と、楯野先輩は窓の外の暗闇を指差す。


「宿の主人に聞いた。そこは、『昔、結ばれなかった恋人たちが心中した』と噂される場所だそうだ。これ以上の舞台があるか!」


 楯野先輩の強引すぎる提案で、真夜中の肝試しが強行決定されてしまった。 津島先輩は「……こ、こわい……。私、塩持ってないと……」と震え、風見先輩は「やれやれ、ハードボイルドな夜になりそうだ」と、どこか楽しそうだ。


 だが、一番反応が大きかったのは、黒江先輩だった。 その言葉を聞いた瞬間、彼女の顔が、サッと青ざめたのが分かった。


「……き、肝試し?」


声が、わずかに裏返っている。


「……あまりに、非合理的だ」


 しかし、彼女はすぐに咳払いをして、理屈で恐怖を武装し始めた。


「だが……! 恐怖という感情が、『恋愛』における『吊り橋効果』と酷似しているという学術的報告もある。……我々の『取材』としては、合理的……いや」


 彼女は、ぎゅっと拳を握りしめた。


「……分析のためだ。やむを得ん」


 どう見ても、強がっている。 その顔は、合理的というより、今にも泣き出しそうだった。

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