第9話 少しだけ、合理的だ

そして、文化祭当日。


「……眠い」


「……美しくない……。肌荒れが……」


「……情熱は、燃え尽きた……」


「……やれやれ。世界がぼやけて見える」


 文芸部室の長机に突っ伏した俺たち5人は、控えめに言ってゾンビのようだった。

 特に黒江先輩は、徹夜のダメージが最も深刻で、青白い顔を通り越して真っ白にやつれていた。


 そんな俺たちの前に、昨夜の徹夜作業の結晶――インクの匂いも生々しい『文芸部合同誌』が積まれている。 表紙は、風見先輩がそれっぽく仕上げただけのシンプルなものだ。


「……さて、売るか」


 俺がゾンビの代表として立ち上がり、恐る恐る部室の入り口で頒布を始めた。


 最初は、誰も見向きもしなかった。 だが、物好きなクラスメイトが数人、それを手に取ったところから風向きが変わった。


「……ん? 何だこれ?」

「おい、これヤバいぞ。ポエムの上に、『この比喩は破綻している』って赤ペンがそのまま載ってる」

「うわホントだ! しかもその下に『これこそが美!』って反論してやがる!」

「こっちのラノベもひどいぞ。『僕の美貌が輝きすぎて』とか書いてあるのを、『主観的すぎる。客観描写を』ってバッサリ斬られてるw」

「ラノベ論破されてて草」


 口コミ、というよりは珍妙なものがあるという噂はあっという間に局地的な広がりを見せた。


 その結果。 俺たちが作り上げた『カオスな合同誌』は、文化祭の終了時間を待たずして、まさかの完売という珍事を達成したのだった。


 ◇


 文化祭の喧騒が終わり、数日後。

 俺と黒江先輩は、放課後の職員室に呼び出されていた。 目の前には、顧問の安川先生。その手には、あの『カオスな合同誌』が握られている。

 ……まあ、教師としてはコメントしづらい内容だろう。


「……はぁ」


 先生は、部誌を机に放り出し、盛大ため息をついた。


「軽井沢、黒江。お前ら……」


 身構える俺たちの前で、先生はガシガシと頭をかく。


「……内容はともかく、だ」


 先生は、心底面倒くさそうに、しかし、どこか呆れたように笑って続けた。


「徹夜してでも、あのバラバラだった部員たちをまとめて『一つの作品』を完成させた。その『実績』は認める。生徒会にもそう言っといた」


 黒江先輩が、驚いたように顔を上げる。


「先生……それは」


「そういうことだ」


 安川先生は、新しい書類を俺たちに突き出す。そこには『活動継続許可』の文字。


「廃部は撤回。ただし、もう夜中に学校に残るなよ。……始末書が増える」


 こうして、俺たちの文芸部の存続は、その『内容』ではなく、作り上げた『実績』によって、あっけなく認められたのだった。


 ◇


 文化祭の熱がすっかり冷めた、ある日の放課後。 文芸部室は、あの嵐のような一夜が嘘だったかのように、いつもの穏やかな時間を取り戻していた。


「……やはり、私の『美』こそが、あの部誌の完売に貢献したようだね。罪深い」


「何を言う。あのカオスな熱狂は、我が『情熱』が読者の魂を揺さぶったからに他ならない」


「やれやれ。世界が僕たちの作品に追いついただけだよ」


 窓際で夕日を浴びながら、津島先輩、楯野先輩、風見先輩が、相も変わらず文豪ごっこを繰り広げている。


「で、次回の部誌のテーマ、どうします?」


 俺は、そんな先輩たちの戯言適当に受け流す。 このツッコミ役も、すっかり板についてしまった。


 何も変わっていない。いつもの光景だ。 ――だが、ほんの少しだけ、変わったことがある。


 俺がそうツッコミを入れると、三人の先輩たちが一斉にこちらを向く。 その視線には、もう以前にあった、文学を知らない下級生を見るような上から目線の色はなかった。


 あの徹夜の編集作業を共に乗り越えた仲間として。

 この廃部寸前の部活を救った編集長として。

 そこには確かに、俺に対する信頼のようなものが宿っている。


 それが、少しだけ照れくさかった。


 先輩たちの文豪ごっこが続く中、俺は自分の席に戻り、読みかけだったライトノベルの続きを読むことにした。 文化祭も終わったし、ようやく一息つける。ページをめくっていると、ふと、隣に人の気配がした。


「……」


 黒江先輩だった。 彼女は、いつものように自分の原稿用紙に向かうでもなく、俺の隣に、そっと、しかし堂々と腰を下ろした。


 そして、俺が読んでいるラノベの文庫本を、真横からじっと覗き込んできた。


(うわ、近い……)


 以前の彼女なら、「そんな通俗的なものを……」と言ってきたはずだ。 だが今、彼女は何も言わない。 ただ、俺が読んでいるページを、真剣な眼差しで、黙って目で追っている。


 気まずい。 俺がページをめくるのをためらっていると、黒江先輩は、しばらくしてポツリと呟いた。


「……ふむ。そのヒロインの心理描写は、少しだけ、合理的だ」


「……ヒロイン、ですか」


「……ああ、ヒロインだ」


 ぶっきらぼうな口調。相変わらずの堅苦しい言葉選び。 だが、それは間違いなく、彼女なりのラノベ――そして、それを持ち込んだ俺に対する、最大限の歩み寄りだった。


 あの夜を経て、俺たちの文学とラノベは、ほんの少しだけ交わったらしかった。

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