第2話 廃部!?

「スパゲッティ……?」


 俺が風見先輩の謎の問いかけにフリーズしていると、部室のドアが立て続けに開いた。


「戻ったぞ」


 ジャージ姿の楯野先輩が、息一つ切らさずに戻ってきた。 そして、部室の隅で寝息を立てている津島先輩を見るや、その美しい眉をキッと吊り上げる。


「津島!また部室で弛緩しきっているのか!その退廃的な態度は美しくない!」


 楯野先輩の一喝に、ソファの上の影がビクッと震えた。 津島先輩は、うっすらと目を開けると、楯野先輩を見て「ひっ」と息をのむ。


「あ……鏡子……まぶしい……。私みたいな日陰の人間には、その『健全』は毒……」


 そう言って、彼女はさらに小さくソファの上で丸まってしまった。


(『健全』が毒って……)


 俺がドン引きしていると、今度は静かに三人目の先輩が入ってきた。


「……予算折衝、難航した。どうにも話が合理的に進まない」


 銀縁眼鏡の黒江先輩が、疲れた様子で戻ってきた。


 その姿を見た瞬間、さっきまで死んだフリをしていた津島先輩が、(本当に少しだけ)シャキッとした。


「あ、羅紗、おかえり……その、今日の分析も、楽しみにしてる……」


(……え、なんでこの人にはそんなリスペクトを?)


 だが、黒江先輩は津島先輩のその熱っぽい視線を、 「……非合理的な感傷だ」 とバッサリ切り捨てた。 冷たい。あまりにも冷たい。


 ……かと思えば、黒江先輩はため息を一つついて、 「……君も、寝ていないで部誌の構想くらい練っておけ。責務だぞ」 と、微妙に面倒を見るような一言を付け加えた。

 なんなんだ、この絶妙な距離感は。


「やれやれ。まるで出来の悪い戯曲だね」


 そのカオスなやり取りを完全に無視して、風見先輩が新しいコーヒー豆をミルに入れ始めた。 部室に再び、いい香りが漂い始める。


 ……ただ、それだけだ。 彼女は、この空間の誰とも交わろうとしない。


(ダメだ、この部活……)


 俺がこの部の未来を憂いていると、今度はガラガラと、今日初めて聞く普通の音を立ててドアが開いた。


 入ってきたのは、ヨレたシャツに疲れた顔を貼り付けた、若い男性教師だった。手には「出席簿」と書かれたバインダーが握られている。


「あー、全員いるな。……と、新入部員か?」


 教師は俺に気づくと、少しバツが悪そうな顔をした。


「悪い時に来たかもしれないな、ええと……」


「軽井沢明です」


「そう、軽井沢くん。俺は顧問の安川だ。よろしく。……まあ、よろしくできるのも、あと少しの間かもしれんが」


「え?」


(なんだ、その不吉なセリフは)


 安川先生は、やれやれと首を振りながら、部員たち――コーヒーを淹れる風見先輩、仁王立ちの楯野先輩、胃を押さえる黒江先輩、ソファで丸まる津島先輩――に向き直った。


「単刀直入に言う」


 先生は、バインダーでパン、と自分の手のひらを叩いた。


「この文芸部、次の皐月祭で『実績』を出さないと、廃部になるぞ」


 シン―――……。


 一瞬、部室の時が止まった。


(は!? 廃部!? 俺、入ったばっか!)


 最初に沈黙を破ったのは、黒江先輩だった。


「……! 廃部、ですか?先生、それは合理的な判断とは思えませんが。我々は規約に則り、活動しているはずですが」


「我々の『美』への探求が、俗物的な『実績』ごときで断罪されると?」


 楯野先輩も、低い声で反論する。


「廃部……。地獄か……」


 津島先輩が、ソファの上でさらに小さくなった。


「……やれやれ。システムは、数字が欲しいみたいだ」


 風見先輩はコーヒーを淹れる手を止めずに、ポツリと呟いた。


 安川先生は、先輩たちのバラバラな反論を手で制した。


「反論したいのは分かるが、まず事実を聞け」


 先生は、この創文高校がいかに「成果主義」であるかを、ため息混じりに説明し始めた。


「ウチの校風は知ってるだろ。新設校だから、とにかく実績が欲しい。進学実績も、そして部活動の実績も。成果を出さない部活は、容赦なく予算と部室を削られる。……そして君たちの部活は」


 先生はバインダーをめくり、一枚の紙を俺たちに見せつけた。


「ここ半年、『部誌の発行ゼロ』。おまけに『活動報告書、ほぼ白紙』だ」


「うっ……」


 黒江先輩が、その言葉に小さく呻いた。 活動報告書は書記である彼女の仕事だろう。報告書が白紙だったのは、恐らく他の先輩たちが何も活動報告を上げなかったからだろうが……それでも、彼女は自分の責務を果たせなかったことに罪悪感を覚えているようだった。


「俺も庇いきれん。……で、これが最後のチャンスだ」


 先生は、部室の壁に貼られた年間スケジュール表を指差した。


「来月――皐月祭さつきさいだ」


 そう、この学校の名物行事。新入生との親睦を深めるという名目で、なぜか5月の下旬、入学してすぐに開催される超スピード文化祭だ。


「そこで、『一般生徒が評価できるだけの部誌』を完成させ、一定数以上――そうだな、100部くらいだ――を頒布すること」


 先生は冷酷に、存続の条件を叩きつけた。


「それができなければ、この部室は次の生徒会選挙の準備室になる。……以上だ」


(皐月祭って……あと1ヶ月ちょいじゃん!しかも100部!?この個性の殴り合いみたいな先輩たちで、まともな部誌とか……無理ゲーだろ!)


 俺は、自分のラノベライフどころか、部活そのものが開始と同時にデスマーチに突入したことを悟った。


「じゃ、そういうことだから。……軽井沢くん、悪いな、こんな部で」


 安川先生はそれだけ言い残し、まるで面倒ごとから逃げるように、嵐のように去っていった。

 バタン、とドアが閉まる。 部室には、重い、重すぎる沈黙が落ちた。


 ……いや、正確には、風見先輩がコーヒー豆を挽く音と、津島先輩が「ひぃ……」と小さく引きつる声だけが響いていた。


 この絶望的な状況。 あと1ヶ月で部誌100部。

 この、誰一人として同じ方向を向いていないメンバーで。


 最初に沈黙を破ったのは、意外にも、一番現実離れしていると思っていた楯野先輩だった。


「……フン。望むところだ!」


  彼女は、竹刀を床にトン、と突き立て、不敵に笑った。


「一般生徒どもに、真の『美』とは何かを叩き込んでやる。100部と言わず、全校生徒に私の美学を頒布する!」


(あ、この人一人だけ燃えてる。しかも、方向性がすでに『一般生徒が評価できる』からズレてる!)


「部誌……。締め切り……」


 ソファの上で、津島先輩がカタカタと震え始めた。


「……死ぬ……。私、書けない……。そんなプレッシャーの中で、私なんかが書けるわけない……」


(こっちは戦力外通告どころか、開戦前から瀕死だ!)


「……非合理的だ」


 黒江先輩は、あの小さな手帳に「廃部」「責務」「1ヶ月」「100部」と猛烈な勢いで書き込みながら、片手で胃のあたりを押さえている。


「この短期間で、質の担保された部誌など……。そもそも、『一般生徒が評価できる』という定義自体が曖昧……!」


(一番まともな悩み方してる! けど、たぶん胃痛で倒れるのが先だ!)


「『一般生徒が評価できる』、ね」


 と、風見先輩がコーヒーのドリップを終え、カップに口をつけた。


「まるで井戸の底にいる人間に、空の青さを説明するみたいだ」


(そしてこの人は、相変わらず何を言っているのか分からない!)


 ダメだ。議論がまったく噛み合っていない。 美、死、胃痛、井戸。部誌のテーマすら決まりそうにない。


 まさにカオスが再燃したその時だった。 議論がまったく噛み合わない中、なぜか、全員の視線が俺に集まった。


 え、なに?


「……待てよ」


 胃を押さえていた黒江先輩が、眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせた。


「軽井沢くん、君は……」


「は、はい?」


 急に話を振られ、俺は間抜けな声を上げる。


「さっき、『ライトノベル』を読んでいたな」


 黒江先輩は、俺が手に持ったままだったラノベを指差した。


「……それこそ、『一般生徒が評価できる』通俗的な代物ではないのか?」


「…………え?」


(え、俺!?俺のラノベ趣味が、この廃部回避のキーポイントになるってこと!?)


(静かにラノベを読みたかっただけなのに……なんで俺が、この文豪だらけの部の命運を背負わされてるんだ!?)


「無理がありますって!!」


 俺の絶叫だけが、カオスな部室に虚しく響き渡った。

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