ミステリオタクですが異世界転移しちゃいまして
阿久井浮衛
episode 1
小鳥のさえずりが聞こえ,鈍麻した意識が起床に供えゆっくりと昏睡から浮上するのを自覚する。徐々に明瞭になる意識の中,眩い日差しに細めながら目を開いた。放っておくと再び閉じようとする目蓋をどうにか押し留め,十分目が明るさに慣れるのを待つ。その間回転の鈍い頭を焦らせ,今日の予定を記憶の沼から掘り起こす。
今日は特に予定は入っていないはずだ。昨日はSランクの依頼を3件受けて実入りが良かったから,今日も当面の活動資金を稼ごうかとぼんやり考えていたんだっけ。
ようやく頭が冴えてきたらしい。二度寝ができないほど意識が覚醒したことを確かめ体を起こす。ベッドから這い出た時欠伸が零れた。とにかく顔洗おう。朝食の準備はそれからだ。
洗面所に向かいつつ,ぼーっと今日のToDoリストを整理する。取り敢えず身支度してギルド行くか。資金面で言うと当分の間生活に困らないだけの余裕はあるけれど,大規模クエストに必要な装備を備えるにはまだまだ不十分といった懐事情。高難度の依頼を熟して軍資金を稼ぐ必要がある。
それにパーティーを組むならナロゥやカクョムに協力要請することになるけれど,お互いのスケジュールを擦り合わせる必要があるし,協力の対価として
最低でもAランクの依頼を10件,募集があればSランクを複数件受けられればラッキーかな。あーあ,何かの間違いでS+の依頼が募集されてねぇかなぁ。
はたと,そこまで考えたところで足を止めた。
……そういや,こっちの世界に来て今日でちょうど3年になるのか。
転移前は毎クール異世界物のアニメをチェックしていたものだが,いざ自分がそうした世界に身を置くとその執着も忘れてしまうものらしい。当たり前の日常と化した異世界での生活だが,節目の日を迎えたと気付けばさすがに感慨深い。この世界での生活が当然となった今では,寧ろ転移前,ブラック企業で馬車馬のように働いていたことの方が余程フィクションのように思える。
なればこそ,益々3年前のあの日,転移を認めてくれた
ふと,当たり前の幸福を噛み締めている自分に気付き苦笑する。精神年齢はしっかり元の世界の年齢を引き継いでしまっているらしい。この世界では肉体は一回り若返っているくせに,肉体年齢よりも上に見られがちなのも元世界の経験を引き摺っているせいだろう。
「……いい加減,過去とは決別しないとな」
敢えて声に出し自分へ言い聞かせる。期待はしていなかったものの効果はそれなりにあったようで,止めていた足は存外素直に洗面所へ向かった。
体制上はエストラント王国の一都市に過ぎないレヴァルは,しかし古くから商人達の王国への貢献から自治独立が認められた王国最大の交易都市だ。王都タリンから南方500kmに鎮座するこの都市は,王国に隣接する2大帝国の商人達も交易が許されている国際都市でもある。人口はタリンを遥かに凌ぐ国内最大規模で,奴隷制が禁じられ如何なる身分・
国王から認められたレヴァル商人達の権力は強大で,選挙で選ばれた商人が首長を務める。立法・司法機関は基準以上の税を納めた有力商人達から成る議会が担い,首長は常に適切な行政に勤めているか監査される。王国から派遣された憲兵の指揮権は首長に属するが,憲兵は議会を構成する商人を逮捕できず,議会による判決を経て商人達自身による処分が下される。
つまり特定の商人への権力集中を避けるため,首長は議会により監視され,議会の商人達自身は互いに抑制し合う制度というわけだ。このおかげかレヴァルには商売へ専任する気風が根付き,王国で最も裕福な都市と言われるまで発展した。豊富な財源を基盤とした市場の活性化と盛んな人の交流から,新規参入を図る商人はもちろん一攫千金を狙う勇者や
もっとも,やって来る連中は気持ちの良いやつらばかりとは限らないが。
賑やかな都市の喧騒とは裏腹に,俺は重く溜め息を吐く。この辺りはレヴァル一等地だけあって行き交う人々の身なりも良く,プールポワンにオー・ド・ショースを併せた格好の人が多い。ラフな服装が好きな俺はそうした姿を見るだけで少し息苦しさを覚えてしまう。商談に花を咲かせる彼らの脇を抜け,繁華街を奥へ進む。このまま直進すると首長官邸やレヴァル議事堂に辿り着くというところで道を左へ曲がった。
その脇道をしばらく進むと,先程までの大通りとは打って変わり雑多でどこか荒々しい喧騒が聞こえて来る。すれ違う人も褐色の肌や赤髪,凡そ上流階級とは思えないぼろきれ一枚同然の格好の者など,国際都市然とした多様性に富んでいる。この光景を目にする限り,お偉いさんからの度重なる勧告を運営側が無視し続けているという噂は本当なのだろう。その選択ができるのも文句を言わせぬ圧倒的な業績を残しているからだろうし,堅苦しい雰囲気が苦手な俺だってこの喧騒を維持するのに一役買うことは吝かでない。
突き当りに聳える一際大きなバロック調の平屋に行き着く。と言っても高さは一般的な商店の3倍近くあるため,中に踏み入れたことのある者でないと1階建てとは分からないだろうけれど。俺はギルドの前で立ち止まり,一度深く息を吸い込む。
……今日はあいつらと顔を合わせず済みますように。
そしてできればSランク以上の依頼に恵まれますように。誰にも明かしたことのないルーティンにささやかな願望を付け加えた時だ。
「あ,チィトさん。おはようございます」
聞き覚えのある声に振り返ると,大通りの方からこちらへ駆け寄ってくるナロゥの姿が見えた。まだギルドが受付を始めて間もない時間帯だ,彼も朝一で出向いたところなのだろう。
「おはよう。ナロゥも資金稼ぎか?」
「ええ。この間散財しちゃって。しばらく節約飯が続きそうです」
「もういっそ勇者業廃業して武具の貸し付け屋でも開いたらどうだ」
気まずそうな笑みを浮かべるナロゥに呆れた。
ナロゥは俺と同じく転移してきた勇者だ。転移してきて1年ちょっとだが実力は折り紙付きで,僅か半年でSランクに上り詰めた天才肌。ただ武器オタクで名品はもちろんガラクタや呪具まで集めたがる収集癖がある。
良くパーティーを組み協力してクエストに挑戦してきたが,その途中で一体何度武器欲しさにトラップに引っ掛かるコイツを助けてやったことか。ギルドの獲得賞金ランキングでも毎月上位10名に名を連ねているくせに,稼ぎのほとんどを武器の購入費用に充てているため常にお腹を空かせているやつ。
現状こいつへの評価はそんなところか。噂によると最近武器の保管だけを目的とした別邸を購入したとか。
「折角勇者に転移したのにそれじゃ本末転倒じゃないですかー。誤解されやすいですけど僕にとって武器収集はあくまでも趣味ですよ趣味」
「どうだか。今資金調達中だから月末やり繰りに困ってもメシ奢ってやんねーからな」
月末になると恒例のように食事をせがむナロゥをイジる。けれどナロゥは不敵に笑った。
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