あの日のもつのように

 寒い。両手の平をこすり合わせながら足早に俺は歩く。

 俺は怒っていた。落胆していた。そして、悲しんでいた。


 信号待ちをしながら通勤用のリュックの重みを背中に感じつつ、俺はこすり合わせていた両手を見る。手ぶらの両手を。


 そこにあるべきものがそこには無かった。


 今日の俺は仕事終わりにいつもと違う駅で降りていつもと違う道を歩いて目的地に向かっていたのだ。


 スニーカーを買う為に。

 そう、今日発売のスニーカーを。


 数ヶ月前に発売の情報が出てからずっと目をつけていたモデルが今日発売だったのだ。


 販売経路はオンラインサイトと一部の店舗のみでの販売。

 オンラインサイトの発売開始時刻には絶賛仕事中だったし休憩時間には既に全サイズが完売となっていた。


 そんな俺に残された手段はただ一つ。

「一部店舗」に向かうしかなかった。

 ということで終業後に急いでその「一部店舗」に向かったというのがここ1時間の俺だ。


 そして -

 

 商品自体は無事にあった。店舗に入って一番目立つ場所に展示されていた。しかしモノ自体はあったのだが「マイサイズ」が無かった。俺のスニーカーのマイサイズは「27.5」。


 店舗にあったのは「24」から「26.5」。

 それ以上のサイズは完売した、とのことだった。

 髪型をマンバンヘアにしたイケメンのお兄さんの店員さんが申し訳そうにそう教えてくれた。


「15時過ぎまでは残ってたんすよねー」

 とも言っていた。そんなこと言われてもその時間は仕事中だし。まあ、どうすることも出来ないししょうがない


 ということで俺は今現在目的を果たせず時間も浪費して手ぶらで深い悲しみに包まれながら歩行者信号に足止めをされているのだ。

 俺の心も赤信号だ。


 しかしそんな俺の心とは違い歩行者信号は時間が経てば自動的に青に変わるので俺は歩き始める。動き始めるとまた寒さが身体に応える。ほんの数日前まで「夏!?」という気候だったくせにほんの数日の間に一気に「冬…」という気候になった。


 ああ、日本の四季は何処に……

 

 吐く息が白く空に溶け込んでいく様を眺めながら歩いているとその視線の先に光る看板の文字が俺に飛び込んできた。


「もつ鍋」


 恐らく数日前までなら目にもとめないだろうが今の気候にならまさにピッタリな単語だ。


 俺は結構なもつ鍋好きだ。

 一冬に数回はもつ鍋を食べに行く程度にはもつ鍋好きだ。

 俺がそんなもつ鍋好きになったきっかけは大学生の時に福岡に旅行に行った時に食べたもつ鍋が美味しくてビックリしたのがきっかけだ。

 それまではもつ鍋をまともに食べたことがなかった。以来毎年数回もつ鍋を食べるようになっていた。


 お店の看板を眺めながらゆっくり歩いていたのでまた歩行者信号に捕まってしまった。しかし、先ほどまでのスニーカーを買えなかった悲しみはすっかり忘れて俺の意識は「もつ鍋」に集約されていた。


 最後にもつ鍋を食べたのはいつだったっけ?


 頭の中の記憶の抽斗をいくつも開け閉めして該当の記憶を探していく。


 思い出した。


 今年の2月の始めに高校の友達の橋本と食べに行ったときだ。あのもつ鍋は美味しかった。そういえば橋本と会ったのは…それから会っていないのか。


 橋本とは高校大学と同じで俺にとって数少ない「親友」と呼べる存在だ。在学中も卒業後も良く飲んだり旅行に行ったりもした。そう言えば俺がもつ鍋に目覚めるきっかけになった福岡旅行も橋本を含めた数人で行ったものだった。


 社会人になってからも相変わらず良く飲みに行っていたが時が経つにつれてその頻度が一ヶ月に1回から三ヶ月に1回になり半年に1回になりここ2年ほどは年に1回になっていた。雑誌ならとっくに休刊、廃刊になっている頻度だ。


 それ自体は寂しいことではあるが大学を卒業してから10年も過ぎればお互いの置かれている環境も変わるからしょうがないことでもある。


 ここ最近は連絡すらとってないな…最後に連絡を取ったのは…アイツに2人目の子供が生まれた、というLINEが来たあれは…確か4月の終わりが最後だ。


 アイツはきっと今日も子供の面倒を見ながら家事をバリバリにこなしているのだろう。


 俺は一人寒空の下でスニーカーを買えなくて悶々としている。同じ空の下で同じ時間が流れたはずなのにその現在地は随分違うところに散らばったものだ。


 そうだ、久しぶりに橋本ともつ鍋を食べに行こう。


 青に変わった歩行者信号を渡りながら俺はそう決めた。

 鍋はやっぱり誰かと一緒に食べるのが良い。それが自分の心が許せる「親友」なら言うことなしだ。例え現在地がどれだけ違ったとしても鍋を囲む数時間は「あの日」に戻れるだろう。そのためのツールとして「もつ鍋」は最適なはずだ。


 駅のホームに辿り着いた俺はスマホを開きLINEのトーク履歴からすっかり下の方に埋もれてしまっていた橋本のアイコンを選びトーク画面を開いた。

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