1-4 残響と警鐘
――鐘の音が、どこか遠くで鳴っていた。
耳の奥で、それが何度も反響する。
目を開けても、音だけが現実に残り続ける。
気づけば、私は部室にいた。
窓の外はすっかり橙色に染まり、差し込む夕陽が机の上の紅茶を金色に照らしている。
その光のなかで、透子の声がやっと届いた。
「玲奈? ねえ、聞こえてる? 玲奈!」
はっと顔を上げた。
透子が目の前で心配そうにのぞき込んでいる。
机の上のカップから、薄く湯気が立っていた。
――まるで、時間が飛んだような感覚。
「……ごめん。ぼんやりしてた」
「ぼんやりってレベルじゃないよ。呼んでもぜんぜん反応しなかったんだもん。
どこか遠くに行っちゃってたみたいだった」
私はこめかみを押さえた。
鈍い痛みがじわりと広がる。
視界の端で、夕陽が揺れてにじんだ。
「……変な感覚だった。頭の奥が、ずっと……ざわざわしてる。誰かの声が……まだ残っているみたい」
「また片頭痛? この前も言ってたよね。最近ひどくない?」
「うん。でも、なんか違う。
……“夢を見てた”っていうより、途中で記憶が抜け落ちたみたいな感じ」
声が震える。
透子はそっと陶器のカップを置いて、私の手を取る。
透子の指先はひやりと冷たくて、その温度で現実を確かめる。
「何の話だったっけ……」
私は自分が開いていたメモ帳に目を落とす。
――怪談研究帳。
カラフルなペンで"アザレア女学院の七不思議"と書かれている。
「そうそう……旧館に“少女の幽霊”がでる噂があって……」
「玲奈……そんな顔して何言ってるの? 保健室、行こう?」
透子が心配そうな顔つきで私の前髪を指先で梳かした。
「……そうだね」
私は立ち上がった。
夕暮れの光が、透子の横顔をやさしく染める。
どこか儚げで、それでいて懐かしい。
この感覚――いつか、どこかで同じ光景を見た気がする。
胸の奥に、説明のつかない痛みが広がった。
ふたりで部室を後にし、廊下に出る。校舎は静まり返り、部活の喧騒も、生徒たちの笑い声も消えていた。
ガラス窓に夕陽が反射して、床の上に橙色の横断歩道ができている。
その白線を歩くたび、靴音がこだまのように反響した。
その時。
私たちの歩調とは、まったく異なる、規則的な靴音が、背中の方から近づいてくる。
かつん、かつん――と、静かな空気を割るように。
振り向くと、そこに立っていたのは蘭先輩だった。
淡い銀色の髪が胸のあたりで揺れ、
透き通るような白い肌に、均整の取れた顔立ち。
まるで人形のような完璧さ――それでいて、目に宿る光は冷たく鋭い。
生徒会長・
その名を知らぬ生徒はいない。
学業にも容姿にも非の打ちどころがなく、
学院の象徴ともいえる存在だった。
誰もが憧れ、同時に、彼女の前では背筋が伸びる。
「――よぉ、怪談研究会」
先輩の声は穏やかだけど、張りつめた糸のように揺らぎがなかった。
私と透子は、その声の圧力に思わず立ち止まる。
「お前たち、“旧館”に興味があるらしいな? 何人もの生徒たちに話を聞いて回ってると耳にしたが……相違ないか?」
その問いに、透子がごくりと喉を鳴らす。すごくわかりやすい。
私はとっさに首を横に振る。
「い、いえ……そんなことは――」
先輩は、一歩一歩、ヒールの音を立てながら歩み寄った。
夕陽のなかで彼女の髪がほのかに光を帯び、まるで後光のように見えた。
ほほ笑みながらも、その目だけは笑っていない。
「ほう……? ならよし。
だが、あの建物は危険だ。
老朽化していて、廊下には割れたガラスの破片が散っているし、“おかしなもの”なんて何もいやしないよ……」
心臓がひとつ跳ねる。
その言葉の“おかしなもの”という部分だけが、
妙に強調されて聞こえた。
「えぇ、旧館には“おかしなもの”なんて何もいないです」
「……お前たち、賢い生徒で助かるよ」
先輩は可憐に片目を閉じ、ゆるやかに背を向けた。
彼女の後ろ姿はまるで光の縁に溶けていくようで、
その残り香には、花のような甘い香りが漂っていた。
私はそれを嗅いだ瞬間、
またこめかみの奥がずきりと痛んだ。
――鐘の音が、もう一度聞こえた気がした。
それが、記憶の残響なのか、現実の音なのか、
私にはもうわからなかった。
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