『8ビットの残響 ― Famicom Crime Case ―』

@sevendaywars

【第一章 鉄骨のマリオ】第一話:崩落現場



 朝の湾岸は、金属の匂いがした。


潮の風と鉄骨の錆が混ざり、湿ったコンクリートに染みついている。


AI施工の自動クレーンが止まり、建設現場は静まり返っていた。


 事故が起きたのは夜明け前。作業員が足場から転落し、即死。AI管理システムの記録では「ヒューマンエラー」。


 だが、現場にはそれ以上に妙なものが残っていた。


 名刺サイズのカード。


 拾い上げた鴨志田健は、曇った丸眼鏡の奥で目を細めた。


 赤と緑のドット絵――配管工の兄弟。

 背景には崩れ落ちる鉄骨。


 「マリオブラザーズ」の、あの二人だった。


 「……またかよ。」

 低くつぶやく声が風に溶けた。


 彼は三十七歳。

 警視庁捜査一課。

 ボサボサの髪に不精ひげ、ヨレヨレのスーツ。だが、顔立ちは整っている。


 若い頃は「渋谷の竹野内」と呼ばれていた時期もある。今はもう、ただのくたびれた刑事だ。


 AIオペレーターが報告にやって来る。

「事故データ、こちらです。AI施工管理のログによれば、異常は検出されていません。」


「異常なし、ね。」

 鴨志田はデータパッドを受け取り、指先でスクロールした。


 画面上には数字の羅列と作業パターン。

 「正常終了」「安全基準内」の文字が並ぶ。まるでAIが自分を弁護しているようだ。


「AIが“異常なし”って言う時が、一番怪しい。」

「は?」

「機械が嘘をつく時は、人間がその背後で嘘をついてる。」


 鴨志田はデータを閉じ、転落地点にしゃがみ込んだ。


 鉄骨の表面に、何かがこすれた跡。小さな油染みが、規則正しく三点並んでいる。まるで「ボタンを押した跡」のように。


被害者は29歳。水原廉。兄が同じ会社のプログラマーで、AI施工システムの開発に関わっていた。


 弟は現場作業、兄は机上――対照的な兄弟。


 現場監督が言う。

「兄貴がこのシステム作ったんだよ。弟が安全第一で動かすはずだったのに……。

 あいつら、最近はほとんど口もきいてなかった。」


 鴨志田はメモを閉じる。


 兄弟。

 赤と緑。

 1Pと2P。


 「ゲームの中じゃ、二人でステージを登るんだけどな。」

 誰に言うでもなく呟く。現実では、どちらかが下に落ちる。


その夜。

 警視庁の資料室。AI解析班が事故映像を復元していた。鴨志田は煙草を我慢しながら、モニターを覗き込む。


 画面の中で、作業員が昇降足場を上げる。次の瞬間、映像が途切れ、再開すると男の姿が消えている。


 「ここだな。」

 鴨志田は一時停止ボタンを押した。


 フレームを一枚ずつ送る。鉄骨の影が、わずかに“上と下”を入れ替えている。画面が反転したような違和感。


「……上、下、上……?」

 彼の脳裏に、古いコントローラーの感触がよみがえる。


 十字キーを押す指。ジャンプボタン。

 あの“ピョン”という音。昭和のリビング、ブラウン管の光。


 「まさか、な。」


その夜、鴨志田は一人でAI施工センターに戻った。操作パネルを開き、コードを確認する。暗号のような命令文の中に、一行だけ違う文字列。


 “UP+B+A”


 それは、ジャンプの組み合わせ。人間が操作できないはずの領域に、誰かが追加していた。その命令が実行された瞬間、足場が反転し、弟は“落下するステージ”の中で消えたのだ。


 鴨志田は、無言でモニターを閉じた。

 鉄骨の影が、また一つ伸びていた。


【STAGE 1-1 CLEAR】

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