聖女の決断:疑念と理想の天秤


リリスの提案はあまりにも大胆で、そして魅力的だった。


「共に手を組みませんか、フィオナ様?」


リリスの声は、愛する者を守りたいというフィオナの最も純粋な理想を優しく撫でるように響いた。シオンを政治の道具として利用するリリスの意図は明白だ。しかし、その「利用する目的」が、皮肉にもフィオナ自身の願い――戦争のない世界でシオンを生かす――と深く一致していた。


フィオナは静かに呼吸を整えた。白いローブの下で、彼女の指先は微かに震えていた。


「権力を欲し、政治を利用すると、ご自身で認められましたね、リリス様」フィオナの声には、わずかながら警戒と、諦めに似た冷たさが混じっていた。


彼女はシオンを見た。シオンは相変わらず、退屈そうに天井を見上げている。彼の演技の下には、世界から逃げようとした男の疲弊と、微かな希望が隠れていることを、フィオナは知っていた。


そして、リリスを見た。町娘の姿はひどく純朴に見える。だが、フィオナは知っている。その瞳の奥にあるのは、世界を一つのチェス盤と見なし、人間、魔族、そして勇者さえも駒として扱う、冷徹な魔王の知性だ。


(フィオナの心の声)

「この魔王は、私の理想を利用しようとしている。彼女の『共存』という言葉が、本当に魔族の救済のためなのか、それとも人間社会への潜入と支配の足がかりなのか、私には判別できない。魔王は常に、最も甘い言葉で、最も大きな罠を仕掛けてきた。この同盟は、私が『愛するシオン』を平和に留めるための最良の道でありながら、世界を魔王の手に委ねるという、最も危険な賭けだ……」


フィオナは唇を噛んだ。彼女が今まで守ってきた「聖女」としての中立性、道徳的権威、そしてシオンへの純粋な愛――そのすべてが、この一瞬で魔王の政治的策略の一部に組み込まれようとしていた。

シオンは、この茶番劇を終わらせろとばかりに、痺れを切らした声で言った。


「おい、聖女様。返事はどっちだ? 俺はもう、腹が減ってふざける気力もねえんだよ。イエスか、ドント・クライだ」


シオンの軽薄な催促は、フィオナにとって一種の後押しとなった。立ち止まっていれば、シオンは再び闇の中に沈むかもしれない。

フィオナは決断した。


「リリス様。貴女の提案を受け入れましょう」


彼女の言葉に、シオンは目を見開き、リリスは微笑んだ。しかし、フィオナはすぐに、冷たい目を向けて決定的な条件を突きつけた。


「ですが、これは無条件の同盟ではない。私には聖女としての義務がある。貴女の行動、そして『共存』という言葉が、少しでも人間の脅威となり、私の理想から外れた瞬間、私は聖女の権威と力、そして、シオン様への愛のすべてを賭けて、貴女を討伐する。それでも、よろしいか?」


魔王との秘密同盟。それは、世界を救うための綱渡りの契約が、ここに成立した瞬間だった。

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