転の章
お寺を後にして畦道を歩く。
貰った髪の束は、とりあえずは上着のポケットにしまった。
これからどこに行こうかな。
そんな事を考えた時、見覚えの無い人が歩いてくるのが見えた。
40代くらいのおじさん。
彼も私に気づいたようで気さくに挨拶してきた。
「やあ、こんにちは!」
「こんにちは」
観光客かな、とすれ違おうとすると話しかけて来た。
「失礼だけど、ここの住民かな?」
「え? そうですけど」
「それは良かった!
僕はこういう者でね、是非話を聞かせてほしいんだ!」
それと同時に名刺を渡してくる。
『東平新大学
日本史学科 准教授
民俗学研究会 研究顧問
東雲 利一(しののめ りいち)』
大学の先生なんだ。
民俗学なら紫龕様でも調べに来たのかな。
「僕はこの辺りには良く来るんだ。
フィールドワークの一環としてね。
今日も宮今寺に向かう為に電車に乗ったんだが、
なんと知らない駅で止まるじゃないか!
これは降りるしかないと思ってね!」
テンション高いな、この人。
「路線図にも載ってない村。
民俗学研究者として好奇心が湧いて来てね。
そうしたら君に出会ったんだ!」
「はぁ、そうなんですか」
「ここまで来るのに年配の方しか見なかったからね。
まさか若い女性がいるとは!」
「あー、私は普段東京にいるんですよ。
たまたま帰省しただけで」
ノリが田舎民とは別ベクトルでめんどくさいなぁと思いつつ、
社交辞令のように返答する。
「そうだったんだね!
ならこの村にも詳しいのかな。
是非ともなんかじゃない!
是で聞かせてくれ!」
うわーぉ、勝手に拒否権無くされたぞー。
まあ、どうせ暇だったしいいかな。
「早速なんだけど、まずは電車!
路線図にもないし駅舎もただの小屋、どうして止まるのかな?」
「私もよくは知らないんですけど、
好意でわざわざ止まってくれるみたいです。
ただ毎日じゃないみたいで」
そう言うと東雲さんはガリガリとメモに書きつける。
そしてペンの動きが止まった。
「……それは、変じゃないかい?
電車の運行は国土交通省の管轄だ。
その規定に従ってダイヤや駅も作られる。
言い方は悪いけど、いくらローカル線だからって、それを無視してわざわざ止まるのは……」
あっ、と言われて気づく。
そうだよ、なんで気づかなかったんだろう。
普段使ってる山手線だってガチガチにダイヤも止まる場所も決まってるのに。
「それにこの村。
衛星地図で調べたんだけど、建物は見えるのに村として登録されていないんだ。
だから名前も分からなくてね。
なんて言う村なんだい?」
「あ……っと賀儀漓村(かぎりむら)です」
「ほうほう、かぎり、っと。
住所も教えてくれるかな? なんなら郵便番号だけでもいいからさ」
郵便番号。
そう言われて固まってしまう。
今まで意識したことなかった。
だって、ここに、村があるのだから。
私の気持ちを感じ取ったのか東雲さんは話し続ける。
「君は今、東京にいると言っていたよね?
仮に仕事もしているなら、応募した時の履歴書に住所は書くはずだけど」
履歴書……あれ、私なんて書いたんだっけ。
普通に覚えてない。
だけど生まれ育った場所の住所がわからないのは、おかしすぎる。
「……そうだ! 少し待っていてくれ」
固まってしまった私を尻目に、東雲さんはポケットから何かをだして自分のスマホに繋いだ。
「フィールドワークしていると、電波の入らない所も多くてね。
こういう時の為に衛星ネットワークに接続できるポータブルを用意してるのさ。
今から国土地理院にアクセスして見てみるよ。
僕はこれでも教授だから、調査用に閲覧権限も預かっているんだ。
だから昔の地図も調べられる。
なにか歴史にまつわる事知ってたりしないかな?」
それなら、と紫龕様の事を話す。
さっき住職から聞いた成り立ちから、不思議な本尊の事も全て。
「なんともそそられる土着信仰だね!
これは調べ甲斐があるよ!
えーっと、慶長10年代頃の地図と、今の地図を照らし合わせて……」
そうして東雲さんは一心不乱にスマホを操作し始めた。
待つ時間が居た堪れない。
でも、この違和感を解消出来るなら、いくらでも待てる。
「よし、ちょっと見てくれるかい?」
4分ほど待ったら声をかけられた。
そのままスマホを覗き込む。
そこには今の地図と、かなり古い江戸時代の物らしき地図が写っていた。
「まず今の地図なんだが、いわゆる県境みたいな境界がない。
しかし過去の地図では……」
指し示されるままにそれを見る。
過去の地図には、歪ながらも村を囲う境界が描かれていた。
……え?
「気づいたかい?
境界もそうなんだが、過去の地図には村の名前が載っているんだ。
『視堗村』、今風に言えば『見限りの村』だね。
恐らく、年月を重ねて今の賀儀漓村に変わったんだろう」
「え、あの、でもそんな!
ありえ……ないですよ……。
だって当時の武士がこの村を作ったって!」
「ああ。
先程聞かせて貰った紫龕様の逸話なら、そうなんだろう。
でもいいかい? 良く聞いて?
佐野の姓を持つ武士は確かに居たんだが、この地方では戦国時代にお家断絶している記録がある。
他の土地にも佐野姓はいるけれど、後からそれを付けられた百姓身分の人達なんだよ。
ここに佐野がいることは、あり得ないんだ」
足下がガラガラと崩れ落ちる感覚がする。
さっき、住職の話にあんなに感動したのに。
あれは、あの話は嘘だったの?
じゃあ紫龕様って、なに?
私の気も知らず東雲さんは考察を始めた。
「元々見限られた村だとするなら、
口減しや姥捨、その他何らかの事情で追い出された人達が集まる村だと仮定出来る。
そういった人達だから食事もままならず、そのまま息絶えただろう。
それこそ遺体も放置されたはずだ。
ここからは霊的概念も入るんだが、
そういう状態が続くと穢れ、今でいう怨念が積もっていくだろう。
積もり積もったそれは境界内で留まっていただろうけれど、そうすると膨大な蓄積になる。
だから抑え込むために、その本尊を作った。
男尊女卑が強い当時において男性は強さの象徴。
しかし、見限られる程に人と扱われていない為に顔はない物として隠す。
死さえ見限るから『しげん』、それを意図して訛らせて『しがん』になったと推測できる。
そして、そういった経緯があるからこそ寺を作った。
本尊を祀る深真柧寺は、恐らく『身罷る』、死を見届ける所から来ているのだろう。
今境界がないのは、穢れを広めて薄める為かな。
公になっていないのは、昔の実態を隠すため。外聞も悪いだろうしね。
髪についてだが……。
よく髪が伸びる日本人形とかあるだろう?
それに似て穢れが髪として発露しているんじゃないかな。
配る理由はわからない、薄めるためだとしたら配る必要もないし。
今までの経験から推測するとしたらこんな所かな。
妄想だと言われたらお終いだけどね」
なんなんだろう。
確かに妄想ぽくて、こじつけが多くて、証拠もなくて。
だけど納得出来る所も……ある。
本尊の裸体像だったり、郵便番号がわからない事だったり。
私は、どうやってここまで来れたの?
実家には間違いない。ないんだけど……。
「今の話はただの考察で裏付けが全くないんだけどね!
僕はこれから調べに行ってみるよ、
話聞かせてくれてありがとう!」
東雲さんは一方的にそう言って去っていった。
私も帰ろう。
帰って寝よう。
なんか地に足ついてない、ふわふわした感じがする。
寝て頭を落ち着かせたい。
◇◆◇◆◇◆
家に帰った私は、挨拶もそこそこに、少し寝るだけ告げて布団に潜る。
お母さんが綺麗にしてくれたみたいで、すぐに入れた。
目を瞑り話を思い返す。
住職のこと、東雲さんのこと、紫龕様のこと。
いったいなにが本当でなにが嘘なのか。
私にはわからない。
やがて睡魔がやってきて、静かに身を委ねる。
夢を見た。
人一人が歩くので精一杯な、細く長い砂利道。
両脇は深く暗い色をした海。
ザアザアと叩きつける様に降り頻る雨の中、
私は白無垢に身を包み、
そこに立っていた。
目の前には真っ黒な鳥居。
その向こうに、髪の毛がとても長い人。
長すぎて顔は見えない、毛先も海に浸かっている。
男性か女性かもわからない。
実家に戻って来た日の夜に見たのと同じ夢。
「紫龕様……?」
私の言葉に反応したのか、
その人はこちらに歩いて来た。
私達を隔てる鳥居の前に立ち、
そしてカーテンでも開くように長い髪を掻き分け、顔を見せてくれた。
瞼の隈、光を映さない眼窩、
所々抜け落ちた歯に、ヒビ割れた唇。
その風貌に怖さは覚えず、綺麗な女性だと、素直に感じた。
そして彼女は口を開く。
けれど何も聞こえない。声が出ていないみたいだ。
どうにかコミュニケーションが取れないか。
私も鳥居のギリギリまで近づいて、
表情から言いたいことを読もうとする。
彼女の口の動きと表情。
全てを見逃さないように集中して、
次第にわかってきた。
紫龕様じゃない。
彼女は、川の主だ。
住職の話にあった、髪を捧げられ、川を作ったその人。
私がそれを理解したからか、彼女は笑顔を見せた。
それを見て思わず身体が鳥居を通ろうとするが、手で制される。
そして彼女は胸の辺りを指差し、流す動作をした。
胸……?
あっ! 上着のポケット!
髪の束を入れてる場所だ。
それを流す……川に流せば良いのかな。
彼女は笑顔のまま頷いて、
そこで私の目が覚めた。
時計を見たら20時を過ぎていた。
かなり寝ちゃったみたい。
布団から出て土間に向かう。
土間にはお父さんとお母さんが揃っていた。
「咲恵、大丈夫?
声かけても起きないから……ご飯食べられそう?」
お母さんが心配してくれる。
「大丈夫だよ。
変な夢見ただけだから。
ご飯たが食べるよ」
すると今度はお父さんが反応した。
「変な夢?
髪の長い奴が出てくる夢か?」
……え。
「な、なんで知ってるの!?」
「なんでってなぁ……。
祭りの前後になるとその夢を見るんだよ。
それこそ母さんも、村の皆もな」
「そうね、だいたい二週間前後は見るかしら。
でももう慣れっこよ?」
お父さん達の言葉に思わず絶句する。
でも、そうだったんだ。
住職の話、
東雲さんの話、
皆が見ている夢、
そして川の主の笑顔。
紫龕様の正体。
どれもが正確に伝わっていなくて。
でもそれぞれの話自体は正しくて。
私だけが、導けるピースを集められた。
一回まとめてみよう。
そんな事を考えながら食べるご飯は、味がしなかった。
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