忘却伯の勿忘草

ブロンズ

第一章:忘却伯と領地経営

プロローグ:学生生活は平凡に




 熱い……。

 


 ………。



 熱い―――、熱いッ。


 貴族らが贅と見栄を尽くした絢爛けんらんの光華は瓦解し、倒壊する瓦礫の山は灼熱の光に変わった。

 もとは煌びやかな庭園の形をとっていた事が推測できる慣れの果ての残骸の中で、燃え残りの服を纏い倒れた自分が、か細く息を吐いている。

 流れ出る体液はそれそのものが燃え上がりそうなほどに赤く、呼吸するたびに肺に液体が満たされたように苦しい。

 あの頃のような、苦しさ―――あの頃って?


 続く、ただ断続的に耳をつんざく轟音はここから逃げろと叫んでいるのか、或いは全てを呑み込むべく轟き渡っているのか。

 どちらにせよ、下敷きとなった体は動かない。

 今この瞬間も重みを増し、積み重なりゆく崩落した石塊。

 腰から下は既に痛みすら喪失していて、しかし潰れた足が移動を赦さない、その中で―――。



『ボク、は……あなたが……』



 身の丈ほどもある巨大な剣を持った彼女へ、己はまたそれを投げかけていた。

 自分の意志と反して、何度も、何度も。


 また? ……何度も?

 いや、これが初めての筈だ。

 自分がこの光景を目にしているのは、これが初めての筈で―――……本当に?



『羨ましい……!! 貴女が、羨ましいッ……! 僕にも、貴方みたいな力が……強さが……! 力が、あったら!! 彼女を―――あの子を!』



『今度こそ―――』



 息苦しさは増していく。

 己が叫んでいる対象、まるで彫像のようにその場に冷たく佇む存在……全てが朱に染まる中で、あまりに場違いに思える冷たい、銀の長髪を持つ女性が……。

 彼女が、こちらの叫びに応えるように何かを呟いている。

 しかし、意識が遠のいていく己には、やはり今までと同じく何も聞こえなくて……意識が、遠のく。


 女性が己から視線を外し見やる先には……誰か、いる?


 火が、燃え盛る。

 その場から動けない中で―――意識が……燃え盛る火は、火の粉となり服へ。

 やがて、服から全身へと。


 熱い、あつ、い……!!



 ………。

 ……………。



「あつ―――暑い……!!」



 寝苦しさ、そして乾きに跳ね起きたのはベッドの上。

 成程、殺人的猛暑で。

 急ぎ枕元の衣装棚……、その上にある水差しに手を伸ばせば、隣の鏡には白色にも近い程に淡い金髪、青目の青年が映る。 

 勿論自分の顔だ。

 当たり前に生傷もなければ血も出てはおらず、そして今日もイケてる……。



「―――んっ、……ぅ。暑すぎないかな、今年は」



 貴族の密室事件が起こるまで秒読みだったと感じ、含んだ生ぬるい水を飲み下す。

 ある程度の設備が整った寮の一室に在って、しかし空間を冷却するような設備は存在していない。

 六大神が一柱【海嵐神】を守護星とする参の月……、向こうで言えば真夏。

 暑さも真っ盛りという訳で。 


 あぁ、……既視感があるわけだ。 

 今の夢は、これまでに何十と見続けたもので。

 まぁ、古い友人みたいなものだ……、と。


 一人納得し起き上がる中で、部屋の外から控えめなノックが聞こえ。



「―――お坊ちゃま、起きておりますかな」

「ん、入って良いよ」



 ゆっくりと、扉が開く。

 現れたのは白髪の混じる灰色の髪を持つ、柔和な紳士。

 70を過ぎたような老齢である筈が、魔素の影響であるのかまるで衰えを感じさせない身体さばきと黒々とした瞳。

 我が家の家令であり、完璧執事であるヴァレットだ。



「では、お着替えを。すぐに準備をせねばならぬでしょう」

「朝食―――は、ないのか」

「えぇ。今日は朝から身体検査がありますゆえ」



 パンを咥えて全力ダッシュする必要もないわけだ。

 したがって、恋も始まらない。

 ベッドを整えるままきびきびと動き始める執事から追い立てられるように、急ぎ出立の準備を。

 僕―――帝国南部アノール領……ユスティーア伯爵家の嫡子、レイクアノール・ユスティーアの朝は始まった。




   ◇




「次の者~~」


 

 アトラ大陸に数多く存在する人間種の国家。

 その中でも最大規模とされる大国ジルドラード帝国は中央部―――帝都からもほど近い距離に位置する都市レガリス。

 帝国に生きる多くの貴族……その子女が生きていく中で必要な知識と技能を身に着けるべき学び舎として存在するのが、現在の僕が暮らす帝立レガリス学院で。


 アトラ大陸全土を震撼させた伝説の戦い―――人魔決戦から10年以上が経ち。

 今を生きる僕にとって当たり前である筈の技術は、本当にここ最近で発達したものが殆どだという事実……。

 それは、今現在受けている身体測定にも大きく影響していて。



「はい、次の者~~?」



「うーむ……、む」



 頭に付いた装置、その他機器を外され、追い立てられるように席を立つ。

 すぐに出力された結果通知は……と。



「……魔力量1200M……変化なし。魔素適合率……11%、変化なし」



 成程、なにも成長してない。

 驚く程成長してない。

 最新技術により近年飛躍的に向上している魔力の測定に関する機器類が読み取った情報。

 正確無比なそれが告げるのは、あまりに残酷な真実で。

 こういうのってあれじゃないの? 計測器に座った瞬間機械が大破、「いったい彼は何者~~」の流れじゃないのかな。

 いや、最高学年にもなって今更なんだけどさ。

 入学時から期待してて結局一回も見た事なかったよ、そういうの。



「で。身長174センチ……は、少し伸びたね。体重もそこそこ……筋肉かな」



 魔力とはその者が保有する、超常の力を行使するエネルギー源。

 単位にもなるM、魔素マナとはその前段階となる精製前の姿。


 人も、動物も、魔物も……植物だって。

 この世界に存在する生きとし生けるもの全ては、大気中に溢れる魔素を吸収し、体内で魔力へと精製する事で生命活動を維持している。

 成長に伴い生物の身体はより強固な自己を確立する為、身体を魔素に適合し……成長と共に、適合率は上がるし、上がるほどに超常的な力を備える……つまりレベル。

 大抵は身長とかと同時期に成長が止まるらしいけど、実際僕もそうらしい。


 自分の番が終われば動線に沿って廊下へ。

 あまりに広いそこを悠々と歩いていけば、これ見よがしに展示される魔物の骨格……地狼種の標本などが姿を覗かせ。

 例えばこの骨格のもととなった魔物など、仮に僕が十人いたとて狩られるだけの存在だ。

 人間種は特に魔素の適合率が低くてね。


 ……魔素は、大体の生き物は魔素を吸収して終わり。

 だけど、魔物と呼ばれる凶悪無比な生物たちは、吸収した後に更に増幅された魔素を吐く。


 そして新たな魔物が魔素から生まれ出る……と。

 これ、最初期に学園で教えられる生物学の知識。



「―――卒業間近だから感傷に浸ってるのかな。今更何だって話だね」


 

 結局今は只の骨っこだ。

 何度も通り過ぎた廊下、見慣れた光景だし、今更新鮮味もない。

 

 そもそも、魔素が濃くなり過ぎて魔物が増え散らかさないように適切な狩りを行うのは専門家や国の軍部の仕事。

 僕達貴族が直接魔物と戦う事はほぼない。

 とはいえ、魔素の適合率が上がるという事は即ち毒物や物理的なダメージをも寄せ付けない身体能力を得るということでもあり、積極的に上げるためのカリキュラムが組まれる訳だ。


 そういう意味では魔素の適合率が上がるのはとてもいい事。

 ジルドラード帝国の伯爵位貴族。

 その嫡子として生まれた僕は、次期領主として相応しい知識と経験の為、王立の学園へ送り込まれている訳なんだからね―――お。


 標本かってくらい直立不動の老体発見。



「いたいた。ヴァレット。はい、これ」

「はい、坊ちゃま。拝見いたしましょう」



 ………。



「―――ふむ……問題ないでしょうな。この状態を維持しますように。おやつは適度に。間食も同様です」

「はいはい」

「では、次のお時間は護身に関する実技となっておりますな。第一学年との合同授業です。見本を見せるように、と」

「……うへぇ。実技か」



 順当に向かうは屋外。

 平民からの生徒の募集が多くなっている現在の学園事情となっても、護衛の意味で高位の貴族子女には複数の侍従が行動を共にするのが通例で。

 回廊を抜け中庭へ。

 そこから更に歩いたところでは既に健康診断を終えた者から先に実技を行っており。

 その中で、思わず目を留めてしまうものがある。



「―――ッ!」

「―――、―――」



「凄いなぁ、あの子たち。まだ一年生なのに……」



 気合十分も当然として、外野から見ているだけでも洗練されている事が分かる動き。

 思わず「うーーむ」と舌を巻く。

 最高学年である自身でさえ、数年間の努力と素晴らしき師の影響があっても基本的な自衛としての剣術しか会得できなかった。

 しかし、遠目に見える子ら……それも、まだ一年生である筈の彼らはどうだろう。



「ふっ……。あれなら、例え3対1でも」

「負けますな。無論、あちらが1です」



 明らかな才能の差。

 顔立ちならまだ良い勝負ができるかもしれないけど、他では完敗も良い所で……。

 ……にしてもあの中心の子。



「―――って、やばいやばい。あの子……ゴホン。ねぇ、ヴァレット。あの方ってさ?」

「えぇ、ウェールズ様ですな」



 道理で凄いわけだし、道理で沢山の屈強な護衛たち。

 そこにいた少年の一人は、年齢的にも数歳しか離れていない、帝国帝室の皇太子だった。

 つまり、少年がいずれ仕えるであろう未来の皇帝だった。

 ……順当にいけば、の話であるが。

 何せ、この国は公爵―――王家に連なる家系ですら三つあるし、中央の帝室など子供は両手の指で数えきれるかってくらいに居る。

 継承権の所有者は30人くらい……だっけ?

 

 まぁ、それでも噂通りなら彼で確定だけど。

 白公に選ばれた御子、だっけ。



「―――って事は、一緒に訓練している人たちも上級貴族の跡取りだね。道理で、凄い技術なわけだ」



 才能という点もあるだろうけど、幼少期……それこそ片手で数える年齢の頃より文武両道たれと厳しく育てられ、血の滲む努力をしてきたであろう上級貴族の子女ら。

 彼等へ、只家の歴史が長いだけのユスティーア伯爵家跡取りが勝てぬのは何の理不尽でもない道理だ。



「ふむ……北の要、ブルーバード辺境伯家。装煌魔術の大家たるベリー伯爵家。……新進気鋭、ガルム伯爵家。そして武の名門たるギルソーン侯爵家。成程、そうそうたる顔ぶれでありますなぁ」

「ギルソーン家のあの子ってさ。適合率30超えてるって本当かな」

「真実でしょうな。かの侯爵家は武家の名門。遺伝と家の固有により、そのくらいはあっても何らおかしくありません」

「そんなサラッと」



 適合率30もあれば、今すぐにでも名門領家の騎士団で通用するじゃないか。

 冒険者で言っても大多数が目標とするC級はある筈で……さっきの標本、そのもととなった地狼種を倒せるくらいに強い。



「勝てる面がありませぬか?」

「ふっ。いいや? 顔と―――ううん……。彼も……どころか皇太子さまの所だとしても。師匠の質だけは絶対に負けないさ。有り難うね、ヴァレット」

「ほほっ。いえ、いえ」



 少年専属の侍従。

 家の諸々を取り仕切っている筈の彼が、態々数年も掛かる寮暮らしの学園生活に付いて来てくれた。


 ヴァレットは、元冒険者。

 魔物狩りの専門家かな、平たく言えば。

 それも、かなりの上位冒険者まで上り詰めた逸材だったというし、実際バケモノかってくらい強い。



「えぇ、そうですな……。確かに、坊ちゃま自身には魔術の才はありませぬ。魔力量は並みよりやや高いですが、質も悪く、属性への適正も皆無。コレで剣術の才があるなら良かったのですが、ソレもありませぬ」

「……はは。クビ? クビかな?」



 まぁ、見ての通り。

 偶に毒を吐き、厳しい所もあるけど……。



「ですが、坊ちゃまの努力は彼等に負けるものではなく。誰にも否定できますまい」

「ふふんっ」



 それでも、母の顔を知らず、父親からの関心も薄い僕にとって心より信頼できる稀有な存在であり、自慢の師でもあるんだ。



「……でも、相変わらずオクターヴ公爵のお子さんたちは来てないんだね?」

「そのようですな」



 実際の所、貴族家に生まれた子女は家の意向により剣術など危険の伴う講義をパスできる。

 そして、帝国でも智慧の一族として外交を担うオクターヴの人間……現状学園にいる嫡子は非常に聡明とのうわさ。

 出席せずとも常に学年の首位を独占しているため、講義にすら出ていないと。



「色々と事情があるのでしょうな」

「だね。貴族だし」

「残すところ一か月ですな」

「……だね。卒業したら、本当にすぐ伯爵にさせられるのかな」


「領民が大切ならば、成るしかないでしょうな」

「え人質?」

「研究熱心な当主様は、まつりごとに興味がございませんようなので。坊ちゃまが民の為を想うのであれば、道は一つです」

「―――ねぇ、さっきから脅してない? やっぱクビにするよ?」

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