第3話

萩原巴は可愛くない。


これまでの人生を振り返っても異性からモテた試しがない。


だから、人伝てに渡されたラブレターに顔を顰めたり、名前も知らない上級生からしつこくSNSのIDを聞かれてうんざりしている親友を見るたび、まるで別次元の出来事のように感じていた。


「普通好きな相手の名前間違える!?西園寺芹香って誰よ漢字調べろってのよ…」


「他校の男の子だし、しょうがないよ。ラブレター書く勇気があるだけ立派だよー」


「さっきの先輩もさ、わたしの顔立ててってなによ?なんで顔見たこともない集中講座?の隣の席の男子にID教えなきゃなんないの!?」


「最近多いよねぇ…みんな何とかして芹佳とお近づきになりたいんだよ」


先生に見つかったら大目玉間違いなしの、椅子の上に胡坐という格好で苛立ちを露わにする芹佳は、怒っていてもやっぱりとんでもない美人だ。





中等部の頃はまだどこか幼さが残っていたけれど、今年に入ってから一気に大人っぽくなった。


入学式で講堂に集まった生徒と教師と保護者全員の注目を浴びまくっていた美少女が、実は見た目ほど落ち着いてもおらず、年相応の感覚を持っている普通の女の子だと知った瞬間のあの何とも言えない高揚感。


両親の離婚を機に、自宅から離れた私立校への進学を勧められた芹佳が、母親と兄に心配をかけまいと、必死に虚勢を張って入学式に挑んでいたのだとわかった時には胸が痛んで、もっと芹佳のことを好きになった。


きっと芹佳とこんなに仲良くなっていなければ、歯に衣着せぬ物言いと、見た目の華やかさのせいで校内では浮いた存在になっていた彼女のことを、孤高の存在と崇める一部の生徒たちと一緒になって羨望の眼差しを送っていたことだろう。


西園寺芹佳の親友のポジションは、これまでこれといった肩書を貰えたことのない巴にとって、初めてのピカピカの看板だった。


芹佳にとって恥ずかしくない友達でいたい。


そう思えたから、背筋を伸ばすことを覚えたし、勧められるままコンタクトに代えた。


ドキドキしながらコンタクトで初登校した朝に、芹佳を学校まで送り届ける尚翔の車を見つけた時には、心臓が口から出そうになったものだ。


赤信号の交差点で手招きする芹佳に引き寄せられておずおずと乗り込んだ後部座席を振り返った彼が言った。


「コンタクトにしたんだ?可愛いね」


妹の友達へのリップサービスだと分かっていても、泣きたくなるほど嬉しかった。


「あああ!なんで先に言うのよ!?私が一番に言おうとしてたのに!!」


助手席から身を乗りした芹佳が、じいっと巴の顔を見てうんうんと頷く。


「あ、やっぱりちょっとだけ目が盛れてる」


「ん…教えてもらった着色直径がちょっとだけ大きいのにしてみた…ゴロゴロして慣れないけど…」


うっすらと目の縁取りが黒くなっているコンタクトには違和感しかなかったけれど、付けた瞬間の自分の顔に驚愕して、絶対これがいいと母親に本気で強請った。


古今東西、目が大きい女子が可愛いと決まっているのだ。


何も手を加えなくとも純正美少女が出来上がってしまう芹佳と自分は違う。


だから、校則違反だとバレない程度には手を加えなくてはならない。


日焼け止めとヘアアレンジとクリアマスカラ、それだけでも随分と垢抜けるのだ。


元が野暮ったい庶民はとくに。


丸顔はどうしようもないから、輪郭を隠すようにおくれ毛を残すことも、前髪とシェーディングで顔の面積を削ることも、芹佳と仲良くなってから覚えた。





「どうでもいい人とお近づきになっても意味ないし」


ぶうっと不貞腐れた芹佳が、今度は膝を抱えて爪先を蹴り上げる。


プリーツスカートがひらひら揺れて、芹佳の綺麗な下ろし髪もサラサラ揺れた。


「また合コンだって…吏玖のヤツ…女好きは滅びろ!!」


芹佳と仲良くなった頃、すでに社会人だった尚翔と友人の吏玖は、それなりに会社員生活を謳歌しており、忙しい仕事の合間に妹の世話も恋愛も楽しんでいるようだった。


直接訊いたことなどないが、時々車に乗せてもらうと、ふわっと香る花の香りは、恐らく巴の知らない女性ものの香水だ。


芹佳や巴の前で、そういう一面は絶対に見せないけれど。


「でも、週末の映画は一緒に行くんでしょ?実質デートだよね!」


「違う!あれは子守りの延長なの絶対」


「えー、でも…」


「あの映画シリーズね……お兄(にい)が中学生の時からずーっと吏玖と一緒に見に行ってるやつなの。一時なんて毎日リビングで過去作流れてたんだから!私なんてセリフまで覚えちゃってるし……だから、新作が公開になるたび、ずっと一緒に行くのがもうお決まりなのよ。だから、デートじゃなくて、子守り。お兄が仕事で行けないから、たまたま二人になっただけ」


唇を尖らせて爪先を睨みつける芹佳が、こんなにもいじらしく切ない片思いに焦がれていることを、巴のほかに誰も知らない。


恐らく巴と出会うよりも前から、芹佳は幼馴染でもある兄の友人のことが好きなのだ。


つい先日尚翔への思いで遅咲きの初恋を知ったばかりの巴には、あまりにも刺激が強すぎる。


ただただ憧れて、好きという感情以外知らない巴に、芹佳のお悩み相談を受け付けるだけの力量はまだない。


「でも、一緒に行けて嬉しいんだよねぇ」


「そりゃあ……まあ?」


「芹佳はいまのままでも十分大人っぽくて美人だけど、髪巻いたほうが美人度が上がるよ。このあいだ、うちに着て来たニットワンピースも可愛かった。ブーツも完璧」


「……そう…?」


「うん。うちのお父さんもぽーっと見惚れてたもん!」


「えええええおじ様基準なの!?」


ケラケラ笑った芹佳が、よっしゃ!と椅子から立ち上がる。


挑むような表情で天井を睨みつける芹佳の後ろ姿もやっぱり凛々しくて綺麗で。


こんな可愛くて綺麗な芹佳を見たら、きっと碓井さんも好きになるはずなのになぁ…と毎回思ってしまう巴だった。


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