第10話
孤児院の広場は、民衆の熱狂に包まれていた。
「守護者様、万歳!」
「トール様、ありがとう!」
俺は、この好意と期待の渦の中で、ただただ早く帰りたいと思っていた。
殺意なら、いくらでも無効化できる。
だが、この純粋な好意は、俺のスキルでは防げない。
重たい。
「わあ! しゅごしゃさまだ!」
「おっきーい!」
孤児院の子供たちが、俺の周りに集まってきた。
彼らの目には、恐怖も遠慮もない。
ただ、好奇心だけがきらめいていた。
「ねえねえ、だっこして!」
一番小さな女の子が、俺の兵士服の裾を引っ張った。
「……は?」
俺は、思わず戸惑った。
「ずるーい! わたしも!」
「ぼくも、ぼくも!」
子供たちが、我先にと俺の足に取り付いてくる。
面倒くさい。
非常に、面倒くさい。
俺は、どうしたものか、と立ったまま動けなかった。
「まあ……。トール、子供好きなのね」
セレスティアが、俺の隣で、うっとりとした表情を浮かべた。
「あなたの、そんな優しい一面……。初めて見たわ」
「いえ、別に……」
俺が否定する間もなく、クラリスも、胸の前で手を組んだ。
「ああ……。トール様。なんと、慈悲深い……」
「身分や年齢に関係なく、その愛を分け隔てなく注がれる……」
「まさに、神の御姿です」
「……だから、違うんだが」
俺の言葉は、二人のヒロインには届かない。
アメリアは、その光景を、なぜか涙ぐみながら見守っていた。
「主君……! この国の未来である子供たちまで、その御手で……!」
「ああ、私がお仕えすべき御方は、やはり、この御方しかいない!」
もう、勝手にしてくれ。
俺は、ため息を一つついて、足元で騒いでいる子供たちを見下ろした。
このまま無視するのも、後で何を言われるか分からない。
俺は、仕方なく、一番小さな女の子を、ひょいと抱え上げた。
「わーい! たかーい!」
女の子が、きゃっきゃと笑う。
その笑顔は、まあ、悪くなかった。
「よし。下ろすぞ」
「いやー! もっと!」
「……面倒くさいな」
俺は、女の子を抱えたまま、棒立ちになった。
その姿が、また、周りの大人たちの感動を呼んだらしい。
「おお……。守護者様が、孤児を……」
「なんて、お優しい方だ……」
モブの民衆たちが、口々に俺を称賛し始めた。
読者代弁モブの仕事っぷりには、感心する。
「それに比べて、あのオルブライトの王子は……」
「そうだ、そうだ! あんな奴に、セレスティア様を嫁がせなくて、本当によかった!」
「すべては、守護者様のおかげだ!」
政治ショーとしては、大成功だろう。
国王も、さぞ満足しているに違いない。
だが、俺の平穏は、どこにもない。
俺は、早く塔に帰って、地下室で寝たかった。
その時だった。
群衆の歓声が、悲鳴に変わった。
「うわあああっ!」
熱狂する民衆の中から、一人の男が、ナイフを持って飛び出してきた。
その目は、血走り、俺ではなく、俺の隣にいるセレスティアを、真っ直ぐに睨んでいた。
「王女めえええっ!」
「よくも、我が主君、オルブライト王子を……!」
男は、どうやら、昨日逮捕されたクズ王子の従者らしい。
トール個人への殺意ではない。
王女セレスティアへの、純粋な殺意だ。
「殿下!」
アメリアが、即座に反応した。
彼女は、剣を抜き、セレスティアの前に立ちはだかろうとした。
だが、男は、群衆に紛れていたせいで、距離が近すぎた。
アメリアの剣が、間に合わない。
「死ねえええっ!」
男のナイフが、セレスティアの胸元に迫る。
セレスティアが、恐怖に目を見開いた。
「……面倒くさい」
俺は、抱えていた子供を、近くのシスターに放り投げた。
そして、セレスティアの前に、割り込んだ。
男に、背中を向ける形で。
ゴギンッ!
鈍い音が、俺の背中で響いた。
男のナイフが、俺の安物の革当てに突き刺さり、そして、粉々に砕け散った。
俺の背中は、もちろん、無傷だ。
「……え?」
男が、柄だけになったナイフを握りしめ、固まった。
「な……。なぜだ……? 背中だぞ……?」
「鎧も、着ていない……。ただの、服に……」
「……うるさいぞ」
俺は、ゆっくりと振り返った。
俺の、不機嫌そうな目と、男の目があった。
「ここは、孤児院だ。子供たちが、怯えてるだろ」
俺は、男の顔面に、思い切り平手打ちを叩き込んだ。
俺に攻撃力はない。
だが、俺の体は、男の殺意によって、完璧な防御状態にある。
鉄の塊で殴られるのと同じだ。
「ぐべはっ!?」
男は、数メートル吹っ飛び、そのまま地面に叩きつけられた。
そして、動かなくなった。
気絶したらしい。
広場は、一瞬、静まり返った。
そして、次の瞬間、爆発的な歓声が沸き起こった。
「「「うおおおおおおおおっ!」」」
「守護者様だ!」
「また、刺客を倒したぞ!」
「す、すげえ……。背中で、ナイフを……」
「振り返りもせずに、受け止めやがった!」
「最強だ! 我が国の守護神だ!」
民衆の熱狂が、最高潮に達していた。
「……はあ」
俺は、深いため息をついた。
これで、俺が「ただの兵士」に戻れる可能性は、ゼロになった。
「……っ!」
アメリアが、俺の背後で、唇を噛みしめていた。
彼女は、自分が守るべき王女を、またしても俺に守られた。
その悔しさと、俺への尊敬が、入り混じった目で、俺を見ている。
ヤンデレゲージが、また上がった気がする。
「ああ……! トール……!」
セレスティアが、俺の背中に、がばっと抱きついてきた。
その体は、小刻みに震えている。
「あ、ありがとう……! また、あなたが……!」
「私、怖くて……!」
「……もう、終わった」
俺は、セレスティアの手を、面倒くさそうに引き剥がした。
「それより、任務は終わりだろ。俺は、塔に帰る」
「トール様! お怪我は!?」
クラリスが、俺の背中に駆け寄ってきた。
彼女は、俺が攻撃を受けた背中の服に、そっと触れようとした。
「平気だ。帰るぞ」
俺は、その手を避けるように、一歩下がった。
「……ああ」
クラリスは、俺に触れられなかったことを、一瞬、残念そうにした。
だが、すぐに、恍惚とした表情になった。
「……邪悪な刃が、トール様の御体に、触れることすらできずに、砕け散った……」
「やはり、あなたは、神……」
神格化が、さらに進んでしまった。
俺は、熱狂する民衆をかき分け、さっさと馬車に向かった。
「アメリア! 帰るぞ! 後処理は任せた!」
「はっ! 御意に!」
アメリアが、部下たちに、気絶した男を拘束させている。
王城への帰り道。
馬車の中は、気まずい空気が流れていた。
いや、俺は別に、気まずくない。
ただ、眠いだけだ。
気まずいのは、セレスティアだろう。
「……トール」
セレスティアが、おずおずと、俺の腕に抱きついてきた。
「ありがとう。怖かった……」
「……ああ」
「私、あなたがいないと、もう、生きていけないかもしれない……」
彼女の目が、潤んでいる。
「今夜は、絶対に、塔に泊まるわ。お願い」
「あなたがいないと、私、眠れないの!」
「断る」
俺は、即答した。
「なぜ!? 私が、こんなに怯えているのに!?」
セレスティアが、信じられないという顔で俺を見た。
「どうせ、お前が来たら、クラリスもアメリアも来て、うるさくなる」
俺は、正直に理由を言った。
「俺は、地下で寝る。お前が、塔のベッドで寝ていても、意味がない」
「ち、地下!?」
セレスティアが、絶句した。
「あなた、あの塔の、地下で寝ているの……!?」
「ああ。一番、静かだからな」
「そ、そんな、石の床で……!」
セレスティアが、何か、決意したように、目を見開いた。
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