3話 窃盗
唯一、クラスLINEに入っていない人間の生活は簡素なものだった。
誰とも会話せず、ただ授業を聞いて、昼食をとって、また授業を受けての日々。
前回の人生からは考えられないほどの人生を俺は送っていた。
でもこれでいい。いずれ来る。あの日が。
そしてその時が来た――校外学習。
「校外学習のお金、回収するぞ。高坂、持ってきてくれるか?」
担任教師が学級委員の高坂結月に言う。
「はい」
それに高坂さんは、一切の曇りなく真面目に答える。
高坂さんが机の中に手を入れたところで、一度目の事件が起きる。
「どうした? 高坂」
焦りを隠すことすら忘れた高坂さんは、静かに手を挙げる。
「お金……なくしました」
「……………………」
教室内は氷河期が来たかのように一気に凍りつき、クラスの皆、息ができなくなる。
は?
誰もがそう困惑しただろう。
だが教室内で、たった二人。平然としていた。
その二人とは、当然だが未来を知っている俺と……もう一人は、神宮寺光輝。
「おい。お金がなくなったってどういうことだよ?」「え? じゃあ、校外学習行けないってこと?」「これ、どうなるんだよ……」
長い沈黙を経て、何が起こったのか理解し始めた生徒たちが次々と騒ぎ始める。
それを担任教師が「落ち着け」と、一旦教室内を落ち着かせる。
それでも動揺は隠せていないようだった。
「え、えっと……本当に机の中に入ってないのか? 他のところはちゃんと探したか? 例えば鞄の中――」
そんな先生の問いかけに高坂さんは「ごめんなさい」とただ謝ることしかできていなかった。
それによりせっかく落ち着いた教室内は、再び騒ぎ始める。
「マジでこれどうなるんだよ」「これで校外学習行けないなんてことになったら……」
ここまではまだ良かった。
だが、徐々にヒートアップしていき、特に女子生徒たちが、高坂さんの悪口めいたことを言うようになり始める。
「ってかさ。あの高坂って子、普通に学級委員失格じゃない? 頭良いのか知らないけどさ。真面目ぶっちゃって」
それはきっと、容姿が良い彼女への嫉妬心も含まれていたのだろう。
今まで高坂さんの容姿に惹かれていた男子たちは、今となっては自分が標的にならないように、静かに息を潜めている。
当然だ。幾ら、高坂さんの顔が良いからと言って、飛んで火に入る夏の虫には誰もなりたくないだろう。そこまでする義理はない。
はずだった。一度目の人生では俺も同じ考えだった。
だが、ここで王子様が現れる。
困っているヒロインに優しく手を差し伸べるラブコメ主人公様――神宮寺光輝。
「あのー」
神宮寺が静かに立ち上がり、そんな声を上げる。
すると、一斉に同じ方向へ視線が集まる。
その方向とは、神宮寺の声と共に、ドンッ、と勢いよく椅子から立ち上がった――俺の席の方向だった。
「どうしたんだ? 杉田。何か分かったのか?」
先生の質問に俺は静かに頭を下げた。
「ごめんなさい。自分が盗みました……」
この状況でのその言葉が導き出す答えは一つしかなかった。
「えっと。杉田。それは本当なのか?」
訊かれた俺は、返事をせず静かに、後方のロッカーの方へ歩き、自分の鞄の中から財布を取り出す。
パンパンに膨れ上がった財布の中から、有り得ない量の札束を取り出して、再度謝罪の言葉を口にする。
「すみませんでした」
「……………………」
教室内に再度、氷河期が到来。
「え」
蚊の鳴くような誰かの声が、一瞬だけ教室内に響く。
だが、次の瞬間、
「え? あれマジ?」「アイツって親睦会、バイトで欠席してた奴だよな?」「財布にあれだけ現金があるってことは、マジであいつが盗んだのかよ」
色々な声が教室内に飛び交う。
それでも俺の心は落ち着いていた。
何せ、これは初めから全て計画していたからだ。
どうして俺が、入学初日からあんな必死にバイトをしていたのか。
それは全てこの時のためだった。
俺は初めから、神宮寺が校外学習のお金を盗むことを知っていた。
神宮寺はわざと、高坂さんを陥れ、それを助けて、惚れさせる計画を練っていた。さながらラブコメ主人公のように。
つまりこの事件は全て神宮寺光輝の自作自演ということなのだ。
それを欺くためには、自分で校外学習分のお金を集めて、自分を犯人に仕立て上げるほかなかった。
だが、到底学生のバイト如きじゃお金は足りなかった。どうしようか迷った結果、今まで貯めていた貯金を使うことに決めた。
一度終わった命。このくらいどうってことはない。
「杉田。お金を盗んだのは分かった。正直に名乗り出てくれてありがとう。でも、どうしてお金を盗んだりなんてしたんだ?」
皆を納得させるために先生はそう言うしかなかった。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。どうしても、お金が欲しくて……」
同情心を煽るように言うが、そんなの無意味だった。
今になってだった。今になって、高坂さんを守ろうとする男子たちが声を上げた。
「高坂さんに謝れ!」「どうしてもっと早く名乗り出なかったんだよ」「高坂さんが可哀想」
手のひらがクルックルな単純男子生徒たち。
そしてそんな高坂さんはと言うと、なくなったお金が見つかったことへの安心感半分、自分が犯人にされそうだった怒りが半分。
彼女は俺へに対する怒りを、静かに表情に込めるように眉間にシワを寄せていた。
そう思うのは仕方がない。何せ、高坂さんは何も知らないからだ。高坂さんは被害者。
危うく学校で自分の居場所がなくなりかけたのだ。怒って当然だ。
「マジでクソだな」「校外学習が行けなくなるまでしてお金を盗もうとしてたなんてサイテー」「ってか、封筒から抜き出していちいち自分の財布に入れ替えるとか、使う気満々じゃねぇーか」
先程よりもヒートアップした生徒たちを静める術は、担任の教師でさえなかった。
「ま、まぁまぁ、みんな彼をそんな悪く言うなよ。彼だってきっとお金がなくて困ってただけなんだろうから」
そんな時、出遅れすぎた王子様が、狼狽えながら言った。
神宮寺視点、自分が盗んだお金が他人の懐から出てきたのだから、意味が分からないだろう。
まぁ、だが今回は神宮寺に助けられた。俺への悪口が収まりつつあった。
そう思っていたのだが、
「つーか、そもそもの話、高坂が盗まれないように注意払っとけばこんなことにはならなかったのに」「それな」
どうにかしてでも高坂さんを悪く言いたい女子たちは、必死に粗探しをして、高坂さんが悪くなるように誘導する。
「どうして彼女を悪く言うんだ! 今回彼女は何もしてないだろ! 巻き込まれた側なんだ。今回の犯人は――杉田なんだから」
必死にいいところを見せようとした神宮寺は臭いセリフと共に、俺のことを再度犯人に仕立て上げる。
自分から犯人になったのだから文句を言うつもりはないが、本物の犯人に言われるのはあまりに癪だ。
だが、今回は俺が犯人ということで丸く収まった。
そう安心したのも束の間。俺は、それから学校内で『泥棒』というレッテルを貼られるようになってしまった。
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