ポンコツ高校生は、記憶の盾で最強の絆を守り抜く。

月城 リョウ

序章-1「忘れた世界」

序章-1「忘れた世界」

「ハル! 起きなさいよハルーーーッ!」


けたたましい声と同時に、俺の頬に何かが直撃した。


痛っ! ……枕?


「んあ……あと五分……」


「五分じゃない! もう七時四十分よ! 始業まであと二十分しかないの!」


ガバッと布団を剥ぎ取られる。


くそ、寒い。十一月の朝は冷えるんだよ……。


「ほら、早く着替えて! 朝ごはんはおにぎり作ってきたから、走りながら食べて!」


「カエデ……お前、天使か……?」


「天使はこんな面倒見ないわよ! ほら、早く早く!」


橘カエデ。俺の幼馴染で、クラスメイトで、毎朝こうして起こしに来てくれる世話焼き女子だ。


茶色のポニーテールをゆらゆら揺らして、俺の部屋を片付けながら説教してくる。


「もう! あんた毎日毎日寝坊して……アラームかけてないの?」


「かけてるよ。でも無意識で止めちゃうんだよな」


「ダメじゃん!」


ごもっともです。


俺、蒼空ハルは、どこにでもいる普通の高校二年生。


朝は寝坊するし、授業中は寝るし、テストの点数は赤点ギリギリ。


いわゆる、ポンコツってやつだ。


「はい、おにぎり! 鮭と梅干し!」


「サンキュー、マジ助かる」


制服に着替えて、カエデと一緒に家を飛び出す。


十一月の冷たい風が頬を撫でる。空は青く澄んで、雲ひとつない快晴だ。


「今日も良い天気だな」


「そうね。気持ちいい朝……のはずなのに、あんたのせいでバタバタよ」


「ごめんごめん」


走りながらおにぎりをかじる。うまい。カエデのおにぎりは具がたっぷり入ってて最高なんだよな。


「そういえばさ、最近変な事件多くない?」


カエデが不意に言った。


「変な事件?」


「ニュースでやってたじゃん。記憶喪失の人が急増してるって」


「ああ……そういえば」


ここ数週間、確かに妙なニュースが増えてる気がする。


突然記憶を失う人が続出。家族のことを忘れる、友達のことを忘れる、自分の名前すら忘れる――


原因不明。医者も首を傾げるばかり。


「怖いよね。もし私が記憶なくしたら、ハルのこと忘れちゃうのかな」


「やめてくれよ、そういう話」


笑いながら言うカエデだけど、どこか不安そうだった。


俺も、胸の奥がチクリと痛んだ。


――記憶を失う。


それって、どういう感覚なんだろう。


大切な人を忘れる。大切な思い出を忘れる。


それは、まるで――その人が、最初からいなかったことになるみたいな。


「……ハル? どうしたの、急に黙って」


「ん? ああ、なんでもない」


首を振って、笑顔を作る。


でも、胸の奥に引っかかる違和感は消えなかった。


---


学校に着いたのは、始業五分前。


ギリギリセーフ。


「ふう……間に合った」


「毎日このパターンやめてよね。こっちの寿命縮むんだから」


「はいはい、次からは気をつけます」


教室に入ると、クラスメイトたちがいつも通りに騒いでる。


誰かが笑ってる。誰かが話してる。


日常。


何の変哲もない、当たり前の風景。


でも――


(……何か、足りない気がする)


ふと、そう思った。


教室を見渡す。


知ってる顔ばかり。いつも通りの光景。


なのに、何かが足りない。


誰かが、いない。


大切な、誰かが――


「ハル? また寝ぼけてるの?」


カエデの声で我に返る。


「あ、ああ。ちょっとボーッとしてた」


「もう、しっかりしてよね」


カエデは呆れた顔で自分の席に戻っていく。


俺も席に座って、窓の外を見た。


青い空。白い雲。遠くに見える街並み。


全部、いつも通り。


でも、胸の奥にある違和感は消えない。


何かが、足りない。


何かを、忘れてる。


大切な、大切な――


「よーっす、ハル」


声をかけられて顔を上げると、クラスメイトの田中が手を振ってた。


「おう、田中」


「今日も寝坊か?」


「バレバレかよ」


「カエデと走ってくるとこ見たからな。お前ら毎朝のルーティンだろ」


「まあな」


笑いながら答える。


日常会話。他愛もない会話。


それなのに、心の奥がざわざわする。


(……俺、何を忘れてるんだ?)


考えても、分からない。


でも、確かに忘れてる。


ぽっかり空いた穴みたいに、何かが欠けてる。


チャイムが鳴って、授業が始まる。


先生が黒板に何か書いてる。


周りのみんなはノートを取ってる。


俺は――


気づいたら、窓の外をぼんやり眺めてた。


---


昼休み。


カエデと一緒に学食でカレーを食べてた。


「ねえ、ハル」


「ん?」


「あんた今日、なんか変よ」


カエデがじっと俺を見つめてくる。


「変? いつも通りポンコツだけど」


「そうじゃなくて……なんていうか、上の空っていうか」


「……そうかも」


自分でも分かってる。


今日はずっと、胸の奥がざわざわしてる。


「何か悩みごと?」


「悩みってわけじゃないけど……」


どう説明すればいいのか分からなくて、言葉に詰まる。


「なんか、忘れ物した気分なんだよ」


「忘れ物? 教科書とか?」


「そうじゃなくて……もっと大事な、何か」


カエデは首を傾げた。


「よく分かんないけど、気になるなら思い出せばいいじゃん」


「それが思い出せないんだよ」


「じゃあ気のせいじゃない?」


あっけらかんと言うカエデ。


でも、気のせいじゃない気がする。


確かに、何かを忘れてる。


大切な、とても大切な――


「あ、そういえば」


カエデがスマホを取り出した。


「さっきニュース見たんだけど、また記憶喪失の人が出たって」


「……マジで?」


「うん。しかも今回は、街全体で同時多発的に起きたって」


「街全体……?」


嫌な予感がした。


「原因は分かってないみたいだけど、政府が調査に乗り出したって。なんか、怖いよね」


カエデは不安そうに眉を寄せる。


俺も、胸の奥が冷たくなるのを感じた。


記憶喪失。


記憶を失う。


忘れる。


――もしかして、俺も?


「ハル? また顔色悪いよ?」


「……大丈夫」


笑って誤魔化す。


でも、心の奥で、何かが囁いてる。


お前はもう、忘れてる。


大切な誰かを。


取り戻せない、大切な記憶を――


---


放課後。


カエデと一緒に帰り道を歩いてた。


夕焼けが街を赤く染めて、影が長く伸びる。


「今日は部活ないの?」


「うん、今日は休み。ハルは?」


「俺も帰宅部だし」


「相変わらずね」


二人で笑いながら歩く。


いつもの帰り道。いつもの会話。


でも、胸の違和感は消えない。


ふと、立ち止まった。


「どうしたの?」


「……カエデ」


「ん?」


「俺、誰か忘れてない?」


「は? 何それ」


「いや……なんか、大事な人を忘れてる気がして」


カエデは困ったように笑った。


「あんた、疲れてるんじゃない? 今日早く寝なよ」


「……そうかもな」


気のせい、か。


でも――


夕焼けの中、遠くに小さな影が見えた気がした。


誰かが、こっちを見てる。


女の子の、小さな影。


「……お兄ちゃん」


風に乗って、声が聞こえた気がした。


振り返る。


でも、誰もいない。


「ハル?」


「……なんでもない」


また歩き出す。


胸の奥の違和感は、ますます強くなっていく。


俺は、誰を忘れたんだ?


---


その夜。


ニュースが、緊急速報を流した。


『繰り返します。各地で記憶喪失の報告が相次いでいます。原因は不明。現在、政府が――』


テレビの向こうで、アナウンサーが焦った声で話してる。


俺は、ベッドに寝転がりながらそれを眺めてた。


記憶喪失。


忘れる。


失う。


(……俺も、何か忘れてるのかな)


目を閉じる。


暗闇の中で、誰かの声が聞こえた気がした。


「お兄ちゃん……」


小さな、優しい声。


でも、誰の声かは分からない。


思い出せない。


思い出したいのに、思い出せない。


――明日、世界は変わる。


そんな予感だけが、胸の奥に残った。

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