アペロ―恐ろしき依頼人
扉が開いた瞬間、レートは振り返り扉の先を見る。
そこに立っていたのは、二十代前半くらいの青年だった。
肩をすくめ、目線を落としたまま、控えめに「……あの、すみません」と声をかけてくる。
その声音には覇気がなく、頬は少しこけている。やつれているという表現がぴったりだった。
けれど――レートの目には、彼の肩越しに別の存在がはっきりと視えていた。
同じくらいの年齢に見える男の霊。顔は怒りと怨念に歪み、依頼人の背中に手をかけるようにしてのしかかっている。声は出ていないのに、「逃がさない」と言っているような気がした。
背筋がぞわりと粟立つ。
レートは慌てて応接テーブルに散らばっていた報告書をかき集め、紙の束を机の端に押しやると、「どうぞ、こちらへ」と促してソファに青年を座らせた。
マギサはというと、いつの間にかスマホを置き、脚を組み替えて青年をじっと見つめている。
その目は、まるで新しい料理の素材を値踏みするようだ。
「えっと、今日はどういったご用件で?」
レートができるだけ柔らかく尋ねる。
声をかけながらも、依頼は「自分に憑いた霊を祓って欲しい」というものだろうと予想していた。痩せこけ隈のできた表情からも何らかの霊障を受けている可能性が高いと思ったのだ。あの背後の気配はどう見ても普通のものではない。
しかし、青年は少し間を置いて、意外なことを口にした。
「……親友を、探して欲しいんです」
「親友?」
「はい。三日前に心霊スポットに行ったきり、帰ってこなくて……。警察にも届けましたけど、見つからなくて。家出とか、失踪だったとしても、せめて無事なのかどうかだけでも知りたいんです」
レートは思わず言葉を失った。
依頼人の背後にいるのは、その親友としか思えないのに。
レートは落ち着かない手つきで手帳を取り出し、名前を尋ねた。
「お名前、伺っても?」
彼は探し人の名前を聞かれたと思ったらしい。
「……西原 祐介という人です」
その瞬間、背後の霊が同時に口を開いた。
――まったく同じタイミングで。
『西原 祐介』
レートの心臓が跳ねる。
まるで、肉体と霊体が自分を重ね合わせて名乗ったような、奇妙な感覚。
恐らく後ろのソレは自分の名前を聞かれたのだと思い、答えたのだろう。
喉が渇き、言葉が出ない。なんとか平静を装いながら、レートはさらに尋ねた。
「あ、すみません。あなたのお名前を伺ってもよろしいですか。依頼人の情報として必要なので」
依頼人もその早とちりに気付いたのか少し気まずそうにしながら
「あ、
青年は俯きながらそう言った。
背後のソレは宮橋と名乗った彼の首を鷲掴むようにしながら憎々しげに睨んでいる。そしてレートに何か訴えるようにガクリとこちらへ首を動かし目を合わせてきた。
宮橋はゲホゲホと強く咳き込む。やはり霊の影響を受けている。
レートは声を失い、ペンを握ったまま動けなくなる。
その様子を見ていたマギサが、口角を上げた。
まるで面白いおもちゃを見つけた子どものように。
「ふうん……親友想いなのねえ」
柔らかい声だったが、その奥にはぞくりとするような冷たさがあった。
マギサは立ち上がり、ゆったりとした足取りで青年の前へ行き、彼の目の高さにかがむ。まるで小さな子供に言い聞かせるように。
「――何となく分かってはいると思うのだけれど、あなたの親友はもう、良くない状態かもしれないわ。
見付かったとして、それであなたがどんな結末になっても、受け入れること。
それだけ、約束できる?」
青年は一瞬ためらい、唇を噛んだが、やがて小さくうなずいた。
「……はい」
「よろしい。
では依頼を受けましょう。その紙に、名前と連絡先、書いておいて」
マギサは微笑んで依頼請負の契約書を青年へ手渡す。
その笑みは、慈悲深くも、どこか獣めいていた。
こうして――霧切超常事務所の新たな依頼が始まった。
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