第10話「超えてはならない一線」

「――着いたか……」


 全力疾走をした俺は、三校舎三階のトイレの前に辿り着いた。

 この階はコンピューター室だけなのと、授業も頻繁に行われているわけではないので、あまり生徒が立ち入ることがない。


 俺ならこういう時、学校を支配している場合あえて人が多い場所で、気付かれないよう人払いを済ませ後に、そこに連れ込むが――随分と、素直なところに連れ込んだものだ。

 これなら、俺は答えがなくてもすぐ見つけられたかもしれない。

 たいていまず探すなら、人があまり近寄らなさそうな場所だからな。


「少し待っていてな」


 俺は掃除用具入れの影に隠れさせるように、白雪さんを壁にもたれさせる。

 そして、再度トイレに近付いて耳を澄ませるが、話し声は聞こえない。

 でも、人の気配はする。


風麗ふれいが、先に逃がしたか……」


 女子トイレから感じる気配は一人だけで、おそらく雛だろう。

 もし翠玉えめらが連絡していたとしたら、雛も連れて逃げているはずなので、風麗が連絡をして俺と鉢合わせしないようにしたのだとわかった。


 まぁでも……あの教室にいた女子たちの顔は全員覚えているので、今日登校しているA組の名前を調べてあの場にいなかった奴らを探せばいいだけの話だ。

 まず間違いなく、そいつらが実行犯なのだからな。


 むしろ、雛を人質にされる可能性がなくなっただけ、楽になったと言える。

 とはいえそれも、風麗からしたら計算通りのことなのかもしれないが。


 俺は、白雪さんのような刺客が隠れている可能性を考慮して外から声はかけず、音を立てないようにしながら女子トイレに入った。


 すぐに目に入ったのは、水浸しになっている床。

 その先に座っていたのは――引き裂かれたようにボロボロになっている服を抱きしめて俯く、下着姿のビショ濡れな雛だった。


 俺は全身に熱が滾るのを感じながらも、なんとか気持ちを抑えながら口を開く。


「雛、大丈夫か……?」

「おにい、ちゃん……?」


 声を掛けて初めて俺がいることに気が付いた雛は、ゆっくりと顔を上げる。

 水音を立てながら俺が近付くと、雛はビクッと体を一瞬震わせ、再度俯いてしまった。


「怪我はしてないのか……?」

「うん……水をかけられてた、だけだから……」


 雛が言うように、顔や体に殴られた形跡はない。

 まるで、そうすることは許されないと禁止令が出ていたかのようだ。


「風麗が、顔や体は傷つけるなって言ったのか……?」

「そう、だよ……。ここに……私を連れて行くように、指示した後……顔や体に、傷を付けるのは……許さないって……」


 てっきりここを選んだのは翠玉の短絡的な考えだと思っていたが、どうやら風麗が簡潔なヒントで俺に伝わる場所にするために、あえて自分から場所を指定したようだ。

 顔や体に傷を付けないようにしたのも、もし傷つければ俺との一線を超えるとわかっていたからだろう。


 周りの奴らは、元々雛が風麗のお気に入りだったことや、その理由が顔だったと思っているのもあり、その指示に違和感を抱かなかったようだが。


 だけど、風麗――これは、一線を越えているぞ……?


「水をかけられる以外にされたことは?」


 雛が精神的に傷ついていることはわかっているけれど、状況を正確に把握したい。

 それ次第で、この後の俺も立ち回り方を変えないといけないのだから。


「怒鳴られたり、笑われたりしながら……水をかけられてた……。それと……」


 雛はギュッと、服を抱きしめる。

 そして、自嘲するかのように笑みを浮かべ、涙を流した。


「写真……いっぱい、撮られちゃった……」

「そうか……」


 どういう写真か、など聞く必要はないだろう。

 やはり雛が下着姿になっていたのは、そういうことらしい。


 となれば、翠玉への仕返し以外に、雛の写真を消させなければいけないというわけだ。


「遅くなってごめん……とりあえず、家に帰ろう。それからのことは、俺に任せてほしい」


 俺は自分が来ていたブレザーとシャツを脱ぎ、先にシャツを雛の肩にソッとかける。

 そして、ブレザーは少し不格好ではあるが、立ち上がらせた雛の腰に巻くことで、スカート代わりにする。

 雛が小柄のおかげでシャツだけでパンツもちゃんと隠れていたが、それでも見栄え的によろしくなかったので、ブレザーも使った形だ。


「お兄ちゃん……あの人たちに、関わったらだめだよ……」


 雛はギュッと俺の肌着を握りしめてくる。

 俺のことを心配しているのはわかるが、ここまでされて黙っておくことなんてできない。

 何より、雛の写真を消させないといけないのだから。


「大丈夫、俺を信じてくれ」


 俺は雛の頭を撫でてなんとか宥め、一緒に廊下へと連れ出す。


「その人は……?」


 壁にもたれて気を失っている白雪さんを見つけると、雛は怪訝そうに俺に聞いてきた。

 同じクラスなのに雛が知らないということは、やはり風麗と雛がぶつかった後に、翠玉は白雪さんを学校に呼び出したんだろう。


「まぁいろいろとあってな。悪いけど、この子も家に連れて行くよ」


 この子を翠玉からかくまうというのもあるが、翠玉たちの家を探すよりもこの子から聞き出したほうが早いし、何より俺が翠玉の家に行っている間、雛を見てくれる人が必要だ。

 大丈夫だと思うが、傷ついた雛が万が一の選択肢を取る可能性も、なきにしもあらずなんだから。


 俺は白雪さんを再度おんぶした後、弱々しい足取りの雛に合わせながら家を目指すのだった。


 ――さて……どうしてやるか。


 雛を傷つけた奴らはもちろん、翠玉は絶対に許さない。

 雛以上の苦しみと絶望を味わわせないと、俺の気は済みそうになかった。

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