第23話

 夏の夕暮れは案外涼しい風が吹く。

それを一身に浴びながら、なぎはついこの間泣きじゃくったベンチに向かっていた。


お目当てはたったひとつ。

ひょっこりとのぞいた先にいる、細いシルエットに凪の心は浮き足だった。


 れいが帰ってきたと聞いたのは、つい五分前のことだ。

清治きよはるに聞いて執務室を飛び出してきた凪は、玲がいる場所がなんとなく分かっていた。


こういう気持ちがいい時間は静かで落ち着けるあのベンチにいるはずだ。

予想通り見つけたお目当ての人物に、凪は嬉しくなって駆け寄った。


「玲ちゃん!おかえり!」


「凪。」


ぱっと前に出れば、玲は珍しく眼鏡を外して煙草たばこを吸っていた。

凪を認めると、柔らかく笑ってまだ長い煙草を消そうとする。

それに慌てて凪は首を振った。


「煙草、大丈夫だよ。ぼく、玲ちゃんの煙草好き。」


「そう?……んー、じゃあ席変わろうか。そっちが風下だから。」


玲がベンチの反対側に移動して隣を軽く叩く。凪は誘われるまま素直に腰掛けると、暫くじっくりと玲が煙草を吸う横顔を見つめた。


凪の天使様。

相変わらず綺麗でカッコよくて優しくて。

世界一の隊長さん。


そんな玲に凪はどれだけ愛情を注いで貰ったかちゃんと分かっている。

なんて事を考えていると、玲は急にくすくすと笑い始めた。


どうしたのかと首を傾げれば、玲が煙草を持つ手とは反対の手で頭を撫でてくれる。


「そんなに見つめられると照れちゃうかな。」


悪戯いたずらっぽい言い方に凪は途端に恥ずかしくなってしまった。

高校生にもなって子供っぽかったかもしれない。でも正直に言ってしまおう。

今日は玲と話したくてここまで来たのだから。


「あのね、昔のことを思い出してたんだよ。」


「昔?」


「うん。玲ちゃんが助けてくれてからの事。……玲ちゃん。残夏ざんかくんがね、ぼくを怖くないって言ってくれたんだ。」


もしかしたらもう話は全部聞いているのかもしれない。

それでも、凪は自分の言葉で玲に伝えたかった。


玲に、聞いて欲しかった。


「あのね、ぼく……あの日玲ちゃんを選んで良かったって思うよ。外の世界は玲ちゃんが言ったみたいに不自由で怖かったけど……諦めないで良かった。ぼく、今すごく楽しくて幸せなんだ。」


玲は最後まで口を挟まないで凪の話を聞いてくれた。

最後のひと息を吸い込んで、煙草は携帯灰皿に消えていく。


向き合った瞳は残夏のものよりも淡く、それなのに晴れた日の水のようにキラキラと輝いて見えた。

玲は笑うと、そっと目を伏せる。

凪の好きな一等優しい表情だ。


「そう。」


その響きに凪は玲に抱きついた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「君のこれからの人生は厳しいものになるかもしれない。」


ぼくを救ってくれた天使様、じゃなくて玲ちゃんは組織の部屋の一室に押し込められていたぼくに、そう言った。

連れて来られた所でも、ぼくは危なかったみたいで、だけど平気だったのは玲ちゃんが側にいてくれたから。


そして今日。

玲ちゃんはぼくの居場所を勝ち取ってくれたみたいだった。


「だから、願いを込めて。『凪』。君がこの先の日々を心安らかにいられるように。」


「『凪』?」


「そう。風が吹きやんだ穏やかな波のことだよ。……『蓮池はすいけなぎ』。それが今日から君の名前だ。」


ぼくの名前。初めてもらった、ぼくの名前。


凪。蓮池凪。


玲ちゃんの大好きな睡蓮の池と、願いが込められた名前。

それがぼく、蓮池凪。


 その願いに包まれながら、ぼくは今日も生きていく。



===

ここまで読んでいただきありがとうございました!エピソード2完了です。


次回からはエピソード3になります。

残夏たちの夏休みと初任務について。

良かったら覗いてみてください╰(*´︶`*)╯

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