第12話 柚希のブレンド③ 灯りの言葉
あれから数日が経った。
美月との会話が、柚希の中で静かに響き続けていた。
自分の中に残っているもの。
それを見つけたくて、またカフェ・デ・ソルテに足を向けた。
カフェ・デ・ソルテの扉を開けると、窓際の席に美月が座っていた。
思わず足が止まる。
まさかまた会えるとは思っていなかった。
一瞬、声をかけるか迷ったが、そっと近づいて言葉をかけた。
「……こんにちは。偶然だね」
美月は、少し驚いたように顔を上げた。
けれどすぐに、安心したように微笑んだ。
「先輩も来てたんですね」
柚希は、少し戸惑いながらも隣の席に座った。
「うん。なんとなく、また来てみたくなって」
「私もです。なんか、ここに来ると落ち着くんです。
先輩が言ってたみたいに、誰かと話すと、自分の中が少しだけ見えてくる気がして」
柚希は、少しだけ笑った。
「私も、あの時の言葉に救われたよ。
就活って、自分を売り込むみたいで苦手だったけど……
誰かに話すことで、自分の中に残ってるものが見えてきた気がする」
マスターが、静かに近づいてきた。
「お二人、同じ大学なんですね。
こうして言葉を交わせるのは、素敵なことです」
柚希は頷いた。
「言葉って、灯りみたいですね。
誰かの言葉が、自分の中の暗い場所を照らしてくれる」
マスターは、カウンターに戻りながら言った。
「それでは、今日の一杯は“灯りのブレンド”にしましょう」
豆を挽く音が、店内に響く。
中深煎りのグアテマラと、優しい酸味のエチオピア。
心の奥に灯りをともすような、静かなブレンド。
柚希は、美月に尋ねた。
「高校の頃って、走ることが全部だった?」
美月は、少しだけ遠くを見るようにして答えた。
「はい。でも、楽しいだけじゃなかったです。
苦しいことも悔しいこともあって、それでも走ってると、自分でいられる気がして。
だから、やめたときは何も残らないと思ってました。
でも……今は、言葉を探してるんです。
走る代わりに、誰かに何かを伝えたいって思って」
柚希は、その言葉に胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……私も、伝えたいことがあるのかもしれない。
まだ形になってないけど、誰かの灯りになれたらって」
マスターが、二人の前にカップを置いた。
「どうぞ。灯りの言葉を、あなたへ」
柚希は、そっと口をつけた。
柔らかな苦みと、静かな酸味。
心の奥に、小さな灯りがともるような味だった。
「……この味、静かだけど、ちゃんと届く。
言葉にできない気持ちが、少しだけ形になった気がする」
美月も、カップを見つめながら微笑んだ。
「私も。なんか、自分の中に残ってたものが、少しだけ動き出した気がします」
店を出ると、空は夕暮れに染まり始めていた。
風は優しく、季節の境目を知らせていた。
柚希は、美月と並んで歩きながら思った。
——言葉は、誰かと交わすことで灯りになる。
——その灯りが、未来を照らしてくれる。
そして、彼女は少しだけ前を向いた。
まだ見えない未来へ向かって——。
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