第26話 陰キャ、青春ラブコメの群像劇の中で ー選ぶべき時ー

 夕陽の残光がゆっくりと薄れていく。

 

 体育館裏に一人取り残された俺は、しばらくその場から動けなかった。


「……俺のこと、何を言おうとしたんだよ」


 胸の奥がモヤモヤする。

 

 期待してただとか、そんなわけじゃない。そんなわけないだろ。

 俺はモブキャラ。青春劇の主人公じゃない。


 ……なのに、心臓の鼓動が妙にうるさい。


 深呼吸をひとつし、俺は立ち上がった。

 

 制服についた砂埃を払う。


「戻るか。瀬良先輩、絶対根に持ってるよな……」


 覚悟を決めて、文芸部の部室へ向かう。

 

 廊下を歩く足音が、やけに大きく聞こえた。


 ※ ※ ※


 部室の扉を開けた瞬間、空気が変わった。


 瀬良先輩が、カタカタとキーボードを叩いている。

 いつもの速さより、明らかに力が入っている。

 

 怒っている、を通り越して――拗ねている時のやつだ。


「た、ただいま戻りました……」


「遅かったわね」


 短い。声が冷たい。

 俺の背筋が凍る。


「す、すみません。不知火先輩が話したいって言ってたんで……」


「そう。話は終わったの?」


「えっと……まぁ、途中まで」


 瀬良先輩の手が止まる。

 

 ゆっくりと俺を見る。

 その瞳の奥は、静かな怒火を孕んでいた。


「途中――ね」


「は、はい……」


「……ねぇ高一くん、"途中"ってどういう意味?」


「ど、どうって……」


「告白されかけた、とか?」


「っ!」


 図星すぎて言葉に詰まる。

 

 なんでこの人、そういうところだけ鋭いんだ。

 

 瀬良先輩はふっと笑った。

 でもその笑みは、明らかに笑っていない。


「なるほど。青春ラブコメの主人公みたいじゃない」


「ち、違います! 俺はモブキャラなので!」


「じゃあ、何でそんな顔してるの?」


「え?」


「あなた、今……困ってる顔してる」


 瀬良先輩は椅子から立ち上がり、歩み寄ってくる。

 

 一歩、また一歩。

 

 そして俺の目の前で立ち止まり――至近距離で見つめてきた。

 

 距離が近い。シャンプーの香りがする。


「主人公じゃないって言うくせに、ちゃんと"揺れてる"じゃない」


「そ、それは……」


「言ったでしょう? あなたはいずれ"選ばれる側"になるって」


 甘く、でもどこか刺すような声だった。


「高一くん。あなたって、誰のことが好きなの?」


 まただ。この質問は今日何回目だ。


「……いませんよ」


「本当に?」


「本当です」


「嘘」


 瀬良先輩は即答した。


 そして俺の胸を指先で軽く突く。

 

 その感触が、妙に生々しい。


「ここ、ずっと騒がしい顔してるもの」


「顔で分かるんですか!?」


「分かるわよ。ずっと見てきたんだから」


 ……ずるい。


 そんな優しい声を出されたら、意識してしまう。

 

 心臓がまた跳ねた。


「……ねぇ、帰る前にひとつだけ言わせて」


「はい?」


「あなたが"モブ"か"主人公"かなんて、あなたが決めることじゃないわ」


 瀬良先輩は微笑む。


「選ばれるかどうかじゃない。――誰を選ぶかよ」


「っ……!」


 またとんでもないことを言う。

 

 この人、いつもそうだ。俺の心臓を掴んでくるようなことばかり言う。


「今日はもう帰りましょう。続きはまた明日ね」


 瀬良先輩は荷物をまとめながら言う。

 

 その横顔は、さっきよりほんの少しだけ寂しそうだった。


「……先輩」


「何?」


「あの……その、今日は……ありがとうございました」


 何に対する感謝なのか、自分でもよく分からない。

 

 でも、言いたかった。


 瀬良先輩は少し驚いた顔をした。

 

 そして――優しく微笑んだ。


「どういたしまして」


 ※ ※ ※


 帰り道、俺は一人で歩いていた。

 

 夕方の空は紺色に染まり、街灯がじわりと光を灯していく。

 

 帰宅ラッシュの人々が、俺の横を通り過ぎていく。


「……俺が、誰を選ぶか……ね」


 そんな日が来るなんて、思ってもいなかった。

 

 でも――不知火先輩の顔が浮かぶ。

 瀬良先輩の声も消えない。

 

 そして、浅葱の笑顔も。


 心臓が、やっぱりうるさい。


「俺……何してんだろな」


 空を見上げて呟く。

 

 夜空には、一番星が輝き始めていた。


 モブでいたい。

 透明でいたい。

 楽だし、傷つかないし。


 でも――。


「モブでいたいなら、この胸のドキドキ……やめてくれよ……」


 どうしようもない自分に、ため息がこぼれた。

 

 足を止めて、もう一度空を見上げる。


「……小中のあの頃の俺が見たら、なんて言うかな」


 透明人間だった俺。

 誰にも気づかれず、誰とも関わらず。

 

 それが当たり前だった。


「多分……羨ましいって、言うんだろうな」


 自嘲気味に笑う。

 

 でも、その笑いは――少しだけ、温かかった。


 ※ ※ ※


 その時、スマホが震えた。


 画面には、不知火先輩からのメッセージ。


『今日の続き、今度こそ話したいな』


 心臓がドクンと跳ねた。

 

 そして、もう一件通知が来る。


 瀬良先輩からだった。


『明日の放課後、絶対に部室に来なさい。大事な話があるわ』


 メッセージを見つめて、俺は固まる。


「……逃げ道、なくなってきたな」


 さらに、もう一件。

 

 今度は浅葱からだった。


『ねえねえ、明日のお昼、一緒に食べよ! 大事な話があるの!』


「……マジか」


 俺の青春ラブコメは、もう後戻りできないところまで来ている。


 陰キャの俺に、選択肢なんていくつもなかったはずなのに。

 それでも今、俺の前には確かに――"選べてしまう未来"が広がっていた。


「……どうすんだよ、俺」


 スマホを握りしめて、俺は再び歩き始めた。

 

 家路につく足取りは、妙に重かった。


 ※ ※ ※


 家に着いて、自室に入る。

 

 ベッドに倒れ込んで、天井を見上げた。


「不知火先輩……瀬良先輩……浅葱……」


 三人の顔が、順番に浮かんでくる。

 

 それぞれの笑顔。

 それぞれの表情。


「……俺、本当にどうすればいいんだ」


 答えは出ない。

 

 でも、分かっていることがひとつある。


「……逃げちゃダメなんだよな」


 瀬良先輩の言葉が、頭の中で響く。

 

 『誰を選ぶか』


 不知火先輩の言葉も。

 

 『ちゃんと向き合ってあげてね』


 そして――浅葱の笑顔も。


「……明日、か」


 俺はスマホを取り出し、三人へのメッセージを考えた。

 

 だが、何も書けない。

 

 結局、スマホを置いて、俺は目を閉じた。


 ――明日が来るのが、怖い。

 

 でも、少しだけ――楽しみでもあった。


 こうして、俺の長い夜が始まった。

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