狩乙女の躾け方。
青瑠璃しおり
第1話 銀麗の狩乙女
リュカオーン・シルバディーの世界は青と白でできていた。
標高1万メートルを超える霊峰エマヌエル山脈の山頂には白雪と晴天が広がっている。
その中でリュカは雪をかぶり、息を殺し獲物を待っている。
綺麗な銀髪も今は雪の白に溶け込み姿を隠し、蒼の双眸だけが静かに獲物を見据えていた。
距離にしておよそ100。
「鹿…鹿か…いいな!」
味はあっさりしていてたんぱくだが、くせはないしデミグラスソースの缶詰があったはずだ。シチューにすればたんぱくな味も気にならないだろう。
それに、街では角は魔術的価値があるうえ、皮も人気だ。
「70…50…30…ショット」
引き金を引けば撃鉄が振り下ろされ火薬が爆ぜる。放たれた弾丸は
「…いただいていくぞ」
すでに息絶えた
内臓は放っておけば他の獣が寄ってくるので軽く穴を掘ってから埋めた。
すべての作業を終わらせたリュカは「ぴゅーい!」と指笛を鳴らした。
少しして3匹の白狼が駆けてきて、リュカへと飛びついた。わしゃわしゃと一通り撫でると落ち着いた白狼たちにひもをかけそりを引かせる。
「お前たち!ご飯が食べたかったら働け!働かざる者食うべかざるだぞ!」
体が大きく力の強い長男、マルコが雄叫びを上げると続けて兄弟のハティとアセナも雄叫びを上げそりを引き始める。
*
強力な魔物の跋扈する世界でも類を見ない魔境、エマヌエル山脈の頂上には不釣り合いな丸太のログハウスが建っている。そして、その隣にはこれまた不釣り合いな巨大な竜の頭蓋骨。
「じーちゃん、ただいま」
リュカは頭蓋骨に声をかけ、家に入る。
鍋を火にかけ、倉庫からいくつかの野菜とソースの缶詰を持ってきて適当に入れ始めた。料理と呼ぶには幾分か大味だが食べるのが一人なので問題ない。
ついでに、白狼たちの分の肉を焼いてやる。
「お前たち!ご飯だぞ!」
外へ出て、焼いた肉を空へ放れば3匹の白狼たちは器用にキャッチし、食べ始める。その様子を眺めながらリュカ自身も扉の前へ腰かけるとアツアツのシチューをふうふうと冷ましながらゆっくり食べる。
大きめに切った鹿肉を頬張ると同じタイミングでざくざくと新雪を踏みしめる音がする。兄弟の仲で警戒心が高く賢いハティがピクリと反応するがリュカの「ステイ」に再び鹿肉をむさぼる。
「何の用だ?約束の日じゃないだろ?」
「冷たいっすね~。遠路はるばる会いに来たっていうのに。あ、シチューうまそうじゃないっすか!一杯貰っても?」
軽薄な口調で言葉を紡ぐ男にリュカは冷徹な視線を向ける。その目に睨みつけられれば常人であれば恐怖で動けなくなるほどの圧を放っているが男は飄々と肩をすくめた。
「おっかないっすね~。そんなんだから『エマヌエルの銀狼は人を食う』なんて言われるんすよ?」
「試してみるか?」
「い、嫌だな~。冗談っすよ、冗談。いや~お前の冗談は面白くないなんてよく言われるんすわ。反省反省!」
男が周りを見ればいつの間にか白狼たちが周囲を囲んでいた。
すでにシカ肉は食べ終えており、その眼光はまるで次の獲物を狙っているようで…。
男はゴクリと唾をのむ。本当に食われては敵わんと懐から一枚の便箋を取り出し、リュカの方へと投げた。万が一にもリュカを傷つけるために近づいたと思われないよう慎重に行動する。
もちろん、男もこの山を登れるほどの強者ではあるが白狼3匹は手に余る。
もっと言えば、目の前の少女が本気で男を排除しようと動けば抵抗すら叶わずに命を落とすだろう。軽薄な態度に反して男は内心、常に冷や汗だらだらだ。
「…いやだ」
「いやいや、ちゃんと読んでくださいよ!そうじゃないと俺があの御方から怒られるんすから!」
嫌な予感しかしないリュカは一度は読むのを拒否したものの男の必死の説得によって渋々と封を開けた。
『親愛なる リュカオーン・シルバディー殿
そちらでは相変わらず、寒い日が続いていることでしょう。体調の方はいかがでしょうか?部下が到着したころには死体が一つ、転がっていた…なんてことにならないことを祈っております。
さて、挨拶はそこそこに単刀直入に用件を述べさせていただきます。
山を下りて、王立学校へと通ってもらえないでしょうか………』
ここでリュカは手紙を破り捨てた。
しかし、男は特にリアクションもせずもう一枚、便箋を取り出した。
『君が要件に目を通したところで、手紙を破り捨てていることでしょう。
その上、私の不謹慎なジョークにも腹を立て、さらにこの先読みしたような2通目の手紙にすら腹を立てていることでしょう』
まったくもってその通りだ。リュカの心情を完璧に言い当てている。
分かるのならば、苛立たせるようなことを書くなとも思うが出会ってからずっとこの調子だ。諦めている。
『さて、君は私の願いをにべもなく断ることも分かっています。しかし、あなたは私に借りが二つあることをお忘れでしょうか?』
痛いところを突かれたとうっ!と声を上げる。
手紙の主のいう借りはきっと狩の道具を新調してもらったことと定期的に野菜や果物、調味料や便利な缶詰などを届けてもらってることだろう。しかし…
「野菜や缶詰の代わりに魔物の皮や角をやっているだろう!」
「確かに、もらってるっすけどここまで来てることを考えたら全然収益マイナスなんすよね。やればやるだけ赤字なんすよ。めっちゃ赤字積もってるっすよ」
リュカには経済が分からぬ。貨幣など記憶にない。
確かに、最初に出会った頃に野菜や果物が食べたいとわがままを言ったが積もり積もって大幅な赤字など想像もしなかった。
『君のおじい様は確か、口を酸っぱくして『恩は返さなくてはいけない』と仰っていらっしゃったそうじゃないか。私もその言葉には大変感銘を受けた!いや、なに。私がそう思っただけであり、他人にまで強制するつもりはない。ただ君のおじい様は素晴らしいことを仰っていたということだけ熱弁を奮わせてもらおうと思う。では、入学の件、よろしくお願いするよ。
追伸
この手紙は読み終わればけたたましい音を立て、眩い光を放ち燃え尽きるようになっている。失明等には気を付けるように』
そこまで読み、リュカは男の顔へと手紙を投げつけた。
後ろで男が「熱い!眩しい!うるさい!」と騒いでいるが知ったこっちゃじゃない。
この件も断ろう。
『リュカよ。生きていくうえで恩は返さねばならん。特に一飯の恩は必ず返しなさい』
じーちゃんの言葉が頭をよぎる。
じーちゃんは捨てられたリュカをこの厳しい寒冷山岳地帯で育ててくれた恩人だ。リュカにとってじーちゃんの言葉は何よりも重かった。
頭を抱え、唸り声をあげ、数分懊悩した末に苦渋の決断を下した。焼けた顔を雪で冷やしている男を蹴り起こし、一言告げた。
「明日、山を下りる。案内しろ」
「それはよかったっす。これで俺も上に怒られずにすむっすよ~!あ、今晩泊めてもらっていいっすか?」
「お前を家に入れるつもりはない。外で寝ろ」
「この極寒の寒空の下でっすか!!?」
*
エマヌエル山脈はかつて2体の王が争っていた。
白狼王ロボ。そして、リュカを拾い育てた龍、銀嶺の龍王ダレイオス。
齢にして3つのころ、リュカはこの山の麓に捨てられた。
それからは、ダレイオスに育てられた。狩りの仕方を、言葉を、料理の仕方を。生きる上で必要なことは全てダレイオスに教わった。
だから、ダレイオスの眠るこの山を離れるつもりはなかった。
「ひどい顔っすね。苦虫をかみつぶして青汁に混ぜて飲んだみたいな顔してるっすよ」
「お前ほどじゃない。街じゃ、唇を紫に塗るのが流行っているのか?みっともないから削ぎ落した方がいいぞ」
「なんてこと言うんすか!外で寝ろなんて言うから仕方ないじゃないですか!」
朝からギャーギャーと騒ぐ男を蔑んだ目で睨みつけ黙らせる。
必要なものはそりに積んだ。と言っても、いくつかの服と狩道具以外はないが。
リュカは龍の頭蓋骨を一撫ですると、首にかかった夜空のような宝石をあしらったネックレスに触れる。漆黒にきらめく宝石には銀星がきらきらと輝いている。
「じーちゃん。俺はこの山を離れる。寂しい思いをさせてすまない。だが、じーちゃんの言いつけに従ったんだ。許してくれ」
きっとじーちゃんは笑って許してくれるだろう。
「行くぞ」
「おっし、こんな寒いところさっさと降りてしまいましょう!」
「それとだ。俺が留守にする間、人が入らぬよう五合目で見張っていろよ。もし、万が一、じーちゃんの遺体が一片でも盗まれてみろ。この国の人間を殺しつくすからな」
これは脅し文句でも何でもない。もし、盗まれたと知れば、瞬間周りの人間から殺し始め肩身を取り戻そうとするだろう。
人間嫌いの彼女が何の躊躇もなく言ったことを実行に移すことを男は重々に承知していた。
男は初めて軽薄な態度を隠し、恭しく礼をする。
「もちろんでございます。ラインヘルンの十天が一人、『銀麗の狩乙女』様。我らが全霊を尽くし、その命守り抜いて見せましょう」
その言葉に不本意ながら納得し、鼻を鳴らす。こいつらは口にしたことは実行する。リュカに対して嘘がつけないのだ。
「では、行くっすよ!目的地はラインヘルン王国王都!楽しい楽しい旅行っすよ~!」
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