キンギョソウ

天瀬智

第1話 ひなの

「暇だなぁ……」


 住み込みでアルバイトをしている金魚専門店『キンギョソウ』のカウンターで私がすることはふたつ。

 ひとつは、店番。

 これには金魚たちの世話も含まれている。

 指示はすべて店長が残したメモの通りにするだけ。

 そしてもうひとつは、スマホをただひたすら眺めること。

 店は狭く、そしてなぜか水槽は一台だけ。

 その水槽は大きく、中で泳いでいる金魚は悠々自適。

 羨ましいことこの上ない。

 ただ泳いでいれば、快適な生活空間を人間側が用意してくれる。

 餌だって、決まった時間に決まった量だけ、必ず人間側が与えてくれる。

 金魚自身は何もしない。

 金魚は金魚自身に価値があり、ただその姿を見せるだけで生活が保障される。

 本当に、羨ましい限りだ。


「あ、餌の時間だ」


 スマホをカウンターに置き、水槽の前まで移動する。

 店の真ん中に堂々と鎮座している水槽台に置かれた水槽。

 しゃがみ込んで水槽台の両開きの扉を開き、中から金魚の餌である人工飼料の袋を取り出す。


 ——この餌も、高いんだろうなぁ。


 そんなことを思いながら、粒状の餌を摘み、パラパラと水槽内へと落としていく。

 すると、水面に浮かんだ餌に向かって、金魚が尾を揺らす。

 ゆらゆらとなびかせるの動きは綺麗で、見ていると意外と飽きない。

 鮮やかな赤。

 鱗の煌めもあって、キラキラと光って見える。

 店長の話では、この餌には、赤に艶を出させる作用があるとのこと。

 人の手によってつくられた、観賞用の魚。

 そう思うと、この金魚も、自由なように見えて案外、束縛されてるのかもしれない。

 大きな水槽で泳ぐ金魚を中腰になって見つめていると、ガラス越しに映る自分と目が合った。

 傍から見れば、端正な顔立ちなのだろう。

 染めたことのない髪はストレートロングで、肌も真っ白。

 身長はそれほどでもないが、小顔のおかげで八頭身くらいには見える。

 家出してからは唇なんてカサカサだったけど、今は元通りだ。

 白い頬に手を添える。

 些細なことで父親を喧嘩して、暴力を受けた。

 それだけで、もうこの家にはいられないと感じた。

 気がつけば、最低限の荷物だけをリュックに積め、家を出ていた。

 だけど、当然ながら行く当てもなく、アルバイトで稼いだお金もあっという間に底をついた。

 翌日にはスマホの料金も支払えなくなってしまう。

 そう思ったら、手が動いていた。

 登録しただけでほとんど投稿していないSNSに、私は家出をしてから、自分のことを詳細に投稿していた。

 もしかしたら、誰かに構ってほしかったのかもしれない。

 寂しさを埋めたかったのかもしれない。

 正しいことだと、間違っていないのだと、言ってほしかったのかもしれない。

 自分でも、自分のことは分からない。 

 家出してからのネカフェ生活や、家でのしがらみから解放されて自由を満喫してます的な投稿。

 親から心配するようなメッセージがないことも、包み隠さず投稿した。

 そんな投稿に対して、コメントがいくつも寄せられてきた。

 そのどれもがすごく同情的で、やさしかった。

 批判的なコメントもあったけど、そういうのはすぐにブロックするようにした。

 「ひとり暮らしだから家に来ない?」的なメッセージは日々届いていた。

 その度に、ひとりでも大丈夫的な、気丈に振る舞う頑張る家出女子を装った。

 でも、ネカフェ生活も数ヶ月であっという間に路銀が底をつき始め、いられなくなりつつあった。

 代わりに寝泊まりができる場所がいる。

 抵抗はあった。

 でも、やるしかもう道はなかった。

 誰かひと晩でもいいから泊めてほしい――という投稿を、私は送信した。

 すぐに大量のコメントや、いつも誘ってきていた人からのメッセージが届いた。

 私は顔も加工なしで投稿していたから、それが目的で誘ってきている人もいるということも分かっていた。

 目的は、私の保護じゃなくて、私自身。

 つまり、私の体。

 でも、もう私自身も、この容姿を利用して誰かに縋りつくしかないと腹を括っていた。

 色んな条件を提示しては、少しでも危なそうな人を排除し、ワガママなことも叶えてくれそうな人を探した。

 そう言う人なら、きっと裕福で社会的にもちゃんとした人だから、少なくともヤバい人ではないはずだ、と。

 よくよく考えてみれば、こんな投稿にコメントやメッセージを送る時点で、変人確定なのだけれど。

 当時の私は、とにかく路上での寝泊まりなんて考えられなくて、藁にも縋る思いだったのだ。

 ちゃんと高校も卒業して、年齢も18歳、もうれっきとした大人だということも添えてある。

 だから、不純異性交遊にも該当しないから、相手だって安心するはず。

 まぁ、もし女子高生の制服姿がご所望なら、それでもいい。

 危険なことだって言うことは分かっている。

 でも……それでも、期待していたのだ。

 本当に親切で、ただ泊めてくるだけで、もしかしたらご飯なんかも食べさせてくれる人が、私の前に現れてくれるかも――なんて、そんな淡い期待。

 でも、もうどうしようもなかった。

 家に戻るっていう選択肢がない以上は、その先が後悔しかない地獄だったとしても、行くしかなかったのだ。

 そんなとき、ひとつのメッセージに目が留まった。


「ただいま~」


 ドアの開く音と同時に、思考が過去から今へと引き戻された。

 顔を上げると、店長が帰ってきたところだった。


「お帰りなさい、店長」

「ただいま、ひなのちゃん」


 店長は女性で、そして家出をした私を拾ってくれた人だ。


「ちょうど餌やってたところだった?」

「あ、はい。ちゃんと、決められた通りにあげてます!」

「あはは。そんなに堅苦しくしなくても、だいたいでいいんだよ」

「でも、これってお客様からの要望で手に入れた金魚なんですよね?」

「ん? まぁね」


 水槽の反対側に店長が立ち、金魚を見つめる。

 水槽越しに店長を見つめる。

 茶色に染めた髪をすごく適当な感じでポニーテールにし、細身のシルバーフレームの眼鏡をかけている。


「うちは、お客様が理想とする金魚を見つけてくるのが仕事だからね」


 店長が経営している金魚専門店『キンギョソウ』は、仕入れた金魚をずらりと並べて販売するのではなく、ある種の金魚マニアなる顧客からの依頼で、どんな細かくて些細な要望であろうと、それに合った金魚を探し出すという、なんだかちょっと変わった内容の仕事をする店だった。


「この金魚も、お客様からの要望どおりってことなんですよね?」

「そうだよ。金魚が、人の手によって人為的な交配を繰り返してつくられた観賞魚だってことは知ってるよね?」

「はい。それくらいは、なんとなくですけど」

「金魚ってすごく綺麗に見えるけど、それはつくられた美だから」


 大きな水槽にたった一匹だけ、悠々自適に泳ぐ金魚を見やる。

 他のどんな魚とも違う、優雅で、歪なほどに均等の取れた姿。

 なるほどそれが人為的な結果だと言うのなら、納得の産物だ。


「それに対してどう思うかは勝手だけど、つくられた美だからこそ、追い求める人がいるのも確かなんだよ」

「はぁ……」


 金魚を追うようにきょろきょろと動いていた店長の目が、急に私をじっと見つめるように固定された。


「だから、ひなのちゃんみたいな綺麗で可愛い子も、引く手あまただったってわけだよねぇ」

「それは……もう、蒸し返さないでくださいよ」

「ごめんごめん」

「でも、店長が私を見つけてくれて、本当によかったです」

「ひなのちゃん……」


 あのときのメッセージを、今でも思い出す。

 目を惹いた理由はまず、アカウント名だった。

 『キンギョソウ』という名前と、金魚のプロフィール画像。

 その金魚は、ほっぺが異常なくらいに丸く膨れ上がっていて、それを見た私は、思わずクスリと笑ってしまった。

 あとで、店長にスイホウガンという品種の金魚だと教えてもらった。

 説明文のところには、オーダー専用の金魚店やってますの文字。

 その人からのメッセージには、「ちょうど住み込み可能なアルバイトを募集してたから、どう?」というすごくフランクな文章が書いてあるだけだった。

 他の人みたいに、自分を売り込んでなんとしてでも私にうんと言わせたいメッセージとは違う。

 最後には、「私も同じ女だよ」とも。

 それが背中を押してくれた。

 男なら、体目的。

 でも、女の人なら、もしかしたら同情して、助けてくれるかもしれない。

 そう思って、私はキンギョソウさんに返信した。

 返ってきたのは、「ここに来られる?」という文章と住所。

 そして、その住所を頼りに辿り着いたのが、ここ――『キンギョソウ』だったのだ。


「最初は、ちょっと怖かったですけど……」

「そりゃそうだ」

「自分から求めておいて、なんですけど……」

「それも、そりゃそうだ」


 くすくすとお互いに笑い合う。


「でも、店長はすごくやさしくて、住むところもご飯も、それに仕事まで与えてくれて……」

「私ってさ、お客様の理想の金魚を仕入れるために全国駆けずり回ってるからさ。その間の店番がいたらなって思ってたんだよね。金魚ってさ、育て方次第で見た目が変わるから、そこも含めて、まずは理想に近い金魚を仕入れて、飼育環境で理想の姿に持って行くんだよね。でも、私も忙しいからさ、それをやってくれる人が必要だって思ってたわけでさ。ひなのちゃんからしたら、私なんて当たりを引いてラッキーって思ってるかもしれないけど、私の方こそ、ひなのちゃんみたいな子がいてくれてラッキーなんだよ」


 明るい声で、店長が両手を広げて見せる。


「私、ずっと家では理想の子を求められて、大学も勝手に決められて、でも、受験に落ちたら、両親が怒って、それで……」


 叩かれた――いや、殴られた頬に手を当てる。


「酷かったんだろうね。でも、逃げて正解だよ」

「……親から一度も連絡がないんです」

「寂しい?」

「……いえ。逆に、ホッとしました」

「そっか。じゃあやっぱり正解だね」

「……私、いつまでここにいていいんですか?」

「ん? 別にいつまでって言うのは、私の方では決めてないけど?」

「店長は、なんでそんなに親切なんですか?」

「私が親切? あはは、違うちがう」


 店長があっけらんと笑い、顔の前で手をパタパタと振る。


「言ったでしょ? 住み込みで金魚の面倒を見てくれる子がいたらなって。ひなのちゃんが金魚を見てくれてるおかげで、この金魚をお客様に渡せるようになるまでの間、私は次の仕事に取りかかることができるんだからさ」

「今までは、店長がひとりで?」

「そ。場合によっては、仕入れてから一ヶ月くらい、付きっきりで面倒みなくちゃいけないときもあってさ。その間、依頼はあっても仕入れに向かえない。商売あがったりだよ。だから、ひなのちゃんがいてくれて、ほんと~~~に助かってる。この金魚をお客様に渡してお金が入ったら、ひなのちゃんにボーナスあげちゃう」

「そ、そんな、いいですよ! 私はここに住み込みさせてもらってるだけで」

「ああん。そんな謙虚なひなのちゃんも、か・わ・い・い!」

「もう、店長ってば、からかわないでくださいよ」

「あはは。まぁ、できればこれからもよろしくね」

「はい。こちらこそ」


 店長がカウンターの奥にある部屋に向かう。

 そこは休憩室になっていて、その奥にはさらに店長の部屋がある。

 そこは入ってはいけないことになっているし、入ろうと思っても鍵がかかっているので入れない。

 休憩室にある階段をのぼれば、二階が住居となっているため、そこで生活をさせてもらっている。

 店長が出張中も、食事はしっかりと管理されていた。

 店長曰く、住み込みで働いてもらっている以上は、衣食住を保障する責任がある、とのことで、どんな食事をとったのか写真で送っていた。

 手づくりの料理をつくると、「おいしそう!」とか「私も食べたい!」とかのコメントが返って来て、それが嬉しかった。

 その反面、ちょっと手を抜いたりすると、「もっとちゃんとお肉食べないとダメだぞ~!」とかこういう食材はお肌にいいよ、とかアドバイスもくれた。

 店長が私みたいな家出女によくしてくれた理由は、店長自身がそういう境遇にあったからだと話してくれた。

 そして、店長もまた、偶然にも人との出会いに恵まれ、そして今の自分があるのだと手振り身振りで熱く語ってくれた。


「よ~し、私も頑張ろっと!」


 店長の姿が見えなくなってから、私は水槽で泳ぐ金魚を見つめた。


「お前も、店長のために、しっかり育つんだよ。いいね?」


 びしっと指をさすも、金魚はそっぽを向くように泳いでいった。

 まったく、人の気も知らないで。

 この子もまさか、誰かの理想のために飼われているなんて気づいてもいないんだろうなぁ。

 トントン、水槽のガラスを小突く。

 金魚にストレスを与えるようなことをしちゃいけないと書かれていたことに気づき、咄嗟に振り返る。

 店長がいないことに安堵しながら、私はカウンターに戻った。

 置きっぱなしのスマホを手に持つ。

 店長さんの勧めで、SNSのアカウントは削除した。

 今は『キンギョソウ』で住み込みで働いているので、SNSはしていない。

 する必要も、もうない。

 友達もいないから、連絡を取り合う相手もいない。

 今はもっぱら、動画を見たり、ゲームをしたり。

 スマホの料金も店長が負担してくれているし、Wi-Fiも自由に使わせてもらっている。

 ただ金魚の世話をするだけで、私はなんのストレスもなく生活を保障されている。

 基本的に自由に生活させてもらっているけど、食事のことや、外に出るときには日焼け止めや日傘などを使うように注意されたことはあった。

 でもそれも、私を思ってのこと。

 今ではもう、すっかり店長のことは信頼している。

 私に何かしようと考えているのなら、何日も出張で出かけたりしないはずだ。

 帰ってこないと分かっているから、ちょっと大体なことだってできる。

 私だって、もう大人なんだから、ひとりでしたいときもある。

 ここでは私はひとりで、自由だ。

 だから、何をしたっていい。

 店長に迷惑をかける行為じゃない。

 むしろ、性の発散は、健康的なことだ。

 家での生活と違って、品行方正でいる必要はない。

 自分がしたいことをする。

 束縛から解放された反動か、私は過剰なまでに自慰に耽っていった。

 それが癖になったかのように毎日するようになって、ある日のこと店長が帰ってくると、「あれ? 肌ツヤよくなった?」と言われたので、私は「店長のおかげです」と笑顔で返した。

 店長は、健康的になっていく私を見て、「そっか。よかった」と慈愛に満ちた表情を見せてくれた。

 そのことに、私は罪悪感の欠片も感じなかった。

 この生活を手放したくはない。

 ずっと、ここにいたい。

 そのためなら、私はなんだってする。

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