第12話 降下

 ゴウン……という低い駆動音だけが、地底探査機〈アンダーライン8〉の内部に響いていた。壁面のモニターに表示される深度計の数字が、猛烈な速度で増えていく。マイナス五百、六百、七百……。厚い装甲に覆われたこのカプセルは、地球という巨大な生き物の体内深くへと、静かに飲み込まれていく。


 コックピットの中央、隊長席に座るレイナは、黙って目の前の特殊モニターを見つめていた。そこに映し出されているのは、ただの地層データではない。 宮田のフィルターを通して可視化された、地底からの“純粋信号(ピュア・シグナル)”。自然現象のそれとは明らかに異質。「素数」、「数列」、「幾何学」……その波形には、高度な数学的パターンが幾重にも織り込まれている。


(やはり、彼の検知能力は計り知れない……)


 現実を認めざるを得ない悔しさと、自分にはないものを持つ羨望が、胸の中で複雑に渦巻く。 ふいに背後から声がかかった。


「主任……いや、隊長。ちょっと、これ、試してもらえませんか?」  


 振り返ると、宮田がヘッドホンのようなデバイスを手に立っていた。近未来的なデザインのイヤーマフ。側面には青いラインが明滅している。


「これを着けてほしいんです。彼らが発している信号を、僕らの“声”に変換する機械です。言ってみれば、地底人語の翻訳機ですね!」


「あなたが……一人で作ったの?」


「はい! この耳に当てる機械も、翻訳するAIも、ぜーんぶ、お手製で作りました!」


 得意げに笑う宮田に、レイナは絶句した。たった一人でこのレベルまで作り上げるなど、常軌を逸している。改めてその才能の底知れなさに、内心で脱帽した。 震える手でデバイスを受け取り、装着しようとしたその瞬間、宮田が慌ててレイナの手を止めた。


「あ、待ってください! それ、ただ着けるんじゃダメなんです!」


 ピクリ、とレイナの肩が震える。


(まさか……危険な起動プロトコル? 一歩間違えれば、脳に直接…!?)


 宮田が真剣な表情で腕を組む。


「かっこいい“起動シーケンス”がありまして…… 伝説のSFアニメ『銀河漂流ゼノン』の主人公がやるみたいに、まず右耳側をカチッと、それから左側を90度回転させて……」


「ああ、『ゼノン』か! 俺も見てたぞ!」


 後部座席から、阿久津が嬉しそうに口を挟んだ。


「あの装着シーンは痺れたな! 男のロマンだ!」


「さすが、課長! わかってくれて嬉しいです!」


 目を輝かせて盛り上がる二人を、レイナは心底冷めきった目で見つめた。


(ったく……この男どもが……)


 先ほど芽生えかけた尊敬の念が、堰を切ったように霧散していく。デバイスをひったくるように奪い取ると、無造作に頭に着けた。


「……あーっ! そうじゃないのに!」


 がっくりと膝から崩れ落ちる宮田。阿久津がその肩を叩いて慰める。レイナは、深く、長いため息をついた。


(こんな奴のことで、心を乱されていた自分が情けない……)




 肩を落として席を外す宮田の背中を見送り、阿久津が静かにレイナに話しかけた。


「あまり、気を張るな。場を和ませるのも、隊長の役目だぞ」


 その言葉に、レイナははっとした。


(そうか……阿久津課長は、あえて宮田に同調することで、この閉鎖空間の緊張を和らげようと……)


 チームを率いるとは、どういうことか。自分はまだ、何もわかっていなかった。 未熟さを突かれた恥ずかしさで、耳朶が熱くなる。阿久津の労わるような、大きな手が、肩にぽんと響いた。




 数分後、宮田が席に戻ってきた。 レイナは一瞬ためらい、顔をそむけながらも、少し頬を赤らめてイヤーマフを一度外した。そして、おずおずと、アニメのポーズを真似て装着してみせる。


「……こ、こうかしら?」


 ぽかん、と口を開けていた宮田だったが、やがて眉をひそめて腕を組む。


「うーん……手首の角度が、あと5度内側なんですよねえ……」


「なっ……!」


 レイナの顔が、カッと真っ赤に染まった。


「あなたねぇ! 人がせっかくやってあげたのに、何よその言い方!」


「いや、でも、こだわるところはこだわらないと……」


「うるさい!」


 探査機内に響き渡るレイナの怒声と、慌てる宮田の声。包み込むような、阿久津の深く楽しげな笑い声が続く。


 


 深度、マイナス千五百メートル。




 地の底へと向かう密閉された空間は、ほんのひと時の温かな安らぎに満ちていた。その先に、どれほどの深淵(やみ)が待ち受けているのか、彼らはまだ、知らない。

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