幸せを知らない姫

無咲 油圧

プロローグ 金の檻の中で

白い雲が、ゆるやかに流れていた。

風が、塔の高窓から吹き抜け、透きとおるレースのカーテンを揺らす。

その向こう、世界の頂のように高くそびえる王城の一室で、姫——リュシア=フェルン=エルミナは机に肘をつき、ぼんやりと空を眺めていた。


机の上には、金糸で刺繍された手紙が山のように積まれている。

「姫の美しさに心を奪われました」

「どうか、我が国にいらしてください」

「この宝石は、あなたの瞳の色に似ています」


——手紙は日々増えていく。

宝石も衣も、花束も香水も、増える一方。

だが、そのどれもが、彼女の心を満たすことはなかった。


「……退屈ね」


ぽつりと落ちたその言葉は、金色の床に溶けた。

部屋の隅にいた侍女たちは、驚いたように顔を見合わせた。


「姫様、もしよろしければ……新しい曲を演奏いたしましょうか?」

「いいえ、もう結構。昨日も、一昨日も、同じような音ばかり」


リュシアはゆっくりと立ち上がり、カーテンを払いのけた。

眼下に広がるのは、美しく整った庭園。

色とりどりの花々が風に揺れ、噴水が銀のように光る。

それでも、彼女の胸には虚しさしか残らなかった。


「私は、これほどに恵まれているのに……どうして、こんなにもつまらないのかしら」


声に出してみると、まるで誰かに問うような響きがした。

けれど、答える者はいない。


その時、窓の向こうで、ふと目に映ったものがあった。

遠く城下の小道で、若い母親が小さな子を抱き上げていた。

ふたりは笑いながら、パンを分け合っている。

その笑顔が、陽に透けて、まぶしく輝いて見えた。


「……あれが、“幸せ”?」


リュシアの唇から、自然とその言葉が漏れた。

手に入らないものなど何一つないはずの自分が、

なぜか、あの小さな笑顔を羨ましいと思っていた。


「私は、恵まれている。けれど——幸せじゃない」


その呟きが、リュシアの心に灯をともした。

そしてその夜、彼女は決意する。

“自分にとっての本当の幸せ”を探す旅に出ようと。

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