マオグイの家
白洲尚哉
第1話 猫の怪談
「――今月三日、鷹森市内のマンションで機械会社社長の井藤信雄さん、妻の春子さん、長女の香織さんの遺体が発見されました。捜査関係者によりますと、遺体に外傷は確認されず、死因は急性心不全とみられるとのことです。警察は一家心中も視野に捜査を進めています」
僕、二十年くらい前に
蠱毒って知ってますかね。古代中国の呪術なんですけど、これを作るのがまあ、気持ち悪くて……。ムカデとか、ゲジゲジとか、ゴキブリとかを百匹か、百種集めて、甕か壺に閉じ込めて、互いに食わせ合って、生き残ったやつを殺して、その霊を祀って、殺したいやつにけしかけるんです。
それで、仕事の合間を縫って、その虫を集めてはケースに入れてを繰り返して……ああ、壺に入れなかったのは入れてすぐに食い合わないようにですね。……ようやく百匹集まって、壺に閉じ込めたんです。
壺に蓋をして、一か月待ちました。
恐る恐る、蓋を開けてみると、一匹のムカデが残っていました。ほかの虫は全部死んでいて、すごい臭いがしていましたね。
そのムカデを取り出して、首を切り落としました。そして、それを白木の箱に入れて、神棚に置きました。
それから、毎日願い続けました。
――その、誰かの死を?
はい。どうしても殺したい人がいたんです。……その後、二週間くらい経ったころに、その人が死んだんです。本当に、死んじゃったんです。
あのときは、本当に嬉しかったですね。舞い踊りそうでしたよ。
……終わって、蠱毒の入った箱を捨てました。それが良くなかったんでしょうね。その日から、変なことが起こるようになりました。
――変なこと?
はい。寝ていると、手にさわさわとなにかが這うような感じがするんです。虫かと思って飛び起きて見たら、なにもいない。また寝ようとすると、次は首筋を這うような感じがする。手を当てると、またなにもいない。繰り返し、繰り返し、そんなことが起きて、その日は眠れませんでした。
そんな日が、それ以降、毎日続いたんです。
でも、相談したくても、ほら、ヤク中かと思われたら嫌ですし……。
さわさわ、さわさわ、って、虫が這いずり回る感覚がね、だんだん痒みも出てきて、透明な虫に這いずり回られている感じが、二十四時間続くんです。それから……。
――それから?
だんだん、部屋中に虫が見えて、足元にムカデの大群が群がってきて、夜も眠れなくなって……………………。
たとえ本当に殺したい人がいても、呪いはやっちゃいけませんね。
レコーダーを一旦止めて、
時刻は午前一時半を過ぎたころである。七月の半ば、昼間しゃわしゃわ鳴いているセミも夜になると静かになり、アパートの一室の中で聞こえるのはエアコンの空調音とパソコンのタイプ音だけである。
深寺は昨日聞いたばかりの怪異体験談を文字に起こしていた。この怪異体験談を、私が体験した話からある人が体験した話に――つまり実話怪談の形式に仕立て直すのだ。その実話怪談は、深寺が怪談ライブで語ったり、実話怪談本に収録したりする。
深寺のいまの職業は、いわゆる怪談師と呼ばれるものだ。
小学生のころ、木原浩勝と中山市朗の『新耳袋』に魅せられ、実話怪談を蒐集して回り、高校卒業後は地元の鷹森大学国文学科に進学した。学科では伝承文学を専攻し、実話怪談の研究で卒業後、大学院でも実話怪談の研究をして修士号を取った。
それほど、深寺は筋金入りの怪談好きだった。
けれど、深寺は生まれてから今日に至るまで、怪異体験らしきものをしたことがなかった。
深寺が実話怪談に惹かれるのもそれが一つの理由だった。
妖怪や幽霊、祟りや呪いといった事象が、実在するかもしれない。少なくとも体験した人は実在し、その人にとっては実際に起きた出来事で、その事実は超常的な存在の実在を肯定し得る。深寺にとって当事者の語る体験談は、自分が体験できない世界を垣間見ることができる、唯一の窓だった。
小学生のときに実話怪談と出会い、いまこうしてそれで飯を食べているのも怪異への希求が底にあったからで、またそれが軸でもあったのだ。
書き起こし原稿を保存して、一旦パソコンを閉じた。休憩に煙草を吸おうと、煙草の箱とライターを取ってベランダへの戸を開けたとき、スマホの着信音が鳴った。
画面には、「
乙野は深寺と同じ鷹森大学怪奇・幻想小説研究会の出身で、二つ下の後輩である。現在はオカルト専門誌『月刊 超常スクープ』が外注している編集プロダクションで、ライターとして活動している。
「おう、どうした乙野」
「お疲れ様です、蛇羅先輩。去年の夏、鷹森市で井藤一家の不審死があったの憶えていますか?」
「ああ……そういえばあったな。それがどうした?」
「実はその家族、死ぬ一週間前くらいから周囲に怪異体験を語っていたらしいんですよ」
「ほう」
「その話がですね、この前蛇羅先輩がYouTubeで上げていた、『Y家の猫憑き』と同じ猫の話でして」
深寺は広報も兼ねて、YouTubeに怪談配信や怪談動画を上げている。「Y家の猫憑き」は、深寺が今年の五月ごろに山岸幸助さん――仮名でYさんとしている――から聞いた体験談を、怪談にしたものだ。
その「Y家の猫憑き」というのは、次のような話だ。
会社員の山岸幸助さんは妻と中学生の娘・咲さん、小学生の息子・新太くんの四人家族で、今年の三月に、鷹森市に引っ越してきた。そして新居として中古の一軒家を借りて、そこで暮らし始めた。
引っ越してしばらくはなにもなかったが、あるときから、些細な違和感を覚えるようになった。
時折、ふわ、となにか小さいものが通るような気配がする。
それだけならまだ気のせいで済んでいたのだが、ある朝山岸さんたちが起きると、和室の障子がびりびりに破れていた。最初は新太くんが疑われたが、破れ方がどうにもおかしい。鋭利な刃物でひっかいて切って回ったように、破れているのだ。
その鋭利な傷跡は、壁にも現れるようになった。削りとるように、傷がつけられている。
そのころからだ。家の中で猫の声が聞こえるようになったのは。
みゃああおぅ、みゃああおぅ
最初は外にいるのかと思っていたが、はっきりと、家の中から聞こえてくる。ただの鳴き声以外にも、唸る声、争う声、餌をねだる声が、昼夜を問わず聞こえてくる。
山岸さん夫婦がどうしようか、と夫婦の寝室で相談していたとき、咲さんの甲高い悲鳴と共に、階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。急いで飛び起きたら、娘が寝室に入ってきた。
「どうしたんだ」
「新太が、変なの!」
咲さんは震える声で、新太くんの異常を訴えた。山岸さんは娘を妻に預け、新太くんの部屋がある一階へと下りていった。
すると、
にゃあおぅ、にゃあおぅ
と猫の声がする。間違いない、新太くんの声だった。
山岸さんは開け放たれた扉の隙間から、新太くんの部屋を窺った。
そこには、四つん這いになって鳴く新太くんの姿があった。焦点の定まらない目で、虚空に向かって鳴いていたという。
その夜を境に、新太くんはおかしくなっていった。
最初のうちは普通に学校へ行けていたが、次第に学校でも鳴くようになり、学校へ行かなくなった。
水を極端に嫌がり、風呂に入るのを拒むようになった。
そして夜になるとにゃあおぅ、にゃあおぅ、と毎晩のように鳴く。
とうとう困った山岸さんたちが知り合いに相談したところ、その知り合いは占い師の先生を紹介してくれた。
ある日、その占い師の先生が家に訪れ、新太くんのことや家を診てもらったところ、新太くんにはやはり、猫の霊が憑いていたのだという。そこで山岸さんたちはお祓いに行き、急いでその家を引き払って新しくマンションを借りた。
すると、新太くんの異常はすっかり収まり、いまでは元気にしているという
なぜあの家で猫に憑かれたのかは、いまでも不明らしい。
「今度日程合わせて、取材に行きませんか。うちも再来月のネタが欲しいんで」
「そうだな。俺も確かに、この話は気になる」
不審死を遂げた井藤家が死の直前に怪異を体験していた。
掘れば、まだなにか出てくるかもしれない。
通話を切って数分後、乙野から日程の候補が送られてきた。手帳を確認し、こちらの予定が空いている日を送った。
すると、乙野からメッセージがすぐに返ってきた。
『アポ取りはやっときます。楽しみですね』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます