第18話 生徒会フラグ
休日の朝。学園の鐘が柔らかく鳴り響く。
今日は入学してから初めての完全な休日だった。
──とはいえ、俺には目的がある。
机の上には学園都市の簡易マップ。
赤いペンで書かれたメモが一つ。
「初休日限定クエスト:下町・ビビ」
ゲーム時代の記憶を辿れば、このクエストの条件は明確だった。
時期は入学直後の休日。場所は学園都市の下町。依頼人は少女・ビビ。
報酬はスキル書【投石Lv.3】。
だが、真の狙いは別にある。
ビビの姉――シルビア=ミューズ。
アルストフェリア学園の生徒会役員にして、学園二年の中でも指折りの実力者。
ゲーム内では「生徒会加入ルート」の最初のフラグが、まさにこのクエストだった。
「よし……これを逃す手はないな」
鉄の剣を腰に下げ、外出許可証をポケットに入れる。
裏門を抜けると、陽光の下に広がる下町の風景が目に飛び込んできた。
香ばしいパンの匂い、子どもたちの笑い声、職人たちの怒号。
華やかな学園地区とは違う、庶民の熱気がここにはあった。
(確か、倉庫街のあたりにビビがいたはずだ)
人混みを抜け、狭い路地を曲がると、木箱の山の陰に小柄な少女がいた。
「ねえ、大丈夫か?」
声をかけると、少女は顔を上げてぱっと明るく笑った。
「お兄ちゃん、助けて! この荷物、動かせなくて……」
「任せろ」
箱を持ち上げると、想像以上の重さだ。中身は金属の部品か何か。
「お姉ちゃんに頼まれたの?」
「うん! お姉ちゃん、学園でお仕事してるの! 名前はね、シルビア=ミューズ!」
「……やっぱり」
心の中で確信する。――これがそのクエストだ。
「よし、それじゃあ荷物を運ぼうか。どこまで?」
「あっちの工房だよ! でも、ちょっと道が入り組んでて……」
「大丈夫。俺に任せて」
ビビと並んで路地を歩く。
だが、次の瞬間、空気がぴたりと止まった。
「……この感じ、嫌な予感がする」
地面が淡く光を帯び、ひび割れたように歪む。
その隙間から、灰色の毛並みをした獣の影が姿を現した。
鋭い爪、獰猛な牙、黄色く光る目――。
「コボルト……!」
犬のような魔物が、唸り声を上げてこちらを睨む。
数は三体。小規模な群れだが、油断すれば致命傷になる。
「下がってろ、ビビ!」
「う、うん!」
剣を抜き放ち、正面に構える。
(自然発生型ダンジョン……!)
脳裏に、ゲーム時代の知識がよぎる。
この世界では魔物はすべてダンジョンから生まれる。
そしてダンジョンは、魔力が濃い場所で突発的に“自然発生”する現象――。
アルストフェリア学園にも巨大な常設ダンジョンが存在するが、こうした“小規模ダンジョン”も時折現れる。
一体のコボルトが地を蹴り、爪を振り上げてきた。
速い。だが、視線で軌道を読み、身体をひねる。
爪が髪をかすめる直前、踏み込みの勢いを利用して逆に切り上げた。
「ふっ!」
鉄の剣が灰色の毛を裂き、黒い血が地面に散る。
続く二体目が突っ込んできた。
右へ跳び、足場を取る。間合いが遠い。
(……投石スキルがあればな)
ぼやきながらも、一瞬の隙を逃さない。
地面に転がる石を蹴り上げ、それを剣の腹で弾き飛ばす。
「これで……!」
石がコボルトの額を直撃し、体勢が崩れる。
そこへ踏み込み、剣を水平に振り抜いた。
残る一体は仲間の死を見て吠え、突進してきた。
低い姿勢、殺気を帯びた動き。
「来いよ!」
金属がぶつかる音。爪が剣に当たり、火花が散る。
そのまま腕を返し、斬り上げ。コボルトが苦悶の声を上げて倒れ込んだ。
静寂。
息を吐くと、冷たい汗が背中を伝った。
「お兄ちゃん、すごい……!」
「ふぅ……危なかった。ケガはないな?」
「うん!」
その時、背後から複数の足音が近づいてきた。
振り向くと、赤いマントをまとった学園生たちが数名。
先頭には、白銀の髪を揺らす一人の少女。
「……あの髪、まさか」
「ビビ! 無事だったのね!」
「お姉ちゃん!」
少女が駆け寄り、ビビを抱きしめる。
その姿は凛としていて、どこか近寄りがたい気品を持っていた。
――彼女こそ、シルビア=ミューズ。
「助けてくれてありがとう。あなたが退けてくれたのね?」
「ええ、たまたま通りかかって」
「そう……本当に感謝するわ。私はシルビア=ミューズ、生徒会所属です」
「俺は西日高といいます。一年の新入生です」
「ふふ、後輩ね。礼儀正しいわね」
生徒会のメンバーたちは、そのまま現場を調査し始めた。
どうやら、コボルトたちが出てきた地点は“小規模ダンジョン”の入口らしい。
「この下層にまだ反応があるわ。ビビ、ここにいなさい」
「えっ、でも……」
「大丈夫。後輩くん、よかったら協力してもらえる?」
「もちろんです、シルビア先輩」
ダンジョンの入口はわずかに光を放つ裂け目だった。
剣を握り直し、シルビア先輩と共に足を踏み入れる。
内部は洞窟状で、薄暗い魔石の灯りがちらちらと揺れている。
「……ここまで本格的なのは珍しいわね」
「本当に自然発生なんですか?」
「ええ。世界各地でこうして突然現れるの。学園都市でも例外じゃないのよ」
数分進むと、奥に一体だけ残っていた大型のコボルトが現れた。
通常種よりもひと回り大きく、爪の先には魔力が宿っている。
「強化個体……! シルビア先輩、俺が前へ出ます!」
「頼もしいわね、じゃあ後方支援をするわ」
青い魔力が光り、シルビア先輩の詠唱が響く。
「〈ライト・バレット〉!」
光の弾がコボルトの動きを牽制する。その隙に、俺は間合いを詰め、斬り込んだ。
剣筋を見切らせず、波のように流す――師匠から教わった十文武人流の応用だ。
コボルトの爪を紙一重で避け、その反動を利用して斬り下ろす。
刃が魔物の胸を割き、黒い霧となって消えた。
「終わりました……!」
「ふぅ、見事ね。あなた、本当に一年生?」
「はい、たぶん少しだけ鍛えられてるので」
シルビア先輩は微笑みながら頷いた。
「……今後、生徒会に興味があるなら、声をかけてちょうだい」
「え?」
「今日の働き、ちゃんと覚えておくわ。西日高くん」
その言葉に、心臓が跳ねた。
まさか、こんなに早くフラグが立つとは。
学園都市に戻る頃には、夕日が差し込み、空が茜色に染まっていた。
ビビが走ってきて、俺の腕を掴む。
「お兄ちゃん、本当にありがとう! これ、お礼だよ!」
彼女の手から、小さな光る紙片――スキル書が差し出された。
【投石Lv.3】
「……やっぱり、これか」
その日、俺は心の中で小さくガッツポーズを決めた。
──生徒会フラグ、確定。
そして、俺の物語は、確実に“ゲームの本筋”へと近づいていた。
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