紫乃さまと私
山犬 柘ろ
第1話
世の中のものには、全てに変化がある。
建物は劣化するし、花は枯れる。
パソコンはバージョンが変わるし、パンはカビが生える。
生きているものは死ぬし、卵から新しい命が生まれる。
人も産まれてきて、死ぬときがくる。
生きている間に、考え方や価値観も変化する。
わたしは考えていた。
世の中に、変わらないものはあるんだろうか。
何も変わらないとしたら、
それはこれから変化するものか、すでに変化し、終わったものだろうか。
ある日、卵が入った鳥の巣が落ちていた。
この鳥の巣はこの先につながる可能性を秘めていたのに、ここで終わってしまった。
あとは卵が腐敗し、水分が抜けてもろもろと崩れるだけだ。
わたしがなにかに興味を持っても、変化することで興味はなくなるだろう。
──いや、そんなことはない、変化したものは更に魅力的になる可能性もある──と言う人もいるかもしれない。
興味を持ち、同時に愛着をもったそのものがどう変化しても愛着は離れる。
変化しないことに愛着を持ってるのだ。
変化しないことへのゆるぎない安心感、愛おしく可愛らしく守りたくなる。
永遠に変わらずにいてくれるなら、どんなことをしても守る──。
わたしがこうして生きていくことに意味はあるのだろうか。
そう思いながらわたしは今日も会社に行く。
毎日同じ時間に行き、同じ時間に帰る。
休日も同じ時間に起きて休日にやる事をこなす。
毎日決まった生活をしている。
友人はいない。
欲しいとも思わない。
家族はいたが、みんな命が果ててしまった。
みんな歳をとるし、いなくなってしまう。
かくいうわたしも歳をとり、もうすぐ定年になる。
ピンとはりつめていた肌に少しずつ皺が増えていき、この先に皺はもっと増えて深くなり、東京の地下鉄路線図のように沢山のシワが刻まれていくだろう。
そんな中、わたしは一人だけ変わらない人を知っている。
生きることの意味があるのか、自分の価値が理解できないまま、ずっとぐらぐらと生きてきたわたしでも、この方と接している間だけは生きる意味があると思わせてくれる存在。
わたしが生まれるずっと前から、変化せず、ずっと変わらぬ美しさと可愛らしさと安心感を維持している人物がいる。
わたしの曽祖母、紫乃様。
この屋敷の地下室のベッドの中でずっと28歳のまま、大人の女性の中に、うら若き少女の様な面影を残した美しき笑みをたたえ、百年の間、変わらず眠っている。
曽祖父は曽祖母の紫乃をとても愛していたのだろう、そして、本当に二人は仲が良かったという。
少し幼いふっくらとした口元、日本人らしからぬ綺麗に鼻筋の通った大きすぎない鼻、目は閉じているが濃いめの黒い艶やかなまつ毛。
生前の数枚残っている写真も美しいが、今ここにいる実物の方がとても神秘的で美しく見える。
曽祖父は研究者であった。
紫乃様が、5人目に次男を産んだ後の経過が思わしくなく、曽祖父の必死の看病も虚しく、命が儚く消えてしまった。
そのとき、曽祖父は友人の学者と二人で、妻に永遠に眠っているような細工を施した。
美しい状態を維持するには、二日に一度、全身に特殊な液体を塗らなければいけない。
曽祖父は自分以外の男に、その仕事をさせることはなかった。
その仕事を引き継いだのは曽祖父と紫乃様の娘であった。
それからはこの屋敷は、男が生まれても女主人が跡をとり、その仕事は女主人に引き継がれている。
紫乃様は、女主人になる者以外は目にすることも許されない。
わたしも15歳の誕生日に初めて紫乃様を見た。
白く美しいベッドに横たわり、微かに笑みを浮かべている。
人でない美しさをも手に入れた人間のような、俗世間には存在しない、もし人間の中に紛れていてもどこか浮世離れしたような、今までに感じたことのない魅力的な何かを醸し出していた。
私は一瞬で魅了され、目が離せなかった。
透明感と非現実を美しい人間に織り交ぜたような、不思議な雰囲気をまとっていた。
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