第3話 初めての戦闘

「……人間を、殺す……?」


 アザゼルの悪魔的な提案に、俺の思考は完全に停止した。


 ダンジョンを運営し、モンスターを創造するリソースのために人間を贄として殺す。

 理屈はわかる。俺は魔王なのだからそれが当たり前なのだろう。


 だが、数日前まで平和な日本で生きていた俺にとって、その一言はあまりにも重かった。


(殺す? 俺が、人間を? この手で?)


 ダンジョンコアが俺の命であり、それを守るためにモンスターが必要。

 そのためには人間を殺すしかない。


 それはつまり、「俺が生きるために人間を殺し続けろ」ということだ。


 俺が玉座の前で葛藤に押し黙っていると、不意に身体の奥で虫が這うような、かすかな違和感を覚えた。


(……なんだ? このぞわぞわする感じは……)


「――陛下」


 俺の反応を待っていたアザゼルが嬉しそうに顔を上げた。


「陛下も侵入者の気配にお気づきになりましたか。さすがの魔力探知でございます」


(侵入者!? いや、俺は何も……!)


 ……いや、違う。

 さっきの「虫が這うような違和感」がそれだったのか。


「……当然だ」


 俺はアザゼルに見限られまいと、平静を装って短く答える。

 内心では冷や汗が背中を伝っていた。


(魔力探知、魔力探知……! ゲームだとどうやってた!?)


 俺は慌ててゲームの知識を呼び起こし、意識をダンジョン全体に広げるイメージを描く。


 すると、脳内にダンジョンの立体図が瞬時にマッピングされ、俺の命たるコアから最も遠いダンジョン入り口付近に三つの小さな光点が瞬いているのが視えた。


(これか!)


「剣士、盗賊、魔法使い……。典型的な三人組の冒険者だな」


 その正体がわかった瞬間、アザゼルが歓喜に満ちた声を上げた。


「絶好の贄が向こうから足を運んでくれたようです。陛下、いかがなさいますか?」


「……」


 選択を迫られる。


 ここで「殺したくない」などと言えば、この有能すぎる秘書官――そしてゲーム最強の隠しボス――に、俺が魔王の器ではないと判断されるかもしれない。

 そうなれば、この数日間の天国のような日々は終わりだ。


 俺はゆっくりと目を開き、魔王にふさわしい冷酷な声色を作った。


「……決まっている。我が命の糧となってもらおう。――アザゼル、転移だ。奴らの前に出る」


「はっ! 陛下の御手ずから……! なんと慈悲深い!」


(慈悲深い? 殺すのに?)


 アザゼルの思考はよくわからないが、どうやら俺の決断は「魔王ムーブ」として正解だったらしい。

 

 彼女が恭しく手を差し伸べ俺がそれに触れると、次の瞬間視界が歪んだ。


 ◇


 薄暗い石造りの回廊。

 俺たちが転移した先には、松明を掲げた三人の冒険者がいた。


「なっ……!? 誰だ!?」


「ま、待て! この魔力……! こいつヤバいぞ!」


 三人が武器を構えるより早く、俺は手のひらを彼らに向けていた。


 ――人を殺す。

 その事実に、俺の元人間としての理性が悲鳴を上げる。


 だがそれ以上に、「ここで死にたくない」という本能が、俺に魔王としての力を振るうよう命じていた。


(すまない。だが、俺も死にたくないんだ!)


 俺はゲームで最もよく見た魔族の攻撃である最下級の闇魔法『ブラッドランス』をイメージする。


 ――ズバンズバンズバン!


 俺の手から放たれたのは最下級魔法などではない。

 凄まじい轟音と共に、三本の漆黒の槍が空間そのものを歪ませながら迸った。


「「「ぎゃっ……!?」」」


 悲鳴を上げる間もなかっただろう。

 三人の冒険者は、鎧も、革鎧も、ローブも関係なく、その身体の中心を漆黒の槍に貫かれ一瞬で炭化し、塵となって消滅した。


 あまりの威力に俺自身が呆然とする。


(これが……俺の力……)


 元人間としての忌避感は、圧倒的すぎる無双の快感の前にあっさりと吹き飛んでいた。

 これも魔王の身体に俺の心までが飲み込まれてしまっているからなのだろうか。


「あぁ……! 素晴らしい御業! 陛下、お見事でございます!」


 背後でアザゼルが恍惚とした声を上げる。


 俺は魔王らしく「フン」と鼻を鳴らし、踵を返した。


「戻るぞ。我が人間などにいちいち手を煩わせてはが成せないであろう。早速モンスターの創造を行う」


「はい、陛下……! 陛下の大義を阻む人間を、その大義を成す道具に変えてしまいましょう……!(ああ……! 大義……! なんと深遠なお言葉……! 陛下は単なるダンジョン防衛ではなく、その先にある想像もつかないような大義のためにあえて御自ら手を下されたのだ! なんというご慧眼……!)」


 「大義」などと言っておいて自分でも何を言っているのかわからなかったが、アザゼルは恍惚とした表情のままその豊満な胸を押し付け、転移魔法を使った。

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