第9話「勝負」

 勉強会の最中、突然背中に衝撃を受けた。振り返ると白夜の姿がある。

「朔夜には霊力を磨く修行が必要だ。手間をかけさせるな」

 鞘に入れたままの刀で朱音の背中を打ったらしい。

 そのあとは優雅に銀髪を翻して去っていった。

「なにもあんな強くぶたなくてもいいじゃない。白夜様ってそんなあたしのこと嫌いなの?」

 朱音の世界の住人に比べて力は弱いはずなのにかなり痛かった。手加減なしだったに違いない。

「本人の前では言わない方がよいことですが、おそらく兄上は膂力で朱音様に後れを取っていることが気に入らないのではないでしょうか」

「あんなに強いのに? あたし剣道とかやってないから、剣の腕は白夜様のが上でしょ?」

 朔夜の考えが正しそうだが、いまひとつ納得できない部分もある。

「兄上は完璧主義といいますか……これまでどんなことでも他人に負けたことがないので、負けるという経験に慣れていないのだと思います」

「なるほど。ナツミの逆か」

「あたし人に勝ってるとこ色々あるし!」

 健人が失礼なことを言うので話がそれた。

「なにで誰に勝ったんだよ?」

「去年の体育祭、あたしの活躍で勝ったでしょ」

「おまえ一人の力じゃないだろ。技術のいるような競技はサッパリだったし」

「うぐっ……」

 運動競技といっても、単純に力が強ければ勝てるものばかりではない。

 ルールを覚えなければ参加のしようがないスポーツも多い。

「それよりも、朱音様にはまだこの屋敷で暮らしていただくのですから、兄上が朱音様を認めるようになにか案を出さなければなりませんね」

 朔夜が話を戻した。

「白夜様があたしを……か。そもそも女嫌いっぽくない? なんとなくのイメージだけど」

 同じ異世界人でも、健人より朱音の方を特に嫌っているようにも感じる。さっきも朱音だけ叩いてきた。

「女扱いされてんのか、よかったな」

 健人はつまらなそうに言う。朱音が女扱いされると面白くないのか。

「女性に対して……ですか。必ずしもそうとは言いきれない部分もあります」

「というと?」

 朔夜にはなにか思い当たることがあるようだ。

「女性に厳しい印象は確かにあるのですが、本来兄は人を立場によって差別するような方ではありません。戦場に立つ時、身分の低い戦士を蔑ろにすることもありませんし」

「んー、そう言われれば、プライドは高そうだけど、その分大物って感じもするしね」

「プライド――誇りという意味でしたね。兄は誇りを重んじる方です。一見冷めているようであっても、誇り高く戦って死んだ配下にはそれ相応のいたわりの心を持っているようでした」

 朔夜の言葉でなんとなく答えが見えてきた気がする。

「よし。白夜様と話してみるよ。朔夜君、部屋教えて」

 善は急げというが、さすがに行動を起こすのが早すぎるということもあって、朔夜も健人も驚いている。

「お教えするのは構いませんが……」

「なんか策があんのかよ?」

「ふっ、あたしを誰だと思ってんの」

 疑いの目を向ける健人に力強く言葉を返す。

「誰っつーか、バカなのに自信家の赤毛だろ」

「赤毛じゃなくて茶髪! しっかり作戦立てたんだからね!」

「朱音様がそこまでおっしゃるなら」

 朱音の毅然とした態度を信頼してか、朔夜は聞き入れてくれた。

「よーし、じゃあ――あ、その前に和服の方に着替えておこうかな」

「なんでだよ。分かってると思うが、朔夜の前で脱ぐなよ」

 健人が不審がりながら釘を刺してくる。

「分かってるわよ。自分の部屋で着替えるから。朔夜君、ちょっと待っててね」

 朱音は自室に戻って衣装を変える。複雑な構造の着物でなくて助かる。

「お待たせ。それじゃ、行こうか」

「早いな。どうせ、帯の締め方とか適当なんだろうけど」

 健人には性分を理解されている。良くも悪くも。

「それではご案内しますね」

 朔夜が先頭に立って、屋敷の中を移動する。健人もついてきた。

「ここです」

「白夜様、入りますよー」

 朱音は、朔夜に案内された部屋のふすまを迷いなく開ける。

「あ……」

 そして硬直した。

 白夜は装束を直していたところらしく、上半身裸だった。どちらかというと線は細めなのに、筋肉がついてよく引き締まっている。

「…………」

 表情からは読み取りづらいが、間違いなくご立腹だ。

 白夜がこちらに差し向けた掌から光の球が飛ばされ、朱音の額に命中。その勢いで吹っ飛ばされた。これも霊力による術か。

「いったー」

 ちょっといいものを見たような気もするが、顔と首が痛い。

「兄上、失礼しました」

 朔夜がいったんふすまを閉める。

「おまえな……どんだけバカやるんだよ」

 憎まれ口を叩きながらも、健人は朱音に手を貸して起こしてくれた。

「いや、失敗失敗。まさかちょうど着替え中とはね……」

「認めさせるどころか、さらに好感度下げてどうすんだ」

 我ながら軽率だったとは思うが。

「でも、もしあたしが声かけてても、白夜様は返事しなかったんじゃないかな?」

 だとしたら同じではないか。

「朱音様、今度は私が声をかけますので、そのあとで入っていただければ……」

「うん、お願い……」

 意気込んでここまで来たのに、結局朔夜に助けられている。

 しばらく待ってから、再び朔夜が呼びかける。

「兄上、そろそろよろしいでしょうか?」

「構わんが、そこの女に用はないぞ」

 白夜の冷たい声が返ってきた。

「一応大丈夫かと」

 朔夜がふすまを開け、朱音が部屋に入っていく。

「用はないと言ったはずだが?」

「あたしにはあるんです」

 先ほど醜態をさらしたので格好はつかないが、なるべく強気で応じる。

「あたしと勝負してくれませんか? それであたしが勝ったら、あたしたちがここに滞在するのを正式に認めてください」

「なっ……おまえ、それ本気で言ってんのか!?」

 白夜より前に健人が反応した。

 ただでさえ嫌われているというのに、戦いを挑むなどとは予想できまい。

 だが、和服に着替えたのは、気合いを入れて戦うためだ。

「断る。きさまの遊びに付き合うほど暇ではない」

 白夜の答えは予想通り。

「イヤー、ザンネンダナー。白夜様の強さならあたしなんて瞬殺だから時間はかからないはずなのにナー」

 朱音は顔を背けつつ横目で白夜を見る。

「それで私を挑発しているつもりか。弱いと思われるのが癪だからきさまの誘いを受けるとでも? ふざけるな」

「う……」

 こちらの狙いをあっさり看破されてしまった。

「こいつの浅知恵が通用する訳ないんだよな」

 健人はあきれている。

 挑発に失敗したのは計算外だ。これでは朱音の狙いは達成されない。

(ど、どうする……? さっきのと今ので余計怒りを買ってるし……)

 裸を見たことと安い挑発をしたことが相まって、下手するとすぐにでも追い出されそうだ。

 朱音が思案していると、朔夜が口を開いた。

「兄上、時間に制限を設けてはいかがでしょうか? 朱音様が逃げ腰であれば当然彼女の敗北になります。朱音様が敗れた場合には、なにかしら罰を与えるということで――よろしいですよね、朱音様?」

「あっ、うん! 負けたならどんな罰でもドンとこいだよ!」

 なにかと朱音を気遣ってくれている朔夜だけあって罰については朱音に同意を求めてきた。

 これで白夜が弟の提案を受けてくれればいい。

「食い意地の張っているその女のことだ、負けたら今後卯月家から食事を出すな」

 どうやら朱音の挑戦を受ける気になったようだ。

 朔夜の言葉は白夜にも届いた。弟に対しても厳しい白夜だが、肉親の情がない訳ではない。

「つーか、ナツミが勝ったとして、うまくいくのか……?」

 健人の疑問ももっともだ。負けている部分があることで機嫌を悪くしている白夜を戦いで負かして意味があるのかと。

 しかし、その点については、今度こそちゃんとした考えがある。

「屋敷を壊されては迷惑だ。修練場を使うぞ」

 白夜はさっそく部屋を出た。やると決めたことはすぐにやるタイプらしい。

 朱音たちは、卯月家の者が武芸の練習をするために用意された修練場に向かう。

「鞘に納めたままの刀で打ち合って、先に刀を落とした方の負け。膝をついたりしても負けでいいかな? もちろん時間切れはあたしの負けでいいですよ」

 真っ向から白夜と対峙する朱音。

「口数が多いな。好きに条件をつけろ」

 白夜は冷ややかな態度だ。

「あの小娘……勝てると思っているのか?」

「いや……勝ったら勝ったでどうするつもりだ……? 白夜様に恥をかかせたとなると今度こそ処刑だぞ」

 数人の召使いも観戦しにきている。彼らの予想も、健人の危惧と似たようなものだ。

「朔夜君。試合開始と時間切れの合図お願いね」

「分かりました」

 朱音と白夜の準備は既に整っている。

 朱音に任されて、朔夜がホイッスル代わりの声を発する。

「卯月白夜対夏見朱音、試合開始!」

 合図を受けると共に朱音は勢いよく刀を振るう。

 腕力はこちらが圧倒的に上、ひとまずは優位に立てるかと思っていたのだが。

「甘い」

 白夜の刀は朱音の刀を正面から受けず、サラリとそらした。

 朱音は、軽くいなされた挙句、刀を胴に叩き込まれた。

「いっ――」

 体勢を崩しそうになるが、膝をついたら負けと自分で言ってしまった。

 どうにか踏み止まる。

 そこから先も、朱音は力強く打ちかかるのだが、白夜は軽快な身のこなしでかわしていく。

 刀同士が触れても、まともな鍔迫り合いにならない。

 白夜の実力が優れているのは承知していたが、ここまで苦戦するとは思っていなかった。

 朱音の刀はかわされるのに対し、白夜の刀は容赦なく朱音の身体を打った。

 幸い、重霊刀の力を知っているからか、白夜もこちらの刀を叩き落そうとはしてこない。

 それでも、このままでは朱音の身が持たない。

「どうした、口先だけか?」

 白夜が冷然と問いかけてくる。

 この程度で終わるつもりはないが、そう言い返す余裕もない。

(あたしの方が速い。あたしの方が力は強い。なのに、なんでかわされるの!?)

 白夜の動きは優雅に見えるが、優雅であることと戦いで強いことがそのまま結びつくとも思えない。なにか強さに秘密があるのか。

「ずいぶん朔夜と懇意にしているようだったが、私を倒して卯月家に居座るのではないのか? もっとも、きさまの目で私の剣は見切れんだろうがな」

 単純な腕力・脚力では朱音に分があるが、白夜は的確に朱音の太刀筋を読んでいる。

(見切る……そうか、腕力じゃなくて眼力で戦うんだ)

 ようやく気付いた。戦いに必要なのは身体の力だけではない。

 白夜が悠然とした構えのまま朱音の攻撃を防ぎきれているのは、朱音がどう攻めるのか分かっているから。

 よく見なければ。白夜がどうのように刀を扱っているか。

(やっぱり隙がない……でも)

 洗練された白夜の剣技にもクセはある。

 白夜は朱音の刀を受け流したあと、大抵腹の辺りに一撃を加えてきていた。そのおかげで腹痛が起こっているが、このパターンを覚えておいて損はない。

「残り時間、三十秒です」

 審判の朔夜が告げる。もうあとがない。

 次の攻防に賭ける。

「食らえ!」

 いなされる前提で朱音は軽く刀を振るう。わざと、本気で仕掛けるような声もプラスした。

 案の定、白夜にこちらの刀をそらされた。しかし、今回は体勢を崩さない。

 次に白夜の刀が向かってくる場所は予想できている。

 朱音は刀を素早く腹の前に移動させた。

 二人の刀が真正面から衝突する。これなら異世界限定で並外れている朱音の剛腕を活かすことができる。

 朱音は白夜の刀と触れ合っている自身の刀を大きく振り上げた。

「三、二、一――そこまで!」

 朔夜による時間切れの合図と同時に、白夜の刀は弾き飛ばされて彼の手を離れた。

「ちっ……」

 忌々しげに舌打ちする白夜。

 一方、朱音は立っているのも限界でその場に膝をついた。

 できれば横になりたいくらい消耗しているが、まだそれは早い。

「はあっ、はあっ。どうですか? あたしと引き分けは屈辱ですか?」

 なるべく鋭い目つきで白夜を見上げる。

「ふん。戦士を名乗るだけの気概はあるらしい」

 白夜も一応朱音を認めてくれた。彼の性分からすれば、そういう意味と取っていいだろう。

 刀を拾った白夜は銀髪を風になびかせつつ修練場から去っていった。

「白夜様、余力残してんじゃん……」

 自分が強くあれる異世界に来てもなお勝てない相手がいることは少々悔しい。

「朱音様、大丈夫ですか?」

 朔夜が心配そうに駆け寄ってくる。心配しているかどうかはともかく健人も一緒だ。

「あはは……なんとか大丈夫。あたしの作戦、成功だね」

 負けることが気に入らないのは、その相手を見下しているから。ならば、それなりの格を持った相手だと示せばいい。そうすれば、負けることは恥ではなくなる。

「単なる結果オーライじゃなくて、本当に最初からこれを狙ってたんだろうな?」

 健人は失敬にも疑いの眼差しを向けてきた。

「当然。勝つまではいかなかったけど、引き分けでも大したもんでしょ」

「時間切れの上に膝もついてたし、ヒントまでもらったんだからおまえの負けだよ」

 直接戦っていない健人も、白夜がヒントを出していたことには気付いていた。

 白夜が口にした『目』と『見切る』――どちらも、力任せの戦い方ではダメで、敵の動きをよく観察しなければならないと教えるものだ。

 もしかしたら、最後の舌打ちすら演技だったのかもしれない。

「兄も、女性が戦場に立つこと自体には賛成なのだと思います」

 朔夜には、白夜が途中でヒントを出した理由に心当たりがあるようだ。

「おそらく兄上は、朱音様が繰り返し打たれても耐えていた時点で朱音様を認めていたのではないかと。そうした扱いを素直に受け入れる女性は少ないですから……」

 そうか、そこが他の女との違いとなったのか。

 朔夜は先ほども言っていた。白夜は身分で人を差別するような人ではないと。

 異世界人だろうと女だろうと、覚悟を持った人間には敬意を払う。冷血を装いながらも、根底には優しさを備えているのだ。

「ま、あたしはそんじょそこらの女とは格が違うからね。叩かれて痛いとか平気だよ」

 あっさりと言ってのける朱音だが、健人は苦笑い。

「違うのは分かるが、『格が』って付くとなんかおかしいな」

「なによー、『重い荷物持てなーい』とか言ってる女とは格が違うでしょ」

 朱音の反論に、朔夜は同意してくれた。

「本当にその通りですね。兄上にあれだけ食い下がった女性は朱音様だけです」

 健人もこの点について否定するつもりはない様子だ。

「『いい女』と『女らしい』は別の問題だからな。力仕事を率先してやるのは悪くない」

「おっ、タカオもあたしがいい女だって分かる? 知らず知らずのうちに惚れちゃったかなー?」

「調子乗んな」

 頭に軽いチョップを食らった。それは大した威力ではなかったが、白夜の刀を何度も受けていた身体の方が痛んだ。

「たた……ちょっと切れてる?」

 装束は破れていないが、中で一部の皮膚が裂けているらしい。

「大変です。血のにじんでいるところがありますよ。治療しますので屋敷に戻って横になってください」

 朔夜の意向に従って休息することに。

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