青咲くフィルギア

梅杉

第1話 ドナドナ

 ゴトゴト、ゴトゴト。

 馬車が街道を行くこの音は嫌いではありませんが、振動は嫌いです。お尻が痛いので。

 ですが仕方がありません。クッションつきの座席があるような立派な馬車には乗れないのです。それどころか、こうして沢山の野菜が積まれた荷台のすみっこに乗せてもらうのが精一杯です。お金が無いので。

 そもそもお金があったら、この身は皇都になど向かっていません。

 遠ざかっていく山をヘッドギアのバイザー越しに眺め、それから向かいに座るウテナ博士に尋ねます。


「博士は大丈夫ですか?お尻が痛くありませんか?」


 いつも部屋に引きこもって研究ばかりの博士には、きっとこの狭くて硬い荷台は辛いでしょう。

 そう思ったのですが、博士は小さく笑って「大丈夫だよ」と首を振りました。


「ほんとに?ほんとに大丈夫?お尻が取れちゃったりしない?あっ、でも、お尻のお肉が減ったら博士は嬉しいんじゃないかしら!」


 博士の顔を覗き込みながら言ったのは、ブランです。背中に蝶の羽根が生えた、20センチほどの大きさの汎用人工精霊フィルギア

 この身にとってブランは先輩です。この2年、人工精霊としての心構えや仕事のやり方、お風呂嫌いな博士をスムーズに浴室に向かわせる方法、博士がこぼした試薬のシミ抜き方法、博士に嫌いな苦瓜を食べさせる方法、その他色々な事を教えてくれました。

 幼い子供のような人格を持っているブランは、場を和ませるのが得意です。まあ、失敗する事も多いのですが。

 今も博士の気持ちを明るくしようとあれこれ話しかけていますが、あまり上手く行っていません。


「…お尻の肉が取れて食べられたら、少しはお腹の足しになったんだけどねえ」


 そう呟いた博士に、「それは共喰いでしょう」とこの身は思いましたが、あまり面白い冗談でもなかったので口には出しませんでした。

 出すべきだったかもしれません。博士の表情がますます暗くなってしまったので。

 でも、博士が憂鬱な原因は分かりきっていて、それはどうにもならない事なのです。他に方法はないのですから。

 この身を皇都の精霊屋に売って得られるお金は、村にとってどうしても必要なものなのです。




 そもそもの原因は、長雨の後の大嵐によって村に大きな被害が出た事でした。

 雨が染み込んでゆるくなっていた崖が崩れ、村の南にあった川の流れをき止めてしまったのです。

 川から水があふれたら大変です。すぐに土砂をどかし、流れを元に戻さなくてはいけません。それができるのは、優秀な人工精霊であるこの身だけ。ちょっとした土砂を吹き飛ばすくらいは簡単なことです。

 だから急いでそこへ向かおうとしたのですが、逃げ遅れた村人を高台に誘導したり、倒れた家屋に埋もれた子供を助けたり、怪我人を運んだり、途中で予想外の出来事に時間を取られてしまいました。

 その間に水位はどんどん上がり、溢れ出し…そうして、村の畑のほとんどが水没してしまったのです。


 元々、かなり貧しい村です。皇国に服従したものの上手く文化に馴染めなかった少数民族によって、山奥に作られた小さな村。人口は少なく、ろくな技術も持たず、細々と畑を耕したり狩りをして生きていました。

 それが秋の収穫を前にして、作物のほとんどがだめになってしまったのです。家や建物にも大きな被害が出ました。今年の冬を乗り越えるためにはどこかから食べ物を買わなければいけませんし、村の復興にも費用がかかります。

 ですが、村の蓄えなどごく僅かしかありません。


 村の長老たちは長々と話し合い、冬を越えるための方策を決めました。

 それが、人工精霊フィルギアであるこの身を商人に売ることです。


 この身の所有者はウテナ博士という事になっています。

 博士は村で唯一の他所者よそものです。異端の研究をしていて故郷から追われてしまい、研究を兼ねて村に住み着きました。

 村人たちが博士を受け入れたのは、人工精霊のブランを連れていたからです。人工精霊は大きな魔力を持っているので、村人にはできない様々な事ができました。何もない所から火や風を起こしたり、怪我を治したり、魔物を倒したり。

 さらに博士は、遺跡からこの身を発掘し所有しました。この身はブランよりもずっと力持ちですし、たくさんの魔力を持っていて、強いです。すごく色んな役に立つのです。

 2体の人工精霊を持つ博士は、村にとって重要な存在になりました。


 だけど博士は決して村人たちより偉い訳ではありません。他に行く場所がない人間なのだと、村人たちは気付いているからです。

 博士がこの先も村で穏やかに生きていくためには、村人たちとは友好的な関係でいないといけません。

 だから、長老たちから「村のためにその人形を売って、それで食糧を買って来てくれないか」と言われた時、博士は断ることができませんでした。



 まあ、仕方のない事です。村には他に売れそうなものはありません。動物をかたどった可愛らしい木彫りだとか、麻の織物だとかは、皇都から来る商人は大した値段を付けてくれないのだそうです。見る目がないのでしょう。

 人工精霊ならブランもいますが、はっきり言ってブランよりもこの身の方がずっと高く売れるでしょう。だって優秀なので。

 ブランと博士は長い付き合いで、この村に来るずっと前から一緒にいたそうなので、他の人間のところに売ってしまうのは可哀想でもあります。


 …それに、この身が村の畑を守れなかったのは事実です。その代わりに村人は誰も死ななかったのですけれど、村を守れなかったと言われればその通りです。

 長老たちは一応「金は少しずつ貯めて返す。それでいつかその人形を買い戻せば良い」と言っていましたが、村の経済状況から考えれば、博士の寿命があるうちにお金を返せるかどうかは怪しいところです。(ちなみにこれは、オブラートに包んだ表現です)


 そんな訳でこの身は「分かりました。皇都の精霊屋に行き、この身を買ってもらいましょう」と言ったのですが、それを聞いた博士はどこか傷付いたような顔をしていました。別に博士が悲しむ必要などないのですが。

 よく遊んでいた子供達だってそうです。ずいぶん泣いている子もいましたが、悲しむ必要はありません。

 人工精霊は人間のために作られたものであり、売り買いされるものです。村の食糧のために売られるのは仕方のない事です。

 エンバとのジェスチャーゲームの勝敗がつかなかったままなのは心残りですが、ブランが代役をやってくれるそうなので大丈夫でしょう。


 この身がいなくとも、村は何とかやっていけます。ちょっと畑を耕すのが大変になったり、鹿狩りで獲物を取り逃がす事が増えたり、荷物運びに時間がかかったりと、不便になるだけです。

 山に出る魔物のうち大きなものはこの身が狩ってしまいましたし、ブランだけでも十分に村を守っていけるはず。

 他所者嫌いのアルググなどは「そんなのさっさと売っ払っちまえ!」だとか言っていましたし。

 彼が川に落ちそうになっていた所を助けたのはこの身なのですが、別に恩知らずだなんて思っていません。人間とはそういうものなのですから。


 …そんな訳で、この身は売られるために皇都へと向かっているのです。

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