第6話「バズらせ屋の告白」
1
月曜日の朝。
私は、公園のベンチで目を覚ました。
もう一週間以上、ここで寝ている。
体は限界だった。服も汚れていた。お金もほとんど残っていない。
でも——。
私は、まだ生きている。
スマホのバッテリーは、もう1%しかない。
私は、スマホを握りしめた。
このスマホの中に、私の投稿がある。
あの投稿が、私を生かしている。
あの投稿が、私を縛っている。
私は、立ち上がった。
今日も、どこかに行かなきゃ。
どこでもいい。
ただ、歩き続けなきゃ。
その時——。
ふと、学校のことを思い出した。
今日は、月曜日。
みんな、学校に行ってる。
私も——。
もう一度だけ、学校に行ってみようかな。
2
校門をくぐった。
生徒たちが、笑いながら歩いている。
でも、誰も私を見ない。
私は、もうこの学校の生徒ではない。
教室に入った。
私の席には、別の生徒が座っている。
私の存在は、完全に消えている。
授業が始まる。
私は、教室の後ろの隅に立っていた。
誰も、私に気づかない。
その時——。
教室のドアが開いた。
担任の先生が入ってきて、言った。
「みんな、今日から新しい生徒が来ます。紹介しますね」
ドアの外から、一人の男子生徒が入ってきた。
黒髪。背は高い。クールな表情。
服装は、どこか無造作だけれど、妙に様になっている。
IT系のオタクっぽい雰囲気がある。
「黒崎悠人です。よろしく」
男子生徒は、無表情で言った。
クラスがざわついた。
女子たちが、「かっこいい」「クールだね」と囁いている。
悠人は、適当に空いている席に座った。
そして——。
視線を、私の方に向けた。
私は、ドキッとした。
悠人が、私を見ている。
私を——見ている?
悠人は、小さく笑った。
そして、口を動かした。
「君、#拡散禁止使ったでしょ?」
私は、呼吸が止まった。
悠人の口の動きで、そう言ったのが分かった。
悠人は、私が見えている。
私の存在を——認識している。
3
昼休み。
私は、屋上に行った。
悠人が、私を見ていた。
悠人は、私の存在を知っている。
どうして?
その時、屋上のドアが開いた。
振り返ると——悠人が立っていた。
「やっぱり、ここにいたんだ」
悠人は、笑いながら近づいてきた。
「あなた…誰?」
私は、警戒しながら聞いた。
「黒崎悠人。さっき自己紹介したでしょ」
「そうじゃなくて…なんで、私が見えるの?」
「ああ、それね」
悠人は、フェンスに寄りかかった。
「君、#拡散禁止使ったでしょ?だから、消えかけてるんだよね」
私は、悠人を見つめた。
悠人は、すべてを知っているような口ぶりだった。
「どうして…知ってるの?」
「俺も、使ったことあるから」
悠人は、スマホを取り出した。
「ほら、これ」
悠人のスマホの画面には、SNSの投稿が表示されていた。
@yuto_kurosaki
「#拡散禁止 俺が誰からも気づかれない存在になりますように」
いいね:523件
私は、画面を見た。
誰からも気づかれない存在。
「これ…どういうこと?」
「文字通りだよ。俺は、誰からも気づかれない存在になった」
悠人は、笑った。
「でも、#拡散禁止を使った人間同士は、お互いに認識できるんだ。だから、俺には君が見える」
私は、悠人の言葉を聞いて——理解した。
#拡散禁止を使った人間同士は、お互いに見える。
だから、悠人は私が見えている。
「あなた…なんで、そんな願いを?」
「便利だからだよ。誰にも気づかれないって、すごく便利なんだ」
悠人は、笑顔で言った。
私は、悠人を見つめた。
悠人の笑顔には——何か、冷たいものがあった。
4
「ところで、君の投稿、見たよ」
悠人は、私のスマホを指差した。
「ルリちゃんを国民的アイドルに、か。で、今はどうなってるの?」
私は、何も答えられなかった。
悠人は、私の表情を見て、察したようだった。
「ああ、そっか。君、消えかけてるんだね。投稿を削除できなくて、でも削除したら自分が消えるから、生きることを選んだんだ」
「…どうして、分かるの?」
「だって、俺も同じ経験したから」
悠人は、笑った。
「#拡散禁止は、願いを叶えるけど、代償もある。君も、それを知ったんでしょ?」
私は、頷いた。
悠人は、続けた。
「でもさ、君はまだ甘いよ」
「甘い?」
「そう。#拡散禁止は、もっと使えるんだ。もっと、賢く使えばいい」
悠人は、スマホを操作しながら言った。
「俺はね、#拡散禁止を"ビジネス"にしてるんだ」
「ビジネス?」
「そう。クライアントから依頼を受けて、#拡散禁止で願いを叶えてあげる。報酬は、1件100万円」
私は、悠人の言葉を聞いて——呆然とした。
#拡散禁止を、ビジネスにしている?
「最低だ…」
私は、思わず呟いた。
悠人は、笑った。
「最低?そうかもね。でも、みんな使ってるよ」
「みんな?」
「そう。芸能人、政治家、企業——。この世界はもう、#拡散禁止で成り立ってる」
私は、悠人を見つめた。
悠人は、スマホを私に向けた。
「ほら、これ見てよ」
5
悠人のスマホには、複数の投稿が表示されていた。
投稿1:
「#拡散禁止 ○○(某アイドルの名前)がトップアイドルになりますように。ライバルの△△が芸能界から消えますように」
いいね:12,456件
投稿2:
「#拡散禁止 ××党(某政党)が選挙で勝ちますように。対立候補が失脚しますように」
いいね:34,567件
投稿3:
「#拡散禁止 我が社の製品が大ヒットしますように。競合他社が倒産しますように」
いいね:23,789件
私は、画面を見つめた。
これ、全部——。
「これ…全部、本物?」
「ああ。全部、俺が受けた依頼だよ」
悠人は、笑った。
「芸能界のトップは、#拡散禁止で決まってる。政治も、経済も、全部そう。この世界は、もう#拡散禁止で動いてるんだ」
私は、呼吸が止まった。
世界が——#拡散禁止で動いている?
「でも…それじゃ、何が本当で、何が嘘なのか分からないじゃん」
「そうだよ。もう、現実なんて存在しない」
悠人は、冷たく笑った。
「この世界は、#拡散禁止で作られた"偽物の現実"なんだ」
私は、悠人の言葉を聞いて——背筋が凍った。
偽物の現実。
この世界は——偽物?
6
「君のルリちゃんも、そうだよ」
悠人は、続けた。
「今のルリちゃんは、君の投稿で作られた"偽物"だ。本物のルリちゃんは、もういない」
「分かってる…」
私は、小さく答えた。
「でもさ、君は生きることを選んだんでしょ?だったら、それでいいじゃん」
「でも…ルリちゃんは、偽物のままだ」
「だから、何?君が生きてることの方が大事でしょ」
悠人は、私の肩に手を置いた。
「君は、正しい選択をしたんだよ。自分を犠牲にして他人を救うなんて、馬鹿げてる」
「でも…」
「でも、何?」
私は、何も言えなかった。
悠人は、続けた。
「君は、これから生きていくんでしょ?だったら、もっと賢く生きなよ。#拡散禁止を使って、自分の人生を良くすればいい」
「それは…」
「嫌?でも、君はもう使ったじゃん。今さら、綺麗事言っても意味ないよ」
私は、悠人の言葉に——何も反論できなかった。
私は、もう#拡散禁止を使った。
もう、元には戻れない。
7
悠人は、私から離れた。
「じゃあ、俺は行くよ。また、何か困ったことがあったら言って」
そう言って、悠人は屋上を出て行こうとした。
でも、その時——。
私は、思わず声をかけた。
「待って」
悠人が、振り返る。
「…あなた、ルリちゃんを元に戻せる?」
「できるよ。#拡散禁止で、元に戻す投稿をすればいい」
「それで…私は?」
「消えるよ。君の投稿を上書きする形になるから、君の存在も消える」
私は、悠人を見つめた。
元に戻せる。
でも、私は消える。
「…やっぱり、いい」
私は、首を横に振った。
「私、自分で何とかする」
悠人は、少し驚いた顔をした。
「そっか。まあ、それも一つの選択だね」
そう言って、悠人は笑った。
「でも、そのうち分かるよ。この世界に"現実"なんてもう存在しないって」
悠人は、屋上を出て行った。
私は、一人残された。
フェンスに寄りかかり、空を見上げる。
この世界に、現実はもう存在しない。
悠人の言葉が、頭の中で響く。
もし、それが本当なら——。
私は、何のために生きているんだろう。
8
その日の放課後。
私は、学校を出て、街を歩いていた。
悠人の言葉が、ずっと頭から離れなかった。
この世界は、#拡散禁止で成り立っている。
芸能界も、政治も、経済も——。
すべてが、#拡散禁止で作られた"偽物の現実"。
もし、それが本当なら——。
私が見ているこの世界は、何なんだろう。
私は、立ち止まった。
目の前には、大きなモニターがあった。
そこには、ニュースが流れていた。
「本日、総理大臣が新しい政策を発表しました」
画面には、総理大臣が映っている。
私は、ふと思った。
この総理大臣も——#拡散禁止で選ばれたのかもしれない。
この政策も——#拡散禁止で作られたのかもしれない。
すべてが、偽物。
すべてが、誰かの願いで作られた"現実"。
私は、モニターから目を逸らした。
そして、再び歩き始めた。
でも、どこに向かっているのか——分からなかった。
9
その夜。
私は、公園のベンチに座っていた。
スマホのバッテリーは、もう切れていた。
私は、空を見上げた。
星が、綺麗だった。
でも——。
この星も、偽物なのかもしれない。
この空も、誰かの#拡散禁止で作られたのかもしれない。
何が本物で、何が偽物なのか——。
もう、分からない。
その時——。
公園の入り口に、人影が見えた。
振り返ると、悠人が立っていた。
「やっぱり、ここにいたんだ」
悠人は、笑いながら近づいてきた。
「…どうして、ここに?」
「君のこと、気になってさ。ちょっと様子を見に来た」
悠人は、ベンチの隣に座った。
「君、ホームレスみたいになってるね」
「…うるさい」
「家、帰らないの?」
「帰れないよ。家族も、私のこと忘れてるから」
悠人は、少し考えてから言った。
「じゃあ、俺の家に来る?」
「…え?」
「一人暮らしだから、泊めてあげるよ。このままじゃ、君、死ぬよ」
私は、悠人を見た。
悠人は、本気のようだった。
「…いいの?」
「別に。困ってる人を助けるのは、普通のことでしょ」
私は、少し迷ったけれど——。
もう、選択肢はなかった。
「…ありがとう」
10
悠人の家は、駅から少し離れたマンションの一室だった。
部屋に入ると、パソコンが何台も並んでいた。
「IT系の仕事してるの?」
「まあ、そんな感じ。#拡散禁止のビジネスもあるけど、普通のプログラミングの仕事もしてる」
悠人は、私にタオルと着替えを渡した。
「シャワー浴びてきなよ。その後、何か食べる?」
「…ありがとう」
私は、シャワーを浴びた。
久しぶりの温かいシャワーだった。
涙が、止まらなかった。
シャワーを浴びた後、悠人がカップラーメンを用意してくれていた。
「ごめん、これくらいしかなくて」
「ううん、ありがとう」
私は、カップラーメンを食べた。
久しぶりの食事だった。
おいしかった。
悠人は、パソコンの前に座りながら、私に話しかけた。
「ねえ、君、これからどうするの?」
「…分からない」
「家には帰れない。学校にも行けない。お金もない。このままじゃ、生きていけないよ」
私は、何も答えられなかった。
悠人は、続けた。
「俺と一緒に、#拡散禁止のビジネスやる?」
「え…?」
「君も、もう#拡散禁止使ったんだから。今さら、綺麗事言っても意味ないでしょ。だったら、もっと賢く使えばいい」
私は、悠人を見つめた。
悠人は、本気のようだった。
「…考えさせて」
「うん、いいよ。ゆっくり考えて」
悠人は、そう言って、再びパソコンに向かった。
私は、カップラーメンを食べ終えて、ソファに横になった。
久しぶりの、温かい場所だった。
私は、目を閉じた。
そして——。
意識が、遠のいていった。
11
翌朝。
私は、ソファで目を覚ました。
悠人は、まだパソコンの前に座っていた。
一晩中、何かをしていたようだった。
「おはよう」
悠人が、振り返った。
「よく眠れた?」
「うん…ありがとう」
悠人は、立ち上がって、キッチンに行った。
そして、トーストとコーヒーを用意してくれた。
「朝ごはん、食べて」
「…ありがとう」
私は、トーストを食べた。
おいしかった。
その時、悠人のスマホが震えた。
悠人は、スマホを手に取り、画面を見た。
そして——。
表情が、少し変わった。
「どうしたの?」
「…いや、ちょっとね」
悠人は、スマホを私に向けた。
画面には、DMが表示されていた。
送り主は——@pandora_box。
@pandora_box: 次のターゲット:夏川七海
私は、画面を見つめた。
次のターゲット?
私?
「これ…どういうこと?」
「…分からない。でも、@pandora_boxは、#拡散禁止のシステムを管理してる存在だって噂がある」
「システムを管理?」
「そう。#拡散禁止を作った存在。もしくは、#拡散禁止そのもの」
私は、悠人の言葉を聞いて——呼吸が止まった。
@pandora_boxが、#拡散禁止を作った?
「じゃあ…私は、ターゲットにされてるの?」
「そうみたいだね」
悠人は、冷静に答えた。
「でも、何のターゲットなのかは分からない」
私は、スマホを見つめた。
@pandora_box。
あの謎のアカウント。
あのアカウントは——。
何者なんだろう。
12
その日、私は悠人の家に留まった。
外に出る気力もなかった。
悠人は、パソコンで何かを調べていた。
「ねえ、@pandora_boxについて、何か分かった?」
「いや、まだ。でも、調べてる」
その時、悠人のスマホが再び震えた。
悠人は、画面を見て——表情が変わった。
「…これ、見て」
悠人は、スマホを私に向けた。
画面には、新しいDMが表示されていた。
@pandora_box: 夏川七海の投稿を削除しろ。さもなくば、お前も消える。
私は、画面を見つめた。
私の投稿を削除しろ?
「これ…どういうこと?」
「分からない。でも、@pandora_boxは、君の投稿を削除したがってるみたいだね」
私は、悠人を見た。
悠人は、冷静に続けた。
「もしかしたら、君の投稿が——#拡散禁止のシステムにとって、邪魔なのかもしれない」
「邪魔?」
「そう。君の投稿は、2万以上のいいねがある。これは、かなり大規模な現実改変だ。もしかしたら、システムが不安定になってるのかもしれない」
私は、悠人の言葉を聞いて——理解した。
私の投稿が、システムを不安定にしている。
だから、@pandora_boxは——削除したがっている。
「でも…私が削除したら、私が消える」
「そうだね。だから、@pandora_boxは俺に削除させようとしてるんだと思う」
悠人は、スマホを置いた。
「君、どうする?」
「…どうするって?」
「俺が、君の投稿を削除する。そうすれば、世界は元に戻る。でも、君は消える」
私は、悠人を見つめた。
悠人は、真剣な顔で続けた。
「それとも、俺が@pandora_boxを無視する。そうすれば、君は生き続けられる。でも、俺も消えるかもしれない」
私は、何も言えなかった。
悠人は、続けた。
「君の選択だよ。俺に、君を殺させるか。それとも、俺と一緒に戦うか」
私は、悠人を見つめた。
悠人の目は——真剣だった。
私は——。
どうすればいい?
(第6話・終)
次回予告
七海は、ついに決断を迫られる。
悠人に自分を殺させるか、それとも——。
一方、@pandora_boxの正体が、少しずつ明らかになる。
#拡散禁止のシステムは、一体誰が作ったのか。
そして、七海の運命は——。
次回、第7話「世界か、推しか」
物語は、クライマックスへ——。
【第6話完】
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