#拡散禁止 ―推しを救うたび、誰かが消える―

ソコニ

第1話「ルリちゃんが消えた朝」


1

「夏川さんって、本当にキラキラしてるよね」

 廊下ですれ違った一年生の女子が、そう囁くのが聞こえた。私は振り返らず、いつもの笑顔を浮かべたまま階段を上る。制服のスカートが軽く揺れる。髪は朝、三十分かけてセットした。メイクは薄く、でも確実に「可愛い」ラインを押さえてある。

「おはよう、七海!」

 教室に入ると、クラスメイトの美羽が手を振ってくる。私は「おはよー!」と明るく返す。この声のトーン、この表情、この距離感。すべて計算済み。

 夏川七海、十七歳。クラス委員。友達は多い。告白されたことも何度かある。SNSのフォロワーは二千人。投稿する写真はいつもカフェか、海か、友達との自撮り。

 完璧な、高校生活。

 でも。

「七海、昨日のドラマ見た?」

「あー、見た見た!超良かったよね!」

 見てない。昨日の夜、私はドラマなんか見てなかった。

 私が見ていたのは——。


 放課後。

「じゃあ七海、また明日ね!」

「うん、またね!」

 校門で美羽や他の友達と別れ、私は一人で帰路につく。誰もいなくなった瞬間、私の表情から笑顔が消える。肩の力が抜ける。ため息が漏れる。

 疲れた。

 毎日、毎日、この「キラキラした夏川七海」を演じるのに、私は疲れ果てていた。

 家に着くと、玄関で靴を脱ぎ捨て、二階の自室に駆け上がる。制服を脱ぎ、部屋着に着替える。スマホを手に取り、ベッドに倒れ込む。

 そして——。

 裏アカウント「@nana_yami」を開く。

 フォロワー数:三十二人。

 フォロー数:五人。

 アイコンは黒い画面。ヘッダーも真っ暗。プロフィール欄には何も書いていない。

 このアカウントが、本当の私。

 私は通知欄を開く。一件の通知。

【配信開始】月夜ルリ @tsukiyo_ruri が配信を開始しました

 心臓が跳ねる。

 私は即座にリンクをタップし、配信画面に飛ぶ。

 画面には、小さな部屋で、安物のマイクの前に座る少女が映っている。

 月夜ルリ。

 推定年齢は二十歳前後。黒髪のショートカット。メイクはほぼしていない。服装は白いパーカー。部屋の背景にはアニメのポスターが数枚貼ってある。

 そして——。

「えっと…こんばんは。ルリです…」

 か細い声。緊張で震えている。視線はカメラではなく、横のモニターを見ている。

 視聴者数:十二人。

 コメント欄には、ほとんど何も流れていない。

「今日は…その、お料理配信…しようかなって…」

 ルリちゃんの声は、いつも不安げだ。言葉を選ぶように、ゆっくりと喋る。時々、沈黙が入る。視聴者が少なすぎて、コメントもほとんど来ない。

 でも。

 私は、その笑顔が好きだった。

 ルリちゃんが、料理を作りながら「あ、塩入れすぎた…」と小さく笑う瞬間。

 誰かがコメントをくれた時、「ありがとうございます…!」と嬉しそうに目を細める瞬間。

 その、作られていない、素朴で、不器用で、でも心からの笑顔が——。

 私の生きる理由だった。


 私がルリちゃんを見つけたのは、半年前。

 ある夜、学校での人間関係に疲れて、何となくVTuberの配信を漁っていた時だった。登録者数の多い有名VTuberの配信は、どれも騒がしくて、明るくて、エンターテイメントに溢れていた。

 それが、嫌だった。

 私はもっと静かな、誰もいない場所が欲しかった。

 そして、検索フィルターを「視聴者数の少ない順」に変更した。

 出てきたのが、ルリちゃんの配信だった。

 視聴者数:三人。

 画面の中のルリちゃんは、誰も見ていないと分かっているのに、それでも一生懸命に喋っていた。

「…えっと、今日は…あの、雑談…します…」

 コメントは来ない。

 でも、ルリちゃんは諦めずに、ぽつぽつと言葉を紡いでいた。

 私は、その姿に心を打たれた。

 そして、コメントを打った。

@nana_yami: こんばんは。初見です。

 ルリちゃんの目が、ぱっと輝いた。

「あ…!こんばんは…!初めまして…!」

 その笑顔を見た瞬間、私は決めた。

 この人を、私が支えよう。


 それから半年。

 私は毎日、ルリちゃんの配信を見た。コメントを送った。スーパーチャット(投げ銭)も、毎月五万円分投げていた。アルバイトで稼いだお金のほぼ全額を、ルリちゃんに使った。

 ルリちゃんの登録者数は、少しずつ増えていった。

 五十人、百人、二百人……そして今は、五百人。

 ルリちゃんは配信の度に「nana_yamiさん、いつもありがとうございます…!」と言ってくれた。

 その言葉だけで、私は生きていけた。

 学校での「キラキラした夏川七海」は偽物だ。

 でも、ルリちゃんの前での私は——本物だった。


2

 金曜日の夜。

 私はいつものように、ルリちゃんの配信を見ていた。

 今日の配信は、雑談配信。ルリちゃんは最近見たアニメの話をしている。視聴者数は二十人程度。コメント欄は、いつもより少し賑やかだった。

「…それで、そのアニメの最終回が本当に良くて…」

 ルリちゃんが、楽しそうに話している。

 私は、その笑顔を見ながら、スーパーチャットのボタンを押した。

@nana_yami が¥5,000のスーパーチャットを送りました

「今日も配信ありがとう。ルリちゃんの話、すごく楽しいです」

 ルリちゃんの目が、画面を見て驚く。

「あ…!nana_yamiさん、ありがとうございます…!五千円も…!」

 ルリちゃんは、本当に嬉しそうに笑った。

 私も、画面の前で笑った。

 でも——。

 その直後、ルリちゃんの表情が曇った。

「…あの、実は…」

 ルリちゃんが、言葉を詰まらせる。

「…皆さんに、お話ししなきゃいけないことが…あって…」

 嫌な予感がした。

 ルリちゃんは、深呼吸をして、言った。

「…私、もしかしたら…配信、続けられないかもしれません」

 コメント欄が、一瞬止まった。

 そして、次々にコメントが流れる。

え?

どうして?

やめないで!

 ルリちゃんは、目に涙を浮かべながら続けた。

「…お金が…足りなくて…。配信の機材とか、色々維持するのに…お金がかかって…。でも、私、働きながらだと…配信の時間が取れなくて…」

 声が震えている。

「…それに…誰も見てくれないし…。私、配信向いてないのかな…って…」

 ルリちゃんが、泣き出した。

「…ごめんなさい…こんな話…」

 コメント欄には、慰めの言葉が流れる。

 でも、私は何もコメントできなかった。

 指が震えていた。

 ルリちゃんが…消える?

 ルリちゃんがいない世界?

 そんなの、嫌だ。

 絶対に、嫌だ。


 配信が終わった後、私は部屋の中を歩き回った。

 どうすればいい?

 もっとお金を投げる?でも、私のアルバイト代にも限界がある。

 ルリちゃんを励ます?でも、それだけで現実は変わらない。

 無力感が、私を押し潰す。

 そして——。

 私は、冷蔵庫を開けた。

 中には、数ヶ月前に買った缶チューハイが一本だけ残っていた。親が飲み残したものだ。

 私は、それを手に取った。

 未成年飲酒。ダメだって分かってる。

 でも、今は——何も考えたくなかった。

 私は缶を開け、一気に飲み干した。

 不味い。苦い。でも、頭がぼんやりしてくる。

 スマホを取り出す。

 SNSを開く。

 そして——。

 投稿画面に、指が動いた。


@nana_yami

「#拡散禁止 ルリちゃんが国民的アイドルになりますように。みんながルリちゃんを知ってますように。ルリちゃんが幸せになりますように」


 投稿ボタンを押した。

 画面に、「投稿しました」の文字が表示される。

 私は、そのままベッドに倒れ込んだ。

 意識が、遠のいていく。

 最後に見たのは、スマホの画面。

 投稿に、一つ、いいねがついていた。


3

 目が覚めた。

 頭が痛い。二日酔いだ。

 私は、ベッドの上で目をこすりながら、スマホを手に取った。

 画面を見た瞬間——。

 通知が、爆発していた。

通知:10,247件

「…え?」

 私は、通知欄を開いた。

 すべて、昨夜の投稿へのリアクションだった。

 いいね、リツイート、コメント。

 数字が、どんどん増えていく。

「何…これ…」

 私は、慌てて投稿を確認した。


@nana_yami

「#拡散禁止 ルリちゃんが国民的アイドルになりますように。みんながルリちゃんを知ってますように。ルリちゃんが幸せになりますように」

いいね:12,384件

リツイート:8,912件

コメント:3,456件


 意味が分からない。

 なんで、こんなにバズってるの?

 私は、コメント欄を見た。

「誰このルリちゃん?」

「めっちゃ気になる」

「#拡散禁止って何?」

「調べたら月夜ルリってVTuberいた」

「もう登録者100万人超えてて草」

 ……え?

 私は、慌ててルリちゃんのチャンネルを開いた。


月夜ルリ @tsukiyo_ruri

登録者数:5,123,456人


 五百万人?

 昨日まで、五百人だったのに?

 私は、混乱しながらもテレビをつけた。

 朝のワイドショーが流れている。

 そして——。

「さあ、続いてのニュースです!今、若者の間で大人気のVTuber、月夜ルリさんをご存知ですか?」

 画面に、ルリちゃんの顔が映った。

「昨夜、突如としてSNSでバズり、一晩で登録者数が五百万人を突破!今、最も注目されているVTuberなんです!」

 スタジオの司会者が、笑顔で話している。

「月夜ルリさんは、今後、大手事務所と契約し、グッズ展開やCM出演も予定されているとのことです!」

 私は、画面を見つめたまま、動けなかった。

 これ…私のせい?

 昨日の投稿が…?

 でも、どうして?


 私は、スマホでルリちゃんの最新配信のアーカイブを開いた。

 サムネイルには、いつもと違う、プロっぽい加工が施されていた。

 配信タイトル:「【ご報告】これからの活動について!」

 私は、動画を再生した。

 画面に映ったのは——。

 ルリちゃん、だった。

 でも。

「みんなー!おはよう!ルリだよ!」

 声のトーンが、違う。

 明るくて、ハキハキしていて、プロのアイドルのような喋り方。

 表情も、いつもの不安げな笑顔ではなく、完璧な「営業スマイル」だった。

「昨日は本当にたくさんの方に登録してもらって、びっくりしちゃった!みんな、ありがとう!」

 ルリちゃんは、カメラ目線で、流暢に話し続ける。

「これからも、もっともっと楽しい配信をしていくから、応援よろしくね!」

 そして、ウインク。

 私は、画面を見つめたまま、呼吸が止まった。

 これは…ルリちゃん?

 私が知ってる、ルリちゃん?

 違う。

 これは、別人だ。


 私は、コメント欄を見た。

「ルリちゃん可愛い!」

「これからも応援します!」

「グッズ欲しい!」

 みんな、喜んでいる。

 でも、私は——。

 私は、コメントを打った。


@nana_yami: ルリちゃん、私、昔からのファンです!覚えてますか?


 送信ボタンを押す。

 コメント欄に、私のコメントが流れる。

 でも、ルリちゃんは画面を見て——。

「ありがとうございます♡たくさんの方に支えられてここまで来れました!これからもよろしくお願いします!」

 定型文のような、返答。

 私の名前を、呼んでくれなかった。

 私のことを、覚えていない。


 私は、スマホを握りしめた。

 手が震える。

 何が起きてるの?

 なんで、ルリちゃんが変わってるの?

 なんで、私のことを忘れてるの?

 私は、昨夜の投稿を見直した。


「#拡散禁止 ルリちゃんが国民的アイドルになりますように。みんながルリちゃんを知ってますように。ルリちゃんが幸せになりますように」


 国民的アイドル。

 みんながルリちゃんを知ってる。

 ルリちゃんが幸せになる。

 願いは、叶った。

 でも——。

 私が愛していた、ルリちゃんは——。

 もう、いない。


4

 その日、私は学校を休んだ。

 部屋に閉じこもり、ずっとスマホを見ていた。

 SNSは、ルリちゃんの話題で溢れていた。

「月夜ルリ、可愛すぎる」

「ルリちゃんのグッズ予約開始!」

「武道館ライブ決定!」

 みんな、喜んでいる。

 ルリちゃんは、本当に「国民的アイドル」になった。

 でも、私は——。

 涙が止まらなかった。


 私は、ルリちゃんの過去の配信アーカイブを見た。

 半年前の、初めて見た配信。

「…えっと、今日は…あの、雑談…します…」

 か細い声。不安げな表情。

 でも、その笑顔は——本物だった。

「あ…!こんばんは…!初めまして…!」

 私がコメントした時の、あの輝いた目。

 あれが、私のルリちゃんだった。


 私は、投稿を削除しようとした。

 削除ボタンに、指をかける。

 でも——。

 指が、震えて、押せない。

 なんで?

 削除すればいい。

 そうすれば、ルリちゃんは元に戻る。

 でも。

 頭の中に、声が響く。

「削除したら、ルリちゃんは元に戻る。でも、あなたはルリちゃんを忘れる」

 ……え?

 私は、投稿の詳細を見た。

 そこには、小さな文字で注意書きが表示されていた。


※#拡散禁止の投稿を削除すると、現実が元に戻りますが、投稿者の記憶からもその出来事が消えます。


 ……何、これ?

 私は、混乱した。

 削除したら、ルリちゃんは元に戻る。

 でも、私は——ルリちゃんを忘れる?

 ルリちゃんとの半年間の思い出が、全部消える?

 それって——。

 私の中から、ルリちゃんが消えるってこと?


 私は、スマホを床に叩きつけた。

 画面が割れる音がした。

 でも、気にしなかった。

 私は、ベッドに顔を埋めて、叫んだ。

「なんで…!なんで、こんなことに…!」

 ルリちゃんを救いたかっただけなのに。

 ルリちゃんを幸せにしたかっただけなのに。

 なんで、こんなことになったの?


5

 夜。

 私は、裏アカウントを開いた。

 割れたスマホの画面を、指でなぞりながら、投稿画面を開く。

 そして——。


@nana_yami

「推しを救ったはずなのに、推しを殺してしまった」


 投稿ボタンを押した。

 誰も見ていないアカウント。

 でも、この気持ちを吐き出さずにはいられなかった。


 数分後。

 通知が来た。

 DMだった。

 私は、通知を開いた。

 送り主は、見たことのないアカウント。


@pandora_box

「君も使ったんだね。#拡散禁止を」


 ……誰?

 私は、返信を打った。


@nana_yami: あなた、誰?


 すぐに返信が来た。


@pandora_box: 僕は、君と同じ。#拡散禁止を使った人間だよ。

@pandora_box: そして、君に忠告しておく。その投稿、削除しない方がいい。


@nana_yami: なんで?


@pandora_box: 削除すれば、現実は元に戻る。でも、君は彼女を忘れる。君の中から、彼女が消える。

@pandora_box: それでもいいの?


 私は、スマホを握りしめた。

 やっぱり、そうなんだ。


@nana_yami: じゃあ、どうすればいいの?


@pandora_box: それは、君が決めることだ。

@pandora_box: ただ、一つだけ言っておく。

@pandora_box: #拡散禁止は、願いを叶える。でも、代償もある。

@pandora_box: 君の願いは叶った。でも、君が愛していたものは失われた。

@pandora_box: それが、#拡散禁止のルールだ。


 私は、画面を見つめた。

 返信が、来なくなった。

 私は、スマホを置き、天井を見上げた。


 ルリちゃんは、幸せになった。

 でも、私が愛していたルリちゃんは、もういない。

 私は、何をしてしまったんだろう。


 その夜、私は眠れなかった。

 スマホの画面には、ルリちゃんの笑顔が映っている。

 でも、それは——。

 もう、私の知らない笑顔だった。


6

 翌朝。

 私は、学校に行った。

 いつもの笑顔を浮かべて、いつものように「おはよう」と言った。

 でも、心は空っぽだった。


「七海、昨日休んでたけど、大丈夫?」

 美羽が、心配そうに声をかけてくる。

 私は、笑顔で答えた。

「うん、ちょっと体調悪かっただけ。もう大丈夫」

「そっか!良かった!」

 美羽は、安心したように笑った。

 私も、笑った。

 でも、本当は——。

 全然、大丈夫じゃなかった。


 授業中、私はスマホをこっそり見た。

 ルリちゃんの配信通知が来ていた。

 私は、通知をタップした。

 配信が始まっている。

 画面には、いつものように——いや、いつもとは違う、プロの笑顔を浮かべたルリちゃんが映っていた。

「みんなー!今日も元気?ルリだよ!」

 視聴者数:50万人。

 コメント欄は、猛スピードで流れている。

 私は、コメントを打った。


@nana_yami: ルリちゃん、覚えてる?私のこと。


 送信ボタンを押す。

 でも、コメントは他の無数のコメントに埋もれて、すぐに流れていった。

 ルリちゃんは、私のコメントを見なかった。

 見えなかった。


 私は、スマホを閉じた。

 涙が、こぼれそうになった。

 でも、ここは学校だ。

 泣けない。

 笑わなきゃいけない。

 私は、いつもの笑顔を浮かべた。


 放課後。

 私は、一人で帰った。

 家に着いて、部屋に入り、ベッドに倒れ込んだ。

 そして——。

 私は、ルリちゃんの過去の配信を見た。

 半年前の、あの日。

「あ…!こんばんは…!初めまして…!」

 ルリちゃんの、あの笑顔。

 私は、その笑顔を見ながら、涙を流した。


 ルリちゃん。

 私、何をしてしまったの?

 あなたを救いたかっただけなのに。

 あなたを幸せにしたかっただけなのに。

 なんで、こんなことになったの?


 その夜、私は裏アカウントで、また投稿した。


@nana_yami

「もう一度、あの日に戻りたい。ルリちゃんが、まだ私のルリちゃんだった日に」


 投稿ボタンを押した。

 でも、今度は何も起きなかった。

 #拡散禁止のタグを付けなかったから。

 私は、もう二度と、あのタグを使わないと決めた。

 でも——。

 心の奥底では、分かっていた。

 もう、手遅れなんだって。


7

 数日後。

 ルリちゃんの武道館ライブのニュースが流れた。

 チケットは即完売。

 グッズも飛ぶように売れている。

 ルリちゃんは、本当に「国民的アイドル」になった。


 私は、ライブのチケットを取ろうとした。

 でも、取れなかった。

 私は、もう「昔からのファン」じゃない。

 私は、もう——ルリちゃんにとって、誰でもない存在だった。


 その夜、私は再び@pandora_boxにDMを送った。


@nana_yami: もう一度、教えて。どうすれば、ルリちゃんを元に戻せる?


 返信は、すぐに来た。


@pandora_box: 投稿を削除すればいい。

@pandora_box: そうすれば、彼女は元に戻る。

@pandora_box: でも、君は彼女を忘れる。

@pandora_box: 君の中から、彼女が消える。

@pandora_box: それでもいいなら、削除すればいい。


 私は、画面を見つめた。

 削除すれば、ルリちゃんは元に戻る。

 でも、私はルリちゃんを忘れる。

 半年間の思い出が、全部消える。

 ルリちゃんとの時間が、なかったことになる。

 それって——。

 私の生きる理由が、消えるってこと。


 私は、投稿の削除ボタンを見た。

 指を、画面に近づける。

 でも——。

 押せない。

 押せなかった。


@nana_yami: 私、どうすればいいの?


 返信は、来なかった。


 その夜、私は部屋で一人、泣いた。

 誰にも聞こえないように、声を殺して、泣いた。


 ルリちゃん。

 ごめんね。

 私、あなたを救えなかった。

 私、あなたを壊してしまった。

 ごめんね。

 ごめんね。


(第1話・終)


次回予告

 七海の前に現れた謎のアカウント「@pandora_box」。

 そして、クラスメイトの美羽が突然、元カレの存在を忘れていた——。

 #拡散禁止は、七海だけのものではなかった。

 世界は、少しずつ壊れ始めている。

 次回、第2話「#拡散禁止 元カレ消滅」

 七海は、真実に近づいていく——。




【第1話完】

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