第1話 招待状と廃校の門
封筒の紙質が、指先にざらりと貼りついた。
夏の午後、窓の外では蝉が鳴き止みかけていた。天城廉は、研究資料を机に積み上げたまま、差出人のない封筒を見つめていた。
厚みのある白紙封筒。切手の消印は「群馬県鏡原町」。見覚えのない土地。宛名は手書きではなく、印字。だが、万年筆のインクで書かれた一文が追記されていた。
──真実を証明せよ。
筆跡は、誰かを試すように整っていた。
廉は、少し前の夜のことを思い出していた。夢の中で、煙の中に立つ誰かの影を見た。黒焦げた机、倒れたパーテーション、そして焦げたプラスチックの匂い。三年前の火災。
「……なんで今さら」
唇が乾いた。封筒を開くと、中には一枚の地図と集合時間、そして“参加者A‐07 天城廉”と印字された名札が入っていた。まるでゲームの参加証のようだ。
だが、遊びで呼ばれたとは思えなかった。あの事故で死んだ後輩──佐伯悠真の顔が、焼け跡の向こうからこちらを見ている気がした。
廉は机の上のスマホを見た。通知はない。SNSにも話題はない。だが、行かない理由も見つからなかった。大学の推理研究会で、“論理的に世界を読む男”と呼ばれてきた自負が、奇妙な挑発に火を点けた。
──翌夕。
山の麓でタクシーを降りる。道は一本きり、両脇に杉。空気は湿り、蝉の声が不自然に途切れた。
舗装路の終点に、石の標識があった。
〈鏡原学園〉。
字の溝には苔が生えていた。
鉄製の門は開いている。だが、風は吹かない。
廉はバックパックを背負い直し、門をくぐった。砂利が靴の下で鈍く鳴る。敷地は思ったより広く、校舎は三棟がコの字型に並んでいた。ガラスの割れた窓から、暗い影が覗く。
玄関だけに、非常灯がぼんやりと灯っている。人影があった。
「……天城先輩?」
振り向いた女が、半歩だけ近づく。
芹沢茜。三年前の研究会で、推理論争を何度も交わした後輩だった。
「呼ばれたんですか?」
「お前も、か」
茜は首を傾けた。
「差出人に、心当たりは?」
廉は首を振った。彼女もまた、言葉をのみ込むように笑った。薄暗い玄関の中には、他にも数人が集まっていた。
制服ではない。年齢もばらばら。名札を胸に着けた男女が、まるで同じ夢を見たかのような無言で立っていた。
壁の案内板には二枚のプレート。
〈夏の寮(A館)〉〈冬の寮(B館)〉。
“各自の名札に印字された記号に従って入館せよ”と書かれていた。
参加者は十五人。廉はA館、茜はB館。
分かれた扉が閉まった瞬間、古びたスピーカーから声が流れた。
「参加者諸君、ようこそ」
抑揚のない声だったが、笑いの尾が残る。
「君たちは互いに推理を競う。まもなく、この館で殺人が起きる。犯人を先に当てた館のみが解放される。他方は──消える」
ざわめきが一瞬にして凍った。
「両館は一日一回、三十秒だけ“会話”できる。代表者を選べ。嘘を喋っても良い。真実を掘り出すのは、君たち自身だ」
声が止むと、照明が一段落ち、闇が押し寄せた。
A館の共同スペースに集まる。
自己紹介の輪は、誰も笑わないままに続いた。
保険営業の佐久間。
看護助手の星野。
フリー映像屋の木場。
臨時教員の遠野。
大学院生の御子柴。
匿名ブロガーの海老原。
無職の鷺沼。
年齢も職業もばらばらだが、互いにどこか“知っているような”視線を向け合っている。
廉は、紙ナプキンに行動記録表を描いた。
「一時間ごとに誰がどこにいたか、記録しておこう」
「警察ごっこかよ」木場が乾いた笑いをもらした。
海老原はスマホをいじりながら、「圏外だ」と小さく呟いた。
その時、非常灯がちらりと明滅した。光が一瞬、廊下を切り取る。壁に貼られた古い写真が、まるで今にも動き出しそうに揺れた。
写真の中には、昔の生徒たちが並んでいる。その一番右端に──焼けたように黒く潰れた顔。
「……これ、事故のあとか?」
御子柴の声が震えた。
誰も答えなかった。
遠くで扉が軋む音がした。
時計の秒針が止まったように感じられた。
「なあ……誰か、上にいるか?」
鷺沼が顔を上げた。
二階への階段の上から、金属が床を叩く音。
カン、カン、と二度。
次の瞬間、息の止まった悲鳴。
廉が駆け出した。
階段を上りきると、食堂の入り口に佐久間が倒れていた。
頸に、赤黒い痣が浮かんでいる。
床には転がった椅子、割れたガラスのコップ。
窓は内側から施錠。出入口は一つだけ。
扉前には足跡が乱れ、だが奥の方で靴音が途切れている。
「……密室?」御子柴が息をのむ。
星野は泣きそうな顔でしゃがみ込み、佐久間の脈を取った。
「死んでる」
空気が凍った。
その時、壁のスピーカーが再び鳴った。
「第一の事件。時間、二十一時十二分。観客の皆さん、ようこそ」
男の声が言った。
観客? 誰が、どこで見ている?
廉は息を止め、天井を見上げた。
天井板の隙間に、黒いレンズのようなものが覗いていた。
監視カメラ。いや、それだけではない。まるで、そこから“覗かれている”気配。
自分の思考の奥まで覗かれている感覚。
その夜、A館の食堂は封鎖された。
他の者たちは共同室に集まり、沈黙のまま時間を潰した。
星野は震える指で祈るようにメモを取り、御子柴はひたすら数式のように事件を整理している。
「誰が、何のために?」
遠野が言った。
「“真実を証明せよ”って書いてあったな」廉は呟いた。
火災の夜、悠真が言いかけた言葉が、煙の向こうで途切れた。
“あれを見たのは、先輩だけですよね”──
廉の喉が熱くなった。
「……やめろ」自分でも気づかぬほど低い声で言った。
部屋の隅の鏡が、かすかに揺れた。
誰も触っていないのに。
深夜、廊下の端のドアが開いた音がした。
廉は反射的に立ち上がった。
人影が見えた。
白い服、裸足。
小柄な体がゆっくりと廊下を横切る。
「星野?」
呼びかけても、返事はない。
光に照らされた頬が、一瞬だけこちらを向く。
──焼け跡のように黒ずんでいた。
廉は言葉を失い、立ち尽くした。
足音は階段の奥へ消えた。
追うことも、声を出すこともできなかった。
翌朝、館内のスピーカーが淡々と鳴った。
「おはようございます。観察は続きます」
声の主は笑っていた。
“観察”という言葉が、壁を伝って心に染み込む。
廉は手の中の名札を見た。
A‐07。
裏面には、細い文字で印刷されていた。
〈被験者〉。
その瞬間、背中に氷のような感覚が走った。
誰かが、ずっと自分たちを観察している。
その“誰か”の視線が、鏡の裏から、カメラの奥から、目に見えないほど近くにある。
廉はふと、廊下の端の鏡に映る自分を見た。
そこに映っていたのは、確かに自分の顔だった。
だが、口元だけが、少しだけ──他人のように笑っていた。
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