第18話 5-2:ジャンク・ハント

 アキラが、汚泥の海から這い上がり、比較的「固い」ゴミの山——それは、何世代も前のプラスチックと、錆びた鉄骨の集合体だった——に倒れ込んだ時、彼は、すでに「論理的」な思考を半ば放棄していた。

 (寒い)

 汚染された雨が、彼の濡れた制服と、焼かれた背中の傷を打ち、体温を奪っていく。

 (痛い)

 (不潔だ)

 彼の脳は、その三つの「原始的」な感覚(バグ)に支配されていた。

 懐の「証拠(スレート)」だけが、彼がここに「堕ちた」理由を、かろうじて繋ぎ止めていた。

 その時だった。

 ガシャ、ガシャ、という、非効率で、不規則な「金属音」が、ゴミの山(ジャンク・マウンテン)の向こうから近づいてくる。

 (……ヴェクターの、部隊か?)

 アキラは、一瞬、あの「黒い戦闘装甲」を連想した。

 だが、その音は、ヴェクターの部下の、あの「完璧に制御された」歩行音とは、似ても似つかなかった。

 それは、まるで壊れた機械が、無理やり動いているかのような、耳障りな「ノイズ」だった。

 「おい、見ろよ」

 「……『白』だ」

 「エデンの『お上品(ハイライフ)』が、ゴミ(ここ)に落ちてきやがった」

 汚染雲の隙間から差し込む、エデンの底が反射する「薄汚れた光」の中に、三体の「人影」が浮かび上がった。

 いや、それは、アキラが知る「人間」ではなかった。

 (……ジャンク)

 アキラは、その単語の「意味」を、初めて「現実」として理解した。

 彼らは、歩いていた。だが、その脚は、生身(なまみ)のものではなかった。

 一人は、左右で長さの違う、錆びついた農業用機械の「脚」を、生身の太腿に、むき出しのボルトで「接続」していた。

 一人は、片腕が、エデンから廃棄された旧式の「ドローン・アーム」に置き換えられていたが、制御(コントロール)がうまくいっていないのか、その腕は明後日の方向を向いて、痙攣(けいれん)を続けている。

 彼らの「電脳化」は、アキラの知る「レベル1」ですらなく、ジャンクパーツを脳の神経(ニューロン)に、おそらくは麻酔もなしに「直結」させただけの、粗悪な「改造(ローライフ)」だった。

 彼らこそ、アキラが「非論理的」として、その存在ごと「パージ」していた、ピットの住人——「ジャンク漁り(スカベンジャー)」だった。

 彼らの目は、アキラを見ていなかった。

 彼らの、充血し、汚染物質(ダスト)で濁った目は、アキラが着ている「純白の制服」と、その懐の「スレート」に釘付けになっていた。

 「あの服、高く売れるぞ」

 「あの端末(スレート)は、俺のもんだ」

 彼らの思考は、アキラが理解する「論理」ではなく、「欲望」という、最も原始的な「本能(バグ)」によって駆動されていた。

 「待て」

 アキラは、無意識に「エデン」の言葉(・・・・・)を使った。

 「俺は、ジェネシス・コアの……」

 (……プログラマーだった)

 (……いや、今は「ヴァイラス」だ)

 彼が何を言おうと、無駄だった。

 「うるせえ、『白』野郎!」

 ドローン・アームの男が、制御不能な腕を振り回しながら、飛びかかってきた。

 アキラは、咄嗟にそれを避けた。彼の「生身の脳(レベル1)」は、まだエデンの論理(・・)で思考していた。

 (脅威判定。対象A。武器、ドローン・アーム。行動予測、非論理的。最適解、回避。その後、拘束)

 だが、彼の「最適解」は、ここでは「非論理的」だった。

 彼が対象Aを回避した瞬間、対象B(農業用の脚の男)が、その「長い」脚で、アキラの脇腹を蹴りつけた。

 「ぐ……ッ!」

 エデンで鍛えられていない、生身の肉体。肋骨(ろっこつ)が軋む、純粋な「痛み」。

 彼が汚泥に倒れ込むと、三人の「ジャンク」が、彼の上に、獣のように折り重なった。

 (やめろ……不潔だ……!)

 彼の潔癖症が、最後の抵抗を試みる。

 だが、彼の「論理」も「潔癖症」も、この「暴力」という「絶対的な非論理」の前では、何の意味もなさなかった。

 彼らは、アキラの懐から「証拠(スレート)」を奪おうと、汚れた爪と、錆びた義手で、彼の制服を引き裂いた。

 (駄目だ……それだけは……!)

 (あれは、俺の「真実(ロジック)」だ……!)

 アキラが、最後の力を振り絞って抵抗した、その時。

 甲高い「金属音」が、汚染された大気を切り裂いた。

 「ギャイン!」

 アキラの上に乗っていた「ジャンク」の一人が、奇妙な悲鳴を上げて、吹き飛んだ。

 ドローン・アームの男の、その「腕」が、根元から「切断」され、火花を散らしていた。

 「……何だ?」

 残りの二人が、アキラから離れ、音のした方向を睨む。

 ゴミの山の頂上に、新たな「影」が立っていた。

 それは、今までの「ジャンク」どもとは、明らかに「動き」が違った。

 (……論理的だ)

 アキラは、その「影」の動きに、エデンのそれとは異なる、荒々しいが、しかし「最適化された」戦闘の「論理」を感じ取った。

 「……『ピット・ラッツ』の、ケイだ」

 「……チッ、面倒な女だ」

 ジャンクたちが、明らかに「恐怖」の感情(バグ)を示していた。

 その影——ケイ——は、ゴミの山を、まるで猫のような、無重力的な跳躍で駆け下りてきた。

 彼女は、アキラが知る「ジャンク」どもとは違った。

 彼女の義体(サイバネティクス)は、錆びていなかった。それは、エデンの「白」でも、ヴェクターの「黒」でもない、機能性だけを追求した「鋼(はがね)色」をしていた。

 「そいつは、あたしの『獲物』だ。手を出しな」

 その声は、若いが、ピットの汚泥(ここ)で生き抜いてきた者特有の、冷たい「圧」を帯びていた。

 ジャンクたちは、数秒間、彼女とアキラ(獲物)を天秤にかけたが、やがて「非論理的」な悪態をつきながら、闇の中へと消えていった。

 アキラは、汚泥の中に倒れたまま、その「女」を見上げた。

 「……助かっ……」

 彼が「感謝」という、非論理的な言葉を口にする前に。

 ケイは、アキラの胸倉を掴むと、その鋼(はがね)色の義手で、彼をゴミの山に叩きつけた。

 「勘違いするな、『白』野郎」

 彼女の目は、ヴェクターのサイバネティック・アイとは違う、生身の、しかし、それ以上に冷たい「怒り」に燃えていた。

 「お前が持ってる『それ』、エデンの最新型スレートだろ。あたしら『ピット・ラッツ』が、有益に『リサイクル』させてもらう」

 彼女は、アキラの懐から「証拠(スレート)」を、容赦なく奪い取った。

 「やめろ……返せ……!」

 アキラは、背中の痛みと、肋骨の痛み、そして「論理(スレート)」を失った「絶望」で、意識を失った。

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